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サイゴン路上のタバコ売りからアフリカのロイヤルファミリーへ:中央アフリカ皇帝のベトナム人家族のお話

今回はVN Expressで見つけて、自分の好奇心を大変くすぐったこんな歴史秘話を紹介。事実は小説より奇なりと言いますか、動乱の時代だからでしょうか、不思議なことは起こるものですなあ、というお話。時代は1950年代、ベトナムが独立した後にフランスの再介入をうける、「第1次ベトナム戦争」にまで遡ります。(以下、読み易くなるようにちょいちょい自分の合いの手や関連情報も入れながらも、基本はVN Express記事からの抄訳です。)

当時フランス軍としてベトナム戦線に投入されていた兵士には、植民地下にあったフランス領アフリカからの多くの黒人兵がいました。そして、長年の従軍でベトナムに滞在する中、ベトナム人との間に家族を持つ兵士も多くいたそうです。その中に、Jean-Bedel Bokassaがいました。1921年生まれの彼は18歳からフランス軍に入り、1953年にベトナムでの戦争に従軍しますが、そこで出会ったベトナム人女性との間に娘、Martineが生まれます。しかし、ディエンビエンフーの戦いでの敗戦後、フランス軍の撤退と共に彼もベトナムを去ることになります。(下写真の左がボカサ、右は娘を産んだNguyễn Thị Huệ)

その後、1960年に彼の故郷である中央アフリカは独立、職業軍人として名を馳せ力を付けた彼は、1966年に軍事クーデターを起こし、同国第2代大統領に就任します。そして権力が固められた1970年にボカサはベトナムに残した彼の娘を探し始めます。

まあ英雄色を好むと言いますか、彼自身相当「気の多い」皇帝だったようで、彼が結婚した女性の数はなんと20人、子供は100人(!?ただ内50人しか認定しなかったとのこと)というのですから、まあそれはそれは。これでは捜索は難航するのかなあと思っていると、当時のベトナム共和国(サイゴン政権)と現地のフランス領事館の力を借りて、ついに娘が見つかったとのこと。見つけた娘のMartineは、当時17歳、サイゴンの路上でタバコ売りをして生計を立てていました。喜んだボカサは直ちに彼女を自国に呼び寄せ、1970年11月26日父子は感動の再会を果たします。(以下写真には最初に呼び寄せられた「Martine」が写っています。)

ところが話はこれでは終わりません。その後にサイゴンの地元新聞が「このMartineは本当のMartineではない」と伝えたのです。同紙はフランス政府が「故意に違う娘を引き渡してボカサに恥をかかせたのだ」とまで言います。母親がジャーナリストを通じてボカサに連絡し「娘には指にバイク事故に遭った時の傷があるはず」と伝え、娘の捜索は再開します。ベトナム戦争時、黒人兵士とベトナム人女性の間の子供は結構いたそうで、しかも当時有名だったフランス人女優マルティーヌ・キャロルの影響で、娘に「Martine」と名前を付けることも多かったそう。しかし、捜索の結果「本物」が見つかり、「偽物」は中央アフリカで捕らえられることになります。(下写真、左が本物の「Big Martine」、右はその母親Nguyễn Thị Huệ)

しかし、その後ボカサは「偽物」も自らの養子として受け入れ、二人のMartineをBig MartineとLittle Martineとして育てました。二人は後に結婚、1976年にボカサが同国「皇帝」を名乗ると、二人のMartineは皇女になり、シンデレラストーリーは最高潮に達するかに見えました。ところが、ボカサの天下は長くは続かず、1979年にはクーデターに遭い、彼も彼の家族も世界バラバラに逃げていくこととなり、1996年にボカサ「皇帝」は亡くなったとされています。

Big Martineは結婚した夫と共にパリへ亡命、その後母親をベトナムからパリに迎え入れ、子供たちと一緒に生活を始めました。2014年にBig Martineの息子がメディアインタビューに答えたところ、母親はフランスで一生懸命働き、現在はパリでベトナム料理屋を経営しつつその他のビジネスも行っているとのことでした。亡命後にもボカサはBig Martineへ手紙を送ったことがあり、その封筒には「皇女Martineへ」と書かれていたそう。その手紙を見て、Big Martineは「これは私のお父さんからの手紙よ」と息子に話したそうです。(以上、抄訳ここまで。)

遠く離れた中央アフリカのファーストレディ&ロイヤルファミリーにこれだけのベトナム人(の血を継いだ)子孫がいたなんて、まさに小説より奇なりな歴史を感じます。このストーリーは当時の南部ベトナムでも話題になったことのようで、ネットコメント欄には「懐かしいなあ」なんてコメントも。そして、もう一人のLittle Martine、結果的にアフリカのロイヤルファミリーとは縁も血筋も無かったのに、時代に弄ばれるように皇女になった彼女のその後については、この記事では触れられていませんがとっても気になりますよね。海外に、そしてフランスにあるベトナム人社会には、ベトナムの近現代史の混沌を色濃く表した、様々な過去を抱いた人たちが活躍しているんでしょうね。行ってお話を聞いてみたくなる、そんなストーリーでした。

11年間ベトナム(ハノイ)、6年間中国(北京、広州、香港)に滞在。ハノイ在住の目線から、時に中国との比較も加えながら、ベトナムの今を、過去を、そして未来を伝えていきたいと思います。