村上育朗 『心を動かす教育論』

受験は、大人になるためのチャンス

かつて、子どもが大人になるためには、様々な通過儀礼があった。しかし、現代社会には、かつてのような通過儀礼がほとんどなくなってしまった。このような時代変化の中で、「受験」は現代社会に存在する、数少ない通過儀礼の一つなのだと私は思っている。(中略)社会では、一般的に、受験を否定的にとらえる風潮が強い。しかし、私は決してそうは思わない。受験を試練と受け止めて、乗り越えようとする努力が、子どもが大人になる貴重な機会になる。受験という競争は、誰にも頼ることができず、自分一人で活路を切り拓かなくてはならない。
[受験を通して生き方を模索する]
大切なのは、自分の中で絶対値を持つことだ。手段と目的を履き違えてはいけない。受験の根本にあるのは、その人自身の生き方であり、生き様なのだ。生徒に、自分の生き方を決めさせて、自分の筋を通させる。大学受験というのは、自分の人生の筋を貫く最初の関門なのだ。

失敗を成功の元とするために

私はいつも生徒たちにこう語りかけてきた。
・努力して成功すれば、自信となる。
・努力して失敗すれば、経験となる。
・努力しないで成功すれば、天狗になる。
・努力しないで失敗すれば、あきらめる。
人生において、一番価値あるものは何か。それは「経験」だ。(中略)失敗や挫折を経験している人間は、他人から愛されやすくなる。人の痛みを知っているからだ。人の痛みは、教わるものではない。自らがさまざまな「体験」を通して、初めて感じるものだ。それを「経験」という。人は、成功した人の話のよりも、失敗した人の話に興味、関心を寄せる。失敗や挫折を経験し、それを克服した人の話は、示唆に富み多くの人をひきつける。失敗している人が、それでもあきらめずに努力していれば、思わず応援したくなる。多くの支援を得る者は、最後は成功する。

「体験」と「経験」の違い

ある先生が「体験」と「経験」の違いについて、こんな説明をしていた。「体験を、人生の糧になる経験とすることができるのは、体験に心の痛みがともなったときだ」
私も、同感である。痛みをともなった体験こそ、人を成長させる「経験」となる。逆に痛みがともなわなければ、やがては単なる思い出として忘れる出来事になる。

夢を実現させるために必要なこと

受験勉強でも部活動でも、成功を収める者は、とても合理的に勉強や練習に取り組み、成果を上げている。努力はつまるところ、時間配分の厳守と自己分析により、学習密度や練習密度を上げることにほかならない。

受験勉強はフライングがない競争

入試は、あらかじめゴールすなわち入試期日が決められている。しかし、スタートの期日は決められていない。ゆっくりとしたペースでも、着実に歩を進めた方が大きな力を発揮する。この真理は、大学受験だけではなく、社会で繰り広げられている多くの競争にも通用する。社会で繰り広げられている多くの競争は、スタートの合図がない競争だ。この競争を制すのは、一部の天才を除いて、他人より先にスタートを切り地道に努力を積み重ねた者たちだ。受験勉強も社会の競争にも、スタートの合図がないし、フライングもない。

高校は、「勉強するところ」ではない

…毎年、入学したばかりの一年生全員を対象に、ホテルで学習合宿を行なっていた。その合宿の初日、私は必ず新一年生に二つのことを言った。
「高校は勉強するところではない」
「高校は楽しいところではない」
つい最近まで中学生だった彼らは、「高校は勉強や部活が大変だが、楽しいところだ」とイメージしている。だから、最初にその考えを変えさせる。「高校は、勉強するところではない。楽しいところではない」と。この言葉を投げかけると、生徒は「それでは高校は何をするところなのだろう」と脳を動かすことになる。合宿期間中、私たち教師は、高校生活の基本事項以外は、教え込まず「自学自習」を徹底させる。そして、「高校は勉強するところではない」「高校は楽しいところではない」とは何を意味するのかを考えさせる。最初は緊張気味だった生徒の中には、ダラダラしたり私語を始めるものが出てくるが、それでも教師たちは声を荒げることはしない。決して怒鳴らない。ただし、毅然と大らかに見守る。自学自習を通して、新一年生たちはだんだんと、「学校は自ら学ぶところであり、自ら楽しみを見つけるところだ」というようなことを感じ取っていく。いろいろな場面で教師にいちいち指示されなくても、雰囲気を読み、自主的に行動するようにもなっていく。2泊3日の合宿期間中、それまでの受動的な生活から脱却して、主体的に考え、行動できるようになっていく。この入学式直後の合宿が、その後の高校生活に大いなる効果を生み出す。すなわち、あいさつ・服装・清掃などで注意することがほとんどなくなる。それが3年後に大きな違いを生む。

「凡事徹底」は一生の財産

凡事は、普通にやれば、単なる当たり前のことである。しかし、凡事を徹底することによって、自分の内面を鍛え、その美しさが外見や所作に現れて、あいての心を動かすようになる。

部屋の乱れは、心の乱れ

私はセンター試験の朝に、生徒たちに向かってこう言ってきた。
「合格ライン付近には、たくさんの受験生がひしめく。そのときに合格できるのは、ケアレスミスをしなかった者だ。君たちは大丈夫だ。あの毎日の清掃を思い出そう。窓枠の上のほこり、蛍光灯の汚れを拭き取ったあの毎日の清掃は、今日のためにやってきたんだ。いつもの清掃をするつもりで、隅々までチェックするんだ」
彼らは自分がこれまでしてきた、「あいさつ・服装・清掃」に自信を持ち、緊張感を集中力へと変えていく。

人生の旬…高校生の「旬」とは

[文武両道は、高校生の「旬」]
高校生になると、「文武両道」ができる体力や能力が育ち、その能力を育むことが、大人になるためには必要なことだからだ。私は、高等教育は、この「文武両道」がとても重要だと思っている。なぜなら、それは、高校生としての「旬」だからである。結論から言えば、高校で「文武両道」で鍛えた力(学力・体力・気力そして努力)は、受験を乗り越える力になるだけでなく、大人になって職業人と家庭人の両者のバランスを上手にとる力につながっていく。「文武両道」こそ、高校生にしか味わうことができない「旬」なのだ。

これからの教育が目指すべきもの

[見えないものにこそ未来がある]
「自分の背中は見えない」「自分の背中とはいったい何だろう」と生徒に質問すると、誰も答えない。そこで、「自分の背中を見ることができるのは誰か」と質問すると、自分以外の人と答える。ここで私は「人は皆、自分の体の前面を見ることができるが、背中はいくら体をひねっても見えないだろう」と言う。自分の短所と長所とをあげてみようと質問すれば、全員、短所はいくらでも言えるが、長所はほとんどないと答える。人体に例えると、人は自分の体の前面すなわち短所はよく分かるが、自分の背中すなわち長所は見えにくく気づきにくいのだ、というと納得する。自分の背中(長所・可能性)を見つけてくれるのは、教師や友人、先輩など自分以外の人たちだ。『星の王子さま』には「大切なものは目には見えない」という一節がある。長所は見えないけれども必ずある。それを周囲の人々が見出してやることこそが重要だ。生徒には、可能性という未来がある。

今の自分を出発点にしない

自分の生き方を貫くために学び、志望校への入学を目指し、努力を重ねる。その経験は、その生徒がこれから生きていく上で、必ず役に立つ。受験の前に、まず本人の生き方があるべきだ。生き方が決まれば、志を高く持つことができる。高い志を持つ者は、困難を突破する力を得ることができる。生徒は、今の自分の学力のみを固定的に見て、進学する大学や職業を決めようとする傾向が強いが、それは間違っていると思う。どんな人間でも、今の時点の成績で将来を決めてしまえば、そこには発展や成長がなくなる。自分の中にある可能性や能力を引き出す機会も、永遠に奪われるからだ。最初に将来の自分(生徒)を思い描く。そこから逆算して、今なすべきことを決めて、努力を始める。それを促すのが、親や教師の役割なのだ。

生徒の可能性を見出す

「大学に行こうかどうか迷っています」
そんな相談を受ける時が、年に数回ある。私の答えはシンプルだ。
「迷うなら、大学に行ってから迷えばいい」
大切なことは、たいてい目には見えない。「自分の可能性」という大切なものも、目には見えない。しかも、自分の背中のように、自分の可能性は、自分には見えない。なぜ、大学に行くのか。それは、自分の可能性を限定せずに、多くの人と出会えるからだ。自分の背中は自分では見えないけれど、他人には見えるかもしれない。誰かが、自分でも気づかなかった可能性を教えてくれることで、人生は大きく動き始める。

品格のある人間の育成

おいしいものを食べると、うれしい気持ちにな理、活力が出るのと同様に、美しい絵、美しい書、素晴らしい音楽を聞くと、心地よくなり、活力が出る。良質な物に囲まれる雰囲気の中で生徒を生活させることは、豊かな人間性、品格のある人間の育成につながる。本物を知らなければ、本物と偽物の見分けがつくはずがない。高校時代や若いうちに一流の人や本物に触れさせることが、後の人間形成に大きな影響を与える。

三ズの川の向こうに花が咲く

「自分には無理だ」「自分はこんなものだろう」と思っている生徒を、「できるかもしれない」「こんなものじゃない」「より上に」と思うように仕向けるのが、本当の進路指導だ。だから、勤務したどの高校でも、「挑戦の気持ちを忘れるな」と行ってきた。(中略)あわてズ、あせらズ、あきらめズ。三ズの川の向こうに花が咲く

ホームルームノート ー かけがえのないもの

大人が「進路」と呼ぶものは、高校生たちにとっては「夢」である。

〜感想〜
この本は共感するところが多く、何度も読み返したい本になった。また本書の表紙に「我々の前にいるのは、生徒・子どもではなく、『未来』である」と書かれてあるように、教師というのは子どもや生徒の未来まで見据えた指導をしていくことが必要だと思う。教師としての自覚と覚悟を再確認させられる本になった。


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Yu.A

読書録

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