ヤンキー漫画LOVEな筆者が『東京卍リベンジャーズ』にハマれなかった理由
今年の1月にずっと買おうか悩んでいたKindle Paperwhiteを購入した。
小説や漫画は好きなのだが、いかんせん紙媒体だと一人暮らしのアパートでは置き場がなくなってくる。引っ越しのときにも大変だし、だからといって愛着があるので捨てたり売ったりもできない。
漫画は最近だとアプリなどスマホの画面で読むことに慣れてもいたので、だったら電子書籍でいいのではないかと思ったのがきっかけだった。
それからは一ヶ月に1タイトルは気になる漫画を大人買いするようになった。
『東京卍リベンジャーズ』もその中の一つだ。もともとアプリか何かの【○巻分無料公開!】みたいなキャンペーンで軽く読んだことはあり、いつか手を出そうとは思っていた。
筆者は子供の頃からヤンキー漫画が大好きだった。これは完全にヤンキー漫画好きの父の影響だ。原点はきうちかずひろ先生の『ビー・バップ・ハイスクール』と森田まさのり先生の『ろくでなしBLUES』で、子供の頃はよく父親の本棚から勝手に持ち出して読んでいた。
他にも平川哲弘先生の『クローバー』、細川雅巳先生の『シュガーレス』、市川マサ先生の『A-BOUT!』、南勝久先生の『ナニワトモアレ/なにわ友あれ』などなど……列挙すればキリがないほどヤンキー漫画を読んできた。
そんなヤンキー漫画LOVEの筆者が『東京卍リベンジャーズ』と出会うのは必然であり運命だった。
実写映画化やアニメ化で一大ブームを巻き起こして久しい作品なので知っている人が大半だとは思うが、軽く概要だけ触れておく。
『東京卍リベンジャーズ』は2017年3月から週刊少年マガジンで連載されており、作者は週刊ヤングマガジンで2005年から2013年まで『新宿スワン』を連載していた和久井建先生だ。『新宿スワン』の頃とは絵柄がかなり変化していて、初見で気づかなかったという人も多いのではないだろうか。
不良だった主人公が中学時代へのタイムリープ能力に目覚めたことを機に、かつての恋人が殺害される運命を変えるべく元凶となる暴走族チームで成り上がる姿を描いたサスペンス作品。(Wikipediaより引用)
上記が『東京卍リベンジャーズ』のストーリーなのだが、このヤンキー漫画にSFを組み合わせるという斬新さには驚いた。しかも前作が『新宿スワン』というスカウト業界の裏側を生々しく描いていたあの和久井建先生がというところが余計に意外だった。まさかヤンキー漫画の世界に『時をかける少女』を組み込んでくるかと。
そして話は戻るが、Kindleを手にして置き場所というこの世の理から開放された筆者は意気揚々と『東京卍リベンジャーズ』をその当時刊行されていた21巻まで一気にポチった。
あれから数ヶ月が経ち、現在(2021年11月)では24巻まで刊行されている『東京卍リベンジャーズ』だが、筆者のKindleには22巻までしか入って(購入して)いない。
買い忘れ?溜めてから一気に読みたい派?いやいや、そうじゃない。
私は『東京卍リベンジャーズ』にハマれなかったのだ。
前置きが長くなったが、今回はなぜ筆者が『東京卍リベンジャーズ』にハマれなかったかを説明していく。
その理由はたった一つ。シンプルに「タイムリープの設定に違和感を覚えてしまったから」である。
ではそもそも、タイムリープとはなんぞや?というところから話を始めよう。
「タイムリープ」は一般的に「自分自身の意識だけが時空を移動し、過去や未来の自分の身体にその意識が乗り移る」という意味で使われており、自分自身が意識・身体とも時空を移動することを意味する「タイムトラベル」と使い分けられていることが多い。この意味における「タイムリープ」では、自分自身が産まれてから死ぬまでの時間が過去や未来への移動範囲の限界となる。また、同一時空に同一人物が2人以上存在する矛盾も発生しない。ただし一部の作品においては「タイムトラベル」と同じ意味で「タイムリープ」と表現されているものもある。(Wikipediaより引用)
現代の叡智の結晶であるWikipedia先生によると、上記がタイムリープの概要らしい。
わかりやすく作品で例えるなら、タイムスリップは『ドラえもん』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』、タイムリープは『時をかける少女』や『バタフライ・エフェクト』ということになる。
『東京卍リベンジャーズ』は公式にタイムリープ方式だと明言されているし、作中の描写を見ても明らかだ。引用元にあるように「同一時空に同一人物が2人以上存在する矛盾」もない。だが『東京卍リベンジャーズ』には他のタイムリープものの作品にはあまり見られない要素が一つ存在する。
それは「主人公(タケミチ)が過去と現在を行き来する」という描写だ。作中ではタケミチの恋人であるヒナの弟であるナオトと握手することで現在と過去を行き来しているのだが、これが非常にややこしい。
作中ではタケミチ(現在)がナオト(現在)と握手して過去に戻ると、過去に戻った日数と同じ時間だけタケミチ(現在)は仮死状態になっていると説明されている。
つまり、タケミチ(現在)の魂がタケミチ(過去)の身体に入り込んでいるということになる。
その間、タケミチ(過去)の魂ってどうなってるの?
これが筆者が最も引っかかっているポイントなのだ。2巻に収録されている第10話での描写を見るに、どうやらタケミチ(現代)がタケミチ(過去)の身体に入っている間の出来事に関する記憶はタケミチ(過去)には共有されていないらしい。
つまり、タケミチ(過去)の視点だと「まばたきしたら数日~数週間経っていて、マイキーやドラケンといった東卍の幹部たちとめっちゃ距離が近くなってる」というホラーな状況なのである。
過去パートと現在パートが交互に展開されていくのだが、未来で東卍幹部たちと会うシーンがあると「こいつら、タケミチ(現在)が戻ってからどういう気持ちでタケミチとツルんでたんやろ……」とか「こいつ、出会った頃は魅力あったけど急にショボくなったなとか思われたんやろか……」というタケミチ(過去)が現在に至るまでの周りの視線が気になってソワソワしてしまう。
そしてその違和感が限界突破したのが193話(22巻)辺りだ。ヒナの死の元凶でもあった稀咲と決着を付け、周囲に自分がタイムリープしていることを打ち明けたタケミチが仲間との別れを惜しみながら現代に帰ってきたという、これまでの努力の集大成ともいえる大事なエピソードである。結婚式場でヒナはもちろんドラケンや千冬と再開し、感謝の言葉をかけてもらったタケミチが涙を流すという、本来であれば非常に感動的なシーンだ。
タケミチとは本来、臆病でだらしのない性格である。それがヒナの死とタイムリープという能力に目覚めたことによって大きく成長しただけで、そのきっかけがなければうだつの上がらないダメ人間ということは作中でも明確に描写されている。
記憶が共有されておらず成長するきっかけもないまま12年間を過ごしてきたタケミチ(過去)は、タケミチ(現在)と同じくダメ人間ルートまっしぐらだっただろう。過去から現在へ戻ってきたタケミチの生活描写がそれを示している。
それでも、ヒナやドラケンたちは「タケミチ(過去)はどんどんダメ人間になっていくけど、タケミチ(現在)には世話になったからな……」と思いながらタケミチ(現在)と再会できる12年もの間、ずっとタケミチ(過去)を支えてくれたのだろうか。
そんな友情、切なくない……?
これがいかに無粋な難癖かということは筆者自身も重々承知している。人気作の重箱の隅を突いて「俺は漫画をわかってます」アピールをしたいわけでもない。ただ、気になってしまったらもうダメなのだ。
もしかしたらこの空白の期間が今後の重大な伏線になっているという可能性もまだあるわけで、完結していない今の段階でこの作品について結論づけるもの早計だろう。
これだけごちゃごちゃ難癖を付けてはきたが、今後も発売日に即ポチというわけではないがタイミングがあれば読み続けていこうとは思っている。
こんな記事を書いた奴が言っても説得力がないかもしれないが、とても面白い作品なので興味がある方は是非とも読んでもらいたい。
ちなみに筆者が好きなキャラクターは壱番隊隊長の場地です。
【余談の時間】
漫画だと最近は南勝久先生の『ザ・ファブル』と桜井画門先生の『亜人』はめちゃくちゃ面白くてハマった。どっちも実写映画化されていて、その批評も時間があれば書こうかな。
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