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(地域)コミュニティについて考える:コミュニティは「求められていない」

先日、地元 大府市で開催された「コミュニティは『求められていない』」に参加しました。 ゲストスピーカーは東京都世田谷区在住の吉澤 卓さん、ホストは森山 守さん、イベント事務局は山本 佐知子さんでした。 お忙しい中でイベントを開催してくださり、ありがとうございました。

「コミュニティは『求められていない』になぜ参加しようと思ったのか?」
どうして参加したいと思ったのか、私自身が疑問に感じていました。 その答が見つかるといいな、と思って参加したのかもしれません。

ここ1~2年、たぶん会社を辞める少し前から、私は「地域(コミュニティ)に根差して生きていきたい」と思い始めました。 でも、私が暮らす「まち」について、歴史を学びたいとか、名所旧跡を回りたい、ボランティア活動を主催したいと言った欲求はありません。 自治会や子ども会の役員が回ってきた時には、前例に従い、粛々と役割を遂行していきます。

大人である私よりも、子ども達の方が「まち」のことを良く知っているし、「おい、祭りにいこうぜ」と、友達と誘い合って出かけていきます。 我が家では、子ども達にとって「まち」は地元なのに、私はそう感じないのはなぜだろう? 「そんな私が、地域に根差したいと思うって、意味がわからん」と、参加前は思っていました。

基礎社会と派生社会 by 高田保馬
ゲストスピーカーの吉澤さんから、高田保馬による「基礎社会と派生社会」の概念を説明していただきました。

<基礎社会とは>
血縁・地縁で、直接的かつ自然に人々が結びついている社会である。
言い換えると、人々の共同生活の営みに必要な諸活動が、血縁と地縁を基礎に行われている社会が基礎社会である。
<派生社会とは>
基礎社会を出発点とし、それから派生した社会である。
「類似」を結合基盤とした社会を「同類社会(宗教団体や政党 等)」、「共通の利益」により結びついた社会を「目的社会(会社、協会 等)」と、高田は呼んだ。

参加者が抱えている諸問題
私の解釈を入れて、ご参加の皆さんの主張を大きく二つに分けてみます

「独居老人が増え、親戚も友人もいない土地で暮らす若い世帯が増える中、お互いが助け合って生きて抜いていくために、地域の繋がりが重要である。 例えば大規模災害が起きたとしても、全員が助かる未来、誰一人取り残さない未来をつくるために、地域コミュニティを復活させていかねばならない」

「お互いに助け合う組織は必要だと思っている。 しかし、それが今暮らしている場所の地域コミュニティだとは思えない。 例えば自治会に自治会費を支払ったとして、自治会は私に何をしてくれるのだろうか? 費用負担した分の正当なリターンを期待できない組織に、私は加わりたいとは思えない」

どちらの意見にも共通していると感じたことは、「お互いに助け合う関わりは大切であろう」と言う前提です。 私も同意できます。

前者の意見は「みんなのために」目線で、後者の意見は「自分」目線です。
私は、どちらの意見にも賛同しますが、この議論の中では後者よりの立場を取りたいです(後手持ちで戦ってみたい)。 なぜなら、後者の方が「自分事として、よくわかる」からです。

でも、「みんなのために」も大切なんだよなぁ~、ちょっと後ろ指を刺されるような、「あんた、利己的過ぎるわ」と責められそうな、すっきりしない気持ちがあって、チクチク、プスプスします。

ファシリテーターとして、この両者の対話を支援するとしたら
今回は、一参加者として、気楽に「へー、なるほど」とか、「ほー、そんな考え方もあるんですね(^^)」と、話し合いを楽しんでいましたが。 もし私がファシリテーターの立場だったら、どんな働きかけをしたでしょうか。

「それは、あなたにとって、具体的には何が問題なのでしょうか?」
「その問題について考えた時、頭の中に、どんな囁き声が聞こえますか?」
と言うことを問いかけてみたかったです。 がっつりと、自分事・自分の問題として捉えたときに、何が不安なのか、何を恐れているのか、そこを引き出せると、前に進むための次の一手が浮かびそうだなと思っていました。

近代では、基礎社会で行われていた諸機能を、派生社会が吸収して分化・拡大する傾向がある。 (コトバンク:日本大百科全書(ニッポニカ)による)
話を基に戻します。 やや対立的になった二つの意見をお聞きしていた私は、「昔は、血縁・地縁の基礎社会に頼るしか生き延びる術がない人が多かったのだろうなぁ。 私の親世代(70代半ば)になると、派生社会である会社や組合が、基礎社会の役割を果たすようになったんだろうなぁ。 今や、私やその下の世代では、どこがその役割を担うのだろう?」と疑問に思いました。

コミュニティは「求められていない」で得られた私の結論
その夜帰宅した後、なんとなく考えていたことを、以下にまとめます。

私と家族が、生き抜いていくために、お互いに助け合うことを求めている。
しかし、「お互いに」の相手が誰なのか、実はよくわかっていない。
 ⇒ 地域に根差したいと思っているけれど、中途半端になっている。
基礎社会では、私は…
○ 人間として、受け容れられたい
○ 誰かの役に立ちたい
○ 安心して暮らすために、仲間と繋がっていたい

派生社会では、私は…
○ 目標を達成したい
○ 何事も合理的・効率的に実施していきたい
○ 目標を達成するために、仲間と連携していきたい

基礎社会の諸機能を、私たちは本能的に求めているのかもしれないな、でもその基礎社会の諸機能を担うのが、今やどこかよくわからないから、不安になるし、「地域コミュニティ復活のために何かしなくては!」と思うのだろうな、と言う仮説を立てることができました。 この仮説が正しいのかどうか確かめていきたいと思います。

コミュニティは「求められていない」ー
なかなか刺激的でありました(^^♪

いまここプラス