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9年間のHIV「誤診」「誤記」に人生を変えられた男:偏見続くベトナムHIV患者の現状

今回は我が愛読紙、Tuoi Treに寄せられた手紙から同紙が取材したという、ある男性「HIV患者」についての記事です。そこには、現在も続くベトナムでの(そして世界の他の国でも)HIV患者への強い偏見と行政の「ミス」により大きく翻弄された男性の人生が描かれていました。

それは村の麻薬常習者に蔓延したHIVウイルスから始まった

2009年、村の若者の間で流行してしまっていた薬物に、Lê Mạnh Linh氏(現在40歳)は手を出してしまいます。しかし、母親はすぐに息子の異常に気が付き「悪い友達とは離れなさい」と薬物に近寄らせないようにしました。

その数年後、村でHIV/AIDSが流行します。Linh氏の友人でもエイズにより死ぬ人が続出する中、彼らと付き合っていたLinh氏はその後「偏見」という闇の中で生き続けることになります。「あいつは中毒者だ」「あいつはSIDA(注:2000年代頃まででしょうか、ベトナムではHIV/AIDSのことをフランス語表現である「SIDA」と呼ぶことが多かった)」と差別を受けることになります。

検査結果ではHIV/AIDSではないのに何故…?

あまりの偏見の酷さに、自らの「潔白」を証明するため、Linh氏はHIV検査を受けました。2011年3月、同年12月には病院で、HIV/AIDS予防センターでは2011年10月、2012年5月、2019年1月と三度も受け、検査結果は全て陰性、つまりHIVウイルスに感染していませんでした。それでも周囲の差別は止まりません。仕事は見つからず、商売をしても彼から商品を買う人はいない、悪質な噂に耐えかねた彼の妻はついに我慢し切れず離婚、子供は親戚の戸籍に入れてもらって「学校に行きやすく」しました。親がHIV患者だと、学校でも言われの無いいじめを受けることがあるのです。

どうして検査を受けたのに、感染していないことを証明したはずなのに、周りは差別を止めないのだ?疑問の答えは意外なものでした。2018年、翌年から国の医療保険に加入するために保険料を納めに行こうとすると役所からは「あなたは納めなくていいよ」と言います。不思議に思い、発給された医療保険証をHIV患者である友人に見せると「このコード番号はHIV患者用という意味だよ」と。慌てて地元医療センターに行くと、何と「2014年のHIV/AIDS患者リストの中に、Linh氏の名前が「2011年に感染確認」とある」という事実が伝えられました。

「誤記」からの「誤診」という「冤罪」

その後、Linh氏はショックもあったのでしょうか、暫く再び薬物に手を出し何カ月もを棒に振ってしまいます。ようやく2019年1月、Linh氏はニンビン省HIV/AIDS予防センターを訪れると、「2011年の検査結果を記録する際に「陽性」となってしまっていたことが確認されましたが、2019年に再確認したところ陽性ではないことが確認できました」とのこと。9年間にわたる「冤罪」状態であったLinh氏は2月にニンビン省保健局に異議申し立てを出しました。彼も家族も自分が「陽性」とされていたことに気が付いていなかったのに、噂は常に周りに付きまとっていた、その噂の出どころはこの記録が出回ったとしか考えられない…と彼は考えました。

今年7月30日、ニンビン省保健局は異議申し立ての「解決」を指示、そして同氏がHIV患者でないことを改めて確認、HIV患者データから彼のことを除外しましたが、もちろん偏見に苦しんだ9年間の時間は返って来ません。Linh氏の父親は「最初から分かっていれば、息子をもっと明るい人生に導けたのに。今からでも息子の人生をやり直させて欲しい」と心の叫びを語りました。

進歩するHIV治療、変わらない周囲の偏見

ここまで紹介した記事を見て、いい加減な事務作業と患者情報の不適切な管理が、一人の人生を大きく変えてしまったことを悲しく思います。そして同時に、ベトナムにおいてHIV患者への目線がまだまだ厳しい偏見で満ち溢れているのをひしひしと感じます。

HIV治療は大きく進歩し、抗レトロウイルス薬と呼ばれる薬をきちんと飲み続ければ、ウイルス量の増加を抑え、普通の人と変わらない生活を送ることができるようになっています。2019年からベトナムにおけるART治療(抗レトロウイルス薬治療)は医療保険を適用し、より地元に近い地方病院で行う方針が打ち出されましたが、その推進の大きな障害が「地元近くだとHIVだということがバレてしまう」という、偏見への強い恐れです。多くの患者がハノイやホーチミンの大都市に来るのは、ドナー支援の薬や国立病院への信頼などだけではなく、地元の偏見の目から逃れてきているという側面も大きいのです。

感染症を巡る偏見と差別は日本でも、どの国でも起きていますが、根拠のない情報を基に差別されるHIV患者(そしてその家族たち)の苦難は、残念ながら今も続いています。

11年間ベトナム(ハノイ)、6年間中国(北京、広州、香港)に滞在。ハノイ在住の目線から、時に中国との比較も加えながら、ベトナムの今を、過去を、そして未来を伝えていきたいと思います。