見出し画像

「嫌われる勇気」を読んで…

最近、「嫌われる勇気」という本を読みました。

正直、今までの考え方が根本から
覆されるような衝撃的な本でした。

人生を悲観している青年と
アドラー心理学を基とする哲学者の
対話形式で進められるこの本は
本当に様々なことを教えてくれました。

その中でも個人的に印象に残った部分を
紹介し、感じたことを書こうと思います。


目次
・健全な劣等感を持つ
・自分の信じる道を選ぶ
・いま、ここを生きる
・最後に


・健全な劣等感を持つ

健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるもの です。

自分は自分と思いながらも、
たまに誰かと比較して
その誰かを羨ましく
思うことがあります。

この言葉は他者と比較する
必要がないことを
改めて気付かせてくれました。

しかし前提として
「理想の自分」がなければ、
必然的に他者に目がいってしまいます。

自分ととことん向き合い、
どんな自分になりたいかを
明確にすることがもっとも
大切なことではないかと思いました。


・自分の信じる道を選ぶ

自らの生について、あなたにできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」、それだけです。一方で、 その選択について他者がどのような評価を下すのか。これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話です。

他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。

誰かが始めなければならない。他の人が協力的でないとしても、それはあなたには関係ない。わたしの助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく。

なにかを決断する時に
必ずといっていいほど、
この選択は他の人から
どう思われるだろうか。
ということを考えてしまいます。

しかしアドラーさんに言わせると
そんなことはどうでもいいこと。

上記の抜粋した本文をまとめると、
とにかく自分が信じる道を行きなさい。
自分がやりなさい。行動しなさい。

ということ。

単純に考えることができれば、
自分の人生だし、人生一回きりだし、
他人に迷惑をかけなければ
自分の好きなように生きればいい。

そんなことを考えていると、
むしろ子供の頃はスケールは違えど
自分に対して素直に生きていたのかな
とも思ってしまいます。

物心がつき、
大人になるにつれて基準が
自分がやりたいことから
誰かの期待に応えることへと
知らず知らずのうちに
なってしまっていました。

もちろん誰かの期待に応えることも
素晴らしいことだと思うので、
自分のやりたいことが同時に
誰かの期待に応えることになると
最高の生き方になりそうです。


・いま、ここを生きる

遠い将来に目標を設定して、いまはその準備期間だと考える。「ほんとうはこれがしたいけど、やるべきときがきたらやろう」と考える。これは人生を先延ばしにする生き方です。人生を先延ばしにしているかぎり、われわれはどこにもいけませんし、味気ないモノクロームの日々が続くだけでしょう。「いま、ここ」は準備期間でしかない、我慢の時期だと思っているわけですから。 しかし、たとえば遠い将来の受験に向けて勉強をしている「いま、ここ」も、すでに本番なのです。

人生はいつもシンプルであり、深刻になるようなものではない。それぞれの刹那を真剣に生きていれば、深刻になる必要などない。

人生における最大の 嘘、それは「いま、ここ」を生きないこと です。

今はそういう時期じゃないから。
今は忙しいから。と
なにかにつけて言い訳し、
行動してこなかったことが多くあります。

人生は常に今が本番で、
時間は限られている。

そんな当たり前なことを
思い出させてくれました。

なりたい自分に毎日、
ちょっとずつ近づけるように。
その近づいていく過程も
全力で楽しみ、全力で取り組む。

いま、ここを
生きようと思いました。


・最後に

「嫌われる勇気」を読んで、
全く新しい考え方に
触れることができました。

今回、抜粋した部分は
ほんの一部であり、
まだまだ学ぶところは
たくさんあります。

全文を読むと、
途中、ここは納得できないかも。
といった部分もありましたが、
都合のいい部分や
参考になる部分だけを
心に留めておくスタンスです。笑

総じて本当にいい本なので
興味がある方はぜひ
読んでみてください!

ここまで読んでいただき
ありがとうございました。





この記事が参加している募集

読書感想文

読んでいただきありがとうございます!