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居間のいまを振り返る①

こんにちは。居間 theaterです。noteをはじめるにあたり、自分たちの活動の遍歴をまずは掲載しようと思います。
これまで小さい企画から大きい企画まで、さまざまな人の力を借り、多様な場所でおこなってきました。2013年からスタートし、いま現在、居間 theaterは何をやってどんなことを考えているのか。
はじまりからここ最近の活動まで、その興味や考えかたの流れを振り返ります。
(※この記事は2018年7月に居間 theater WEBサイトで公開したものをベースに加筆修正したものです)
(トップ画像 photo by bozzo)

◆ 場所とのかかわり

 はじまりは台東区谷中の最小文化複合施設HAGISOです。最初の興味はごくシンプルで、入って右手にギャラリー、左手にカフェという、2つの空間が共存していることを面白く感じました。ここでパフォーマンスの企画を通年でやってみたらどうか、とHAGISOに提案したところ、​面白がって快く受け入れてくれたことがきっかけです。

 初めは「study」という名目で営業中のカフェの横でダンスをつくる時間などを過ごしつつ、アーティストとコラボレーションして上演をつくる「コラボレーションシリーズ」をおこないました。営業時間後や店休日に椅子を並べ客席を設えた、いわゆるパフォーマンス公演です。自分たちでは出会えない作家さんや、一緒にやってみたかった音楽家など、非常に恵まれた機会でした。
 空間を面白く使いたいという欲求とHAGISOを「劇場」的な場だけにしないようにという思いから、​上演中にピザを焼いて食べながら見てもらったりもしました(笑)。

 vol.4で日本大学佐藤慎也研究室とともに企画したのが、「パフォーマンスカフェ」です。それまで「人」とコラボレーションしていたのを、カフェそれ自体の「場」とコラボレーションしようとしたのです。
 場とおこなうには、場の持つそもそもの「機能」を使わなければならないと考えました。​カフェであれば、お茶や食事をして、語ったり読書したりできる、という機能です。

(photo:Ryohei Tomita)


 パフォーマンスカフェはあくまでも通常営業するカフェに、パフォーマンスメニューをコーヒーと同じように並べ、お客さん自身に注文してもらう形式にしました。食事と同じように提供され、3分ほどのパフォーマンスが終わるとまた何事もないカフェの時間になります。または、他のお客さんが気がつかない中、自分の席だけでパフォーマンスが行われますが、見終わるとまた他の人と同じようにもとのお茶の時間に戻ります。
 カフェにいるお客さんの時間は、基本はカフェの時間です。そこにパフォーマンスの時間を正面からぶつける(例えば、フラッシュモブとかでしょうか)のではなく、あくまでもカフェとして時間が過ぎて行く。パフォーマンスを見る人がいる一方、気にしないで食事をできるような空間。でも偶然に、パフォーマンスに出会えてしまう機会。そのようなコンセプトで、パフォーマンスカフェをつくりました。

 パフォーマンスカフェを経て以降、移動図書館、椅子の展示、まちあるきなど、「場」とのコラボレーションをおこなっていくようになります。けれどこの頃はまだ、「劇場ではない場所でなにかをおこなう」というベースの考え方が強かったように思います。まだ見ぬ場所や人と出会い、その場の機能を使ってパフォーマンスをおこなうのが面白い、という思いが、さまざまな企画を生み出していました。

◆ 公共空間との出会い

(本段落全て photo:Ryohei Tomita)

 3年目の2015年、翌年2016年に、当時豊島区でアートプロジェクトを展開していた「としまアートステーション構想」(以下、「としま」)に呼んでいただいたことは、大きなチャレンジであり変化でもありました。「アートステーション」とは、アートを生み出す小さな拠点のこと。豊島区民を始めとするさまざまな人が、自らの手でアートステーションを生み出すことを目指した事業です。

 居間 theaterは、2年連続で「アートステーション構想推進課 パフォーマンス窓口」を豊島区役所で実施しました。アートステーションという〝考えかた〟を区役所で区民の人に知ってもらうため、架空の課「アートステーション構想推進課」を(勝手に)名乗り、催しをおこないました。必要があればアートステーション構想の拠点「としまアートステーションZ」に繋がることもできる、という何ともおせっかいな企画です。(記録映像はこちら

 もちろん、われわれはただの親切心で企画をしたわけではなく、とにかく「区役所」という場にモチベーションがありました。不特定多数の人びとがやってくる区役所で、架空の課を開設し、本来はない窓口をつくる。そういった遊びのような思いつきから企画は進みました。
 結果、本当に居間 theaterのこともアートステーションのことも知らない区民のかた、どこから来たんだろうというかた、さまざまな人が窓口を訪れてくれました。


 また2016年には、「アートステーション構想」の事業がその年度内で終了することになり、「としまアートステーションW パフォーマンス待合室」という企画をおこないました。駅直結のスペース(もともと、アートステーション構想の拠点「Z」)を、始発から終電まで利用できる待合室にしつらえ、「待つ」場所としてオープンしました。

 「待合室」に込めた意味は2つあります。アートステーション構想の(事業としての)終わりを待つこと。そして、アートステーションという考えかたが人やまちに残り、いつの日かアートステーション的な活動がさまざまなところに芽吹くのを待つこと。
 ここには、複雑な背景がありました。アートステーションという考えかたは、どうしても簡単に成果はでないもので、かつとてもゆっくりな歩みをしていくものだと思います。(そしてそのチャレンジにこそ意味があるはずです。)一方で、この事業はNPOである事務局と、区や都といった公共機関との共催でおこなわれていました。公共事業の中で、区民自身のささやかな創作活動を広げていくというチャレンジをしてきたアートステーション構想は、年度制での進行・短期的な評価軸・平等性などの性質をもつ行政的な仕組みに上手くはまることはとても難しいと思われます。そういった仕組みの都合上、ある段階で行政主体の事業としては終わりを迎えなければならなかったのだろうと、われわれは認識しています。
 一方で、アートステーションとは考えかた・概念でもあります。そういう意味では、これまでの事業展開ですでにアートステーションの種は蒔かれていたのではないか、とも考えました。

 そういった背景を鑑みてつくられた「待合室」は、お葬式に似た企画だったように思います。終わりを見送り、けれど人びとのなかには残りつづけるよう、みんなで待合室でともに時間を過ごす。もちろん、立ち寄ってくださったかたにそんな重いコンセプトを全て感じ取ってもらいたかったわけではなく、何かの待ち時間に利用したり、目的はなくともその空間で過ごしてもらうという時間が何より重要でした。
 目的もコミュニティもバラバラな人びとが、ひとつの場所に集い、一時同じ時間を過ごして去っていく。そういう時間をつくることが第一の目標にありました。そのなかでほんの一部分、アートステーション(の終わり)に触れる機会があるのです。



 ふだんは出会わない人びとが、偶然同じ空間にいて、一時同じ時間を共有する。ふだんは素通りしたり、知らなかった場所や時間、出来事に出会わせる。それぞれの根底には各々のコンセプトがありますが、窓口も待合室も、方法としては根本的に同じようなことを目指していたように思います。

 「としま」での2年にわたる企画は、挑戦と発見をできたありがたい機会でした。
 公共的な空間で、さまざまな人が一緒に時間を過ごす。それは劇場のような場所に近いかもしれません。
 一方で、みんながみんな同じものを見たり体験しなくてもよい、思い思いに自分の時間を過ごせるような仕組みを同時につくっていました。それは居間のような場所に近いかもしれません。

 「居間的で劇場的でもある場所のことを考え中」とわれわれはプロフィールに書いてきましたが、その興味は少しずつ広義になっていきました。

◆生活/まち/公共

 「としま」で経験した空間や時間のつくりかたは、われわれの活動をより広く、そして複雑にしていきました。
 
 2017年からはじめた「空想型芸術祭 Fiction 東京/西京」は、いまも進行中の企画です。
 空想地図作家・地理人さんと協働で進めている「Fiction」は、現実の都市・東京と空想の都市・西京で体験する芸術祭という、なんともややこしいものです。ですが体験方法はシンプルで、東京や西京で音声作品を聴いて想像してもらう、というだけなのです。(ぜひこちらから体験してください)

 芸術祭と名乗っているのは、態度(想い)の表明です。都市から地域に出かけていって旅をしながら出会える芸術祭がたくさんあるのだから、都市でふつうに生活しているうえで出会える芸術祭もあったらいいんじゃないかと思い立ったのです。
 ここには、アートステーションという考えかたに触れた経験が大きく影響しています。生活とアートという問題意識と、それに関する興味です。いつもどおりの生活サイクルに、スッと入り込んでいけるもの。ふと思ったときに取り出せるもの。都市の時間の中で、体験できるもの。そういったものがつくれないかと考え、現在進行形でチャレンジをしています。

 そしてもう一つ、都市という「場」のことを考えています。
 音声を聞く場所を探そうとしても自然と公共的な場所(公園のベンチ、電車、地下道……)ばかりしか居られる場所はありません。公共的な場所は誰のものでもあるはずですが、そこにはやはり居心地の良さ・悪さがそれぞれあり、場所自体のルールも存在します。
 都市(とくに東京)はとにかく手ざわりのない存在・概念のように思えます。そんな都市のなかで、なにか別の時間・別の空間になる体験はどうしたら生まれるのでしょうか。そして「Fiction」はそんな都市のなかで、しかも公共的な空間で、ひとりで音声を聞きます。それはいったいどんな時間であるべきなのか。そして都市や、まちを歩く他者と、どう共在しながら居られるのか。
 都市、公共、芸術祭。ひとり、共在。いくつかのキーワードとともに、「Fiction」は現在進行形で続いています。

(photo:加藤甫)

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 ……ここまで活動遍歴を並べてみると、興味関心が点在しているなぁと自分たちでも思います。
 一方で、初年度から言い続けている「場」というキーワードから、時間・生活・都市・公共……さまざまな興味の点は細く繋がっているとも思うのです。そして2018年の活動をへて、2019年現在、また次の活動に繋がっています。

 次回は2018年の活動をふりかえりつつ、居間 theaterはいったい何をやっているのか、書いてみようと思います。(つづく)


(文:居間 theater 東彩織)

 

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