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希少性の逆転について考えてみる

KENTARO KOBAYASHI LIVE POTSUNEN 2006 『○ ~maru~』のコント演目に「ヤギさん郵便」というものがある。都会に出た白ヤギと、田舎に残った黒ヤギが、互いの近況を文通で伝え合うという1人芝居だ。

序盤、都会に出たばかりの白ヤギが、田舎との違いに驚いた様子を手紙に書く。その中の一つ。

「水が・・・売ってた!!」

このセリフに笑いが起こる。私も笑った。

(厳密に言えば、水道水はタダではないので水は常に買っているわけだが)、2006年というとまだペットボトルの水を買うというのが今ほど一般的ではなかったように思う。それが、今では私にとって当たり前の風景になっている。


花粉やウィルスを防ぐため、マスクをつけるようになった。昔は、マスクはほとんどの場合、風邪をひいたり体調が悪い人がつけるものだった。今では、マスクをつけていない方が周りの目線が痛かったりもする。いつか、「空気」も買う時代が来るのかもしれない。(実際売ってる)


私たちはよりよい世界を求めて開拓と開発を繰り返してきた。結果、それ以前持っていたものと新しく作ってきたものの希少性の反転が起こり、価値が逆転しつつある。


山遊び、泥んこ遊び、友だちと野球やサッカーをやる、田舎に帰る、田植えをする。今は、お金を払って体験することも増えている。


ここで言いたいのは、開発をやめようとか自然にかえろうとかそういうことではなくて、


反転しつつある世界の中で、私は何を選択して生きていくのかなというぼんやり考えたことを書き出してみた、ということである。