1998:「日本vsクロアチア」

自分の中でも一番長く続いている趣味が「サッカー観戦」です。

もうなんといいますか「呼吸をする」「水を飲む」といったレベルで長続きしている趣味でして、もはや体の生理活動になっている次元です。

ただいつからこれが明確な趣味となったのかよくわからなくなったので、いい機会なので振り返ってみました。

コロコロコミックがサッカー文化の入門書

いきなり話が逸れるんですが、小学2〜5年頃まで『コロコロコミック』を毎月楽しみに読んでいました。小学館から今も発行されているかなりメジャーな少年誌でございます。

ドラえもん、ポケモン、ミニ四駆、スーパーマリオ、ビーダマン、ゾイド、デジモン、ベイブレード、マジック・ザ・ギャザリング・・・etcと90年代に生まれた大方の少年が熱狂したホビー文化が網羅されていたお化け雑誌です。

その中に毎月ほんの数ページですが、Jリーグ関連の特集記事コーナーがありました。年末には読者選定のベストイレブン紹介や、ラモス瑠偉さんをモチーフにした4コマ連載なんかもあり結構面白い仕立ての内容でした。

連載当時は1993年発足の「Jリーグ」もバブルが少し落ち着いた1997年頃でして、世間のサッカーに対する注目は、「日本サッカー史上初のFIFAワールドカップ出場」に全てがあったといっても過言ではありません。

まあ、猫も杓子もとにかく日本代表が全ての時代でした。

世間がそんな中、私はコロコロコミックを読みながら代表選手の名前を少しずつ覚えていきました。中田英寿さんがベルマーレ平塚(現:湘南ベルマーレ)にいて、横浜フリューゲルスも消滅していない時代。

兵庫の片田舎で特にJリーグや中継を観ることもなく、毎月のコロコロコミックを読みながらサッカー選手の名前を覚える日々が続きました。

気づけば始まっていたクロアチア戦

そんな日々が続く中、日本代表は俗に「ジョホールバルの奇跡」と呼ばれるアジア第3代表決定戦のイラン戦を制し、フランス行きの切符を獲得。気づけばワールドカップ本大会が始まっていました。

当時私は小学2年生だったのですが、まあそんな年齢でスポーツニュースを定期的に見ているわけがありません。ワールドカップの情報を日々キャッチする習慣もないため、普通に父親がテレビを見ながらなんか大声を上げているので近づいてみるとクロアチア戦の中継前だったのです。そんな感じで、人生初のテレビにおけるサッカー観戦となるクロアチア戦が始まりました。

※賢明なサッカーファンの方ならおわかりかもしれませんが、記念すべき日本のワールドカップ初戦であるアルゼンチン戦はこの時点で見逃しております。もしタイムマシンがあったら、当時の自分を力づくでテレビの前に誘導したい次第です。

クロアチア戦を観る

何かよくわからないまま、クロアチア戦は進みました。本気でやかましい応援をする父親に適度に解説をしてもらいながら、少年は静かに試合を見ます。

当時の日本代表はキャプテンに井原正巳さん、エースナンバーの10番は名波浩さん、前線には魂のストライカー 中山雅史さん、そして既に世界と戦えるレベルにあった若干21歳の中田英寿さんと当時の日本サッカーにおける最高戦力が揃っていました。

かたやクロアチアは「東欧のブラジル」と呼ばれた旧ユーゴスラビア代表から独立後初のワールドカップ。シュケル、ボバン、プロシネチキと当時は気づきませんでしたが欧州のメガクラブでレギュラーを張るワールドクラスの化物がいる強豪。

試合は0-1で敗北。この時点で日本のグループリーグ敗退はほぼ決定したのですが、よくわかっていなかった私は、なぜこの1敗で横に座っている父もテレビの向こうの選手も解説のおじさんもここまで落ち込むのか不思議でしかたなかったのです。

そのまま、ほぼ消化試合となったジャマイカ戦も見て私の初めてのワールドカップは終わりました。

大会後に起こった謎の反射行動

そんなこんなでワールドカップ終了後のコロコロコミックを読んでいると、さっそくワールドカップ振り返り特集のページが載っていました。

ここらへんからサッカーから伝わる妙な刺激が心を揺さぶり始めます。

特集では、バティストゥータやシュケルがどれほどすごかったか、ジャマイカ戦でワールドカップ史上で日本初の得点となったゴンゴールがいかに偉大な記録なのかが解説されていました。

単純な少年は記事のテキストや見出しのコピー一つ一つに痺れていきます。そんな中で、反射的に父親へ頼み事をしました。

「お父さんが録画していた、アジア最終予選のビデオ全部見せてほしい」

もしかしたら父親はすごく嬉しかったのかもしれません。長男が自分の趣味の一部に興味を持ったことが。

それから父は自分が録画していたVHSの映像や、購入していたワールドカップ総集編号をたくさん見せてくれました。もともと父と仲が良い状態ではありましたが、新しいコミュニケーションの形が生まれました。

そして日本代表はフィリップ・トルシエ氏を監督に迎え2002年の日韓共同開催のワールドカップへ向けて進み始めます。

ただ、サッカー観戦が長きに渡る趣味として確固たるポジションを築くのはもう少しあとの時期になります。

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