忘れられない取材

私事ですが、本日は私の誕生日であります。

33年前の11月26日、私は愛媛県立今治病院で生まれました。

今までの人生。8割弱が都民生活ですが、今治出身であるというアイデンティティーは常に持っています。

今回は今までいちばん嬉しかった誕生日の話を書いています。


5年前の今日、JFL昇格を決めた!


2016年11月26日。地域CL決勝ラウンド2日目。

この日、FC今治はこの年のJFL昇格条件であった地域CL2位以内を確定させた。

第2試合の結果待ちだったので、選手達は現地におらず、絵になるような昇格シーンではなかったのかもしれない。ただ、ようやく手にした全国リーグの切符である。

今治の名を叫び、日本全国飛び回りたい。チーム名がFC今治に変わった2012年からその想いだけが私の今治サポーター人生を支えていたと言っても過言ではない。だから5シーズン、嫌なことも沢山あったが辞めずに戦い続ける事が出来た。嬉しくないはずがない。残っていたサポーターと握手を交わし、数少ない先輩サポーターとは抱擁を交わし喜びを分かち合った。

試合後にはスタンドに残っていた岡田オーナーにも簡潔にだが、感謝の意を伝える事が出来、喜びを噛み締めながらスタンドの外へ出た。


忘れられない愛媛新聞の取材


スタンドを後にし、スタジアムの外へ余韻に浸っていた。来れなかった先輩サポーターに電話をいれたり、お世話になった方にメール入れたり、祝福のメールに返信したり・・・

そうこうしているうちに新聞、テレビ等の取材が続々とやってきた。

地域リーグにしては異常なまで注目が高かった当時の今治。この日も全国ネット含め数多くの報道陣が集まっていた。

各社、質問の内容はほとんど同じであるが、立て続けに取材を受けた。

こんな自分にカメラやペン持った人が並ぶというのは今までなかったし、今後も一切ないと思う。緊張もあり、あまり面白いことが言えなかったかもしれないが、正直に喜びの言葉を伝えたつもりだ。


そして、少し間を置いて愛媛新聞の取材を受けた。

四国リーグ優勝したのに地域決勝に出られなかった前身最後の年。全国でなかなか勝てなかったリスタート前の3年間、そしてリスタート後からの2年間。これまで戦った日々に想いを馳せながら喜びを語ったつもりだった。

そして、最後。愛媛新聞の取材受けた事がある人なら分かると思うが、最後に住所や生年月日を聞かれる。俺は馬鹿正直に生年月日を答えてしまった。「誕生日は11月26日です」と。

記者は普通にペンを走らせていたが、すぐに気づいてしまった。

以下やり取りである。

「えっ!?今日が誕生日なんですか?」

「あっ、はい。まぁ・・・」

「いやぁ、最高の誕生日プレゼントになったんじゃないですか?」

「そうですね。最高のプレゼントになりました」

その後、この記者がボソッと言った言葉が未だに耳に残っている。

(・・・ そっちの方が面白ぇなぁ・・・)

結果、翌日の愛媛新聞には私の名前の前に「この日誕生日を迎えた」と書かれており、「昇格という最高のプレゼントを頂きました!」というコメントが記載されていた。

私がFC今治を応援していた5シーズンの想いは自分の誕生日というクラブにもサポーター活動にも関係のない、どうでもいい話に負けたのだ。


最後に


あれから5年ですか。長いような短いような・・・

今回の話はだいぶ前から笑い話にしています。今までの人生で何より嬉しかった誕生日プレゼントなのは間違いないないですから。


あの地域CLを勝ち抜くのは過酷で、応援する側も大変です。

一昨日も地域CLの決勝ラウンドを現地観戦しました。本当にフラットに観るには面白い大会ですが、スタンドで必死になって応援するのはもう勘弁です。今年は勝ち抜いても更に入れ替え戦がありますので、本当に大変だなと。


今治も全国リーグに出て5年。あの時、私は5年後の事など考える余裕もありませんでした。

なかなか思うようには行かないけど、大変なことも沢山あるし、これからもきっとあるけど、今治はJリーグで戦っている。この事実はしっかり噛み締めなくてはなりません。

5シーズン目の全国リーグ、FC今治となってから10シーズン目が終わろうとしています。

残り2試合、私も現地に駆けつけてスタンドから応援します。明後日、今治でお会いしましょう!

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