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私は構成されている〈おとうさん、ありがとう〉

2021年4月から、一般社団法人 日本体験学習研究所(JIEL、ジャイエル)の研究員になりました。私はそこで、「体験学習×アプリシエィティヴ・リーダーシップ」について、探求しています。

アプリシエィティヴ・リーダーシップと言うと、外国製でなにやら怪しげ、或いは騙されそうな印象を持つかもしれません(私がそうでした)。私の言葉で言い換えてみると、「相手の存在をそのまま受け容れ、相手と私自身の成長を支援するリーダーシップ」なんてどうかなぁと思います。

はじめに

最初に、JIELについて簡単にご紹介します。
代表理事・所長は、南山大学名誉教授の津村俊充(つんつん)で、名古屋市の地下鉄原駅近くにあるヒューマンコラボレーションセンター(HCC )を拠点にしています。

JIELのコア・プログラムは「Tグループ」で、「組織開発の探求」などの書籍で頻出するトレーニング・プログラムです。その他、「グループ・プロセス・コンサルタント・トレーニング」や「人間関係づくり入門」、「共感で繋がるアサーション」などの講座を企画・運営しています。

再び組織に所属して感じた「構成されている私」

さてさて、少しずつ本題に入っていこうと思います。
私は、1995年4月に名古屋にある民間企業に就職し、2018年1月まで勤めました。入社当時はたぶん120人くらいの規模でした。そして退職するまで、20年ちょっと過ごすうちに、500人くらいの規模になっていたと思います。

2018年1月から2021年3月までは、失業給付金をもらったり、個人事業主になったり、こぢんまりとワークショップを開催したり、ゆるいパートナーシップ(協同関係)で仕事したりしていました。

そんな風に、3年と少しの期間をぷらぷら気楽に過ごした後に、研究員としてJIELに所属することになりました。年度初めにメールアドレスと名刺をもらえて、すごく気分が上がりました。再び組織に所属できること、しかもJIELの研究員になることが、とてもとても嬉しかったのです。

2021年4月から、再び組織に所属したことをきっかけに、と言うかそれが刺激になり、私の中に在る様々な「声」を認識しました。例えば…

「意見があったら手を挙げて伝えなさい。反対意見こそ、勇気を持って、
丁寧に言葉にしなさい。決めるまでの過程を大切にしなさい。皆で決めた
後は、黙って決まり(ルール)に従いなさい」 by 父(既に他界)

「もしも『この決まりはおかしい』と思ったのなら、決まりを変更するよう働きかけなさい。『決まりがおかしいから』を理由に、自分勝手に決まりを破ってはいけない。決まりを変えて、決まりを守りなさい。それが社会だ」 by 父(既に他界)

そんな風に、私に「社会とはなんぞや」、「決まり(ルール)に従いなさい」と繰り返し伝えてくれた父ですが、彼こそ自動車の運転やら家族との約束やら、かなりアウトローだった気がします( ´艸`)。三つ子の魂百までとはよく言ったもので、ちゃんと私の心に刻まれて残っています。

大学時代、研究室での出来事から、心に格納されている言葉もあります。

「複数人で一つの事に取り組む場合は、状態を識別できるようにしなさい。実施済みと未実施を明確に分けなさい。重複したり、抜け漏れがあっても、個人を責めてはいけない。明確にできていないことを全員で反省しなさい」

「もしも、何の表示もされずに、実験道具が出しっぱなしになっていたら、見つけた人が片付けなさい。片付けられたことに文句を言ってはならない。触ってはいけないものには、表示をつけて全員に分かるようにしなさい」

「気の合う人もいれば、うまく意思疎通できない人もいる。授業やバイトで顔を合わす時間も無い人もいるだろう。世の中そういうものだ。その中で、世界と戦っていく、成果に繋げられるにはどうできるか、考えていこう」

会社員時代に受け取った言葉もたくさんあります。例えば…

「マニュアル通りに作業しようとして、ミスをしてしまった人がいた時に、その人を責めてはいけない。あなたが見落としていた改善ポイントを、その人から教えてもらえるチャンスとしなさい」

「手間暇がかかる作業や、熟練が必要な作業こそ、自動化する方法を考えなさい。社員の大切な頭脳やスキルを必要とする仕事は、別にあるでしょう」

「緊急かつ重要な局面での意思決定は、トップがする。その時、メンバーが二つ返事で従えるかどうかは、平時の信頼関係構築に懸かっている」

この4月に、再び組織に所属したことをきっかけに、私自身はこれまで生きてきた中での様々な経験や、受け取ってきた言葉から構成されている(つくられている)んだなぁ、としみじみ思いました。

これまでの「経験」や「受け取った言葉」、それらに対する「意味付け」の一つひとつが、積み木やブロックのように積みあがって、今の私がつくられていると言う感じです。読んでくださっている方には、伝わりにくい表現になってしまい、すみません。

個人的にとてもおもしろく感じているのが、「私が積み上げてきた」とも、「誰かに積み上げられてきた」とも思わない、と言うことです。一所懸命に生きてくる中で、自然と積みあがってきたんだなぁ、と感じています。

もう一つ、おもしろく感じていることがあります。一つひとつのパーツは、積み木やブロックのイメージなので、「なでなで」したり、「ちょっと、あちらに置いておこうかしら」と遠ざけたりすることができそうなのです。

そんな風にイメージすると、今の私をつくり上げている経験を、とても気楽に振り返ることができそうだし、「おとうさん、いろいろ教えてくれて、ありがとう。教えてもらった通りには行動できない私だけど、ちゃんと心に留めて生きていきます」と感謝もできそうです。

そして感じた「周縁化されていく私」

JIELという組織は、現時点での構成員は、全員が「ラボラトリー方式の体験学習」を軸に研究テーマを持って活動しているので、その意味で凝集性の高い組織だと言えると思います。

一方で、会いに来ていただければ一目瞭然かと思うのですが、「個性」と言う面では、一人ひとりの「ちがい」は明らかで、感受性や物事へのフォーカスの仕方、紡ぐ言葉の面では、非常に多様性豊かな組織です。そして、その「ちがい」を大切にして、ちがったままにして、そのまま飲み込んでいこうとしている点も、JIELの大きな特徴だと思います。

そんな「ちがい」を大切にする組織にいても、私は徐々に「周縁化されていく私」を感じざるを得ませんでした。私なりに言い換えれば、振る舞い方がわからないことからくる「なじめなさ」や「ひとりぼっち感」、「寂しさ」などを抱えていたのです。

正直なところを言えば、自らを周縁化していかないように、私は結構気を付けていました。そして、「誰も私を周縁化しようとしていない」ことも理解しているし、JIELと言う組織には「誰一人、周縁化されることのない組織にしよう」という願いが浸透し、溢れ出ていることも肌身で感じています。

おそらく、私のパーソナリティとして、「周縁化されていくと感じやすい」し、「ひとりぼっちになりやすい」のだと思います。それは、私のDNAレベルのことかもしれないし、両親や教育、社会の影響かもしれません。

私という存在を構成している積み木やブロックの一つひとつに、「周縁化要素」があるかもしれないし、積み木やブロックの積み方により「周縁化されていく」のかもしれません。

しかし、今回感じているこの「周縁化されていく」感覚に限って言えば、「私がしむけている」ものでも、「誰かが意図している」ものでも、決してありません。

だとすると、どういうことか?
「周縁化されていく私」は、避けられないということなのでしょう。そして、「そうか、避けられないのね」と思うと、「大丈夫、なんとかなる」とか「わかっていれば対処できる」と前向きに思えてくるから、人ってとっても不思議です。

探求はつづく(世界はちくちくするけど面白い)

実は、組織に所属していなかった3年ちょっとの「ぷらぷら」時代には、「周縁化されていく私」は、ほとんど現れてきませんでした。ゆるいパートナーシップの下でチームを組んで仕事をすることもありましたが、まったくと言ってよいほど、感じませんでした。

そういう「ぷらぷら」は気持ちよくて大好きです。しかし、今は「体験学習×アプリシエィティブ・リーダーシップ」を探求していくために、JIELに加わり活動していきたい、と言う気持ちが強くあります。

おそらく、組織に所属することで、この「周縁化されていく私」は何度でも登場してくるのでしょう。私の思いが強ければ強い程、その度合い、身体感覚で言えば、顔から喉、胸の辺りを針でぷすぷす刺されるような、「ちくちく痛い感覚」は強くなっていくのでしょう。

「ちくちく痛い感覚」を、探求の代償と捉えることもできますが、今は「私の内面を探求していく手掛かり」と感じたいと思っています。それはそれで、面白そうじゃないですか?

おわりに

今日は、「私は構成されている」というタイトルで、①構成されている私と②周縁化されていく私について書きました。読んでくださり、ありがとうございました。

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