見出し画像

最後の離任式②

離任式が終わった後、校長室から出てきたら、生徒たちがたくさん廊下にひしめいていた。みんな、離任する先生にお手紙を渡したりして、別れを惜しんでいた。

突然学校に来られなくなり、生徒にも4か月あまり会っていなかったし、そこまで惜しまれることもないだろうと思って通り過ぎようとしたら、予想に反して、私の名前を呼ぶ声が聞こえた。

振り返るとそこには涙をぽろぽろ流している女子生徒がいた。私に手紙を渡しながら、「先生どうしてやめちゃうんですか・・・」「先生の授業をもっと受けたかった・・」「先生・・・」あっと言う間に数人の生徒に囲まれてしまった。私は驚くとともに、そんなにも生徒たちが慕っていてくれたのか・・となんとも言えない気持ちになった。

自分の中では頑張れば頑張るほど空回りしている気がしていた。そんな自分はもう学校には戻れない、戻ってはいけないと思っていた。涙を止める事が出来ない女の子に「ごめんね・・。でも〇〇は本当にそのままでいいからね。私もずっと夢だったジャズシンガーを今ようやくやりはじめたところなんだよ。だから、いつかどこかで私がジャズを歌ってるのを見かけたら声をかけてね」と言うと、その子の顔が一瞬ぱぁーっと明るくなって「ほんとですか?先生の歌、聴きたいです!」と言ってくれた。
男子は少し照れながら、「先生のYouTubeたまにみんなで給食中に聞いてたんですよ~」「先生、30代後半に見えました~」などと言ってくれた。

その後、ある男子生徒が来て私をまっすぐに見ながら、一生懸命考えてきてくれたであろう言葉を、不器用ながらも懸命に伝えてくれた。残念ながら、その頃になると頭がぼーっとしてきて、その子の言葉の一つ一つを思い出すことができない。でも、その子が一生懸命に伝えようとしてくれていることは、痛いほどわかった。

手紙や手作りのカードをくれた子、手作りのお菓子をくれた子、お菓子で作った花束をくれた子・・。「私は本当に辞めてしまって良かったんだろうか?この子たちの卒業を見送りたかった。」という気持ちと「でも、もう学校には戻れない・・戻る気力も無いし、熱意を失ってしまってはもう教壇には立てない。」という気持ちが行ったり来たりしている。今でも・・・。

「保護者の方が見えてますよ。」と言われ、玄関に出てみると、一人の生徒とそのお母さんが立っていた。お母さんはボロボロと涙を流しながら、「先生のおかげで本当に救われました。3年生になったらまた担任をしていただきたいと思っていたのに・・・。本当にありがとうございました。」と、「こんなに小さくてすみません・・」と言いながら、笑顔の可愛いその子のように小さなかわいい花束をくれた。1年生の時に担任をしたお子さんのお母さんで、一生懸命なあまり子育てに悩み、追い詰められて相談に来られた方だった。
何度か専門の先生と一緒に面談し、進路についても一緒に考え、「お子さんの良いところを認めて伸ばしましょう」という話をしたのだった。私もさまざまな経験を重ね、うんと子育てに悩んできて、そのお母さんにも自分の失敗談や経験などを話していた。お母さんが先の見通しが立ったことで、余裕が生まれ、子どもも生き生きと学校生活を楽しめるようになった様子だった。
「私の方こそお役に立ててうれしいです。本当に良かったです。本当にありがとうございました。」
その小さな花束は、どんな大きな花束より、今もご先祖様の前に置いてある花瓶で私の心を癒してくれている。

不登校だった生徒から預かったというプレゼントと、一言だけ「先生ありがとうございました。」と書いてある手紙も受け取った。もう会って話すすべもない・・。

家に帰って、持ち帰った荷物を片付け、一段落したところで、ゆっくりと生徒からの手紙を開いた。
「1年生、2年生と英語の授業を教えてくださり、ありがとうございました。〇〇先生の授業は、歌を歌ったりゲームをしたりするのがとても楽しくて今でも忘れられないくらい大好きです。そして、〇〇先生がいなくなって違う先生が来たとき、(その先生には申し訳ないけど)全然授業が分からなくて、〇〇先生はすごいな~とあらためて実感しました。これからも大変なことがあると思いますが、心身を大切にしてください。」
「1年間英語を教えていただきありがとうございました。授業中にあてられて、分からなかったところを優しく教えてくれたことがとても心に残っています。Ms〇〇が休んでいたとき、私のクラスの人全員が「早く帰ってこないかなー。」「Ms〇〇の授業受けたいなー。」と言っていました。なので学校を去るのがとても悲しいです。最後に1時間授業を受けたかったです!!!また会って話せる日を楽しみにしています。」
「今までお世話になりました!〇〇先生の授業は楽しくてとっても好きでした!〇〇との絡みがとっても面白かったです(笑)途中体調を悪くしたと聞いてクラス全員が心配していました。みんな1か月に1回は「〇〇先生の授業受けたい」と言っていました。〇〇先生のバンドの動画も見ていました!先生の歌声がすごく好きです♡本当に今までありがとうございました。これから英語の勉強で疲れていたときは〇〇先生のことを思いだしてがんばりたいと思います!」
「約2年間ありがとうございました。先生の授業はわかりやすく、クラスのペースに合わせてくださっていたので、とてもありがたかったです!音読をするときは、しっかり発音(意味)を教えてくださったので、テストでは高得点を取ることができました!最後の3か月間は先生の英語が世界で一番わかりやすいと思いました。」
手紙を読んでいるうちに涙があふれて止まらなくなった。

私の授業をこんなにも楽しみにしてくれて、私の復帰をこんなにも待ってくれていたのかと思うと、申し訳ない気持ちと、続けられなかった悔しさと、生徒に対するいとしさがあふれてきた。今もこれを書きながら涙が出てきてしまうほどだ。

楽しい授業を組み立てたり、子どもたちと英語のゲームをしたりするのが大好きだった。自分の好きな歌の歌詞カードを作り、生徒よりも大きな声で熱唱していた。しょうもないダジャレを言って場の空気を凍らせたりして生徒の反応を楽しんでいたりもした。最後の1年、あんなにも辛くて毎日学校に行くのが嫌で、早く解放されたいと思っていたのに、楽しかった授業の事がやたらと思い出される。

あんなになりたかった正規教員に、学生に交じって塾にまで行って試験を受け、やっとなれたのに、なぜたった2年でこんなに追い込まれてしまったのだろう?
私はただ、生徒と楽しく授業をして、小学校から中学校までの英語教育をつなぎ、かつて毎日夢中で英語を勉強していた中学生時代の私のように「英語を学ぶことは楽しい!」と思ってくれる子どもたちを増やしたかっただけなのに。そして、「言葉や文化が違ってもみんな同じ人間なんだよ」と伝え続け、子どもたちが大人になったときに世界中の人と仲良くなって世界が平和になったら素敵だな、と、「教育は未来を創る仕事だ」と思い、この仕事にやりがいと生きがいを感じていたのに。

まだ道半ばだったことを思うと、悔やんでも悔やみきれない。

ほとんどは、捨てたり譲ったりしたが、長年愛用したスタンプなどの道具類がどうしても捨てられず、100均のかご2つ分だけ残った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?