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2023.06.05(狂った指針)

昨日、自分の中の割合が95%くらい感傷になってしまって困った。電話の相手も困っただろうけど、自分もこの電話が切れたら、ちょっと、この後どうしよう、という危機感が真剣にあった。
イタリアンで飲んだ洒落た白ビールと、家に帰って飲んだ缶ビールの飲み合わせが悪かったのかもしれない。マジでお酒は怖い。
その後、ビールの缶を洗って、少し横になって寝た。だいぶ楽になった。ごめんだぜ。

この文章は「文章を書く」という事を軸に気のままに書いているんだけれど、自分の中では大事な価値やアイデンティティだったはずの音楽についての文章は最近書いていない。理想も高いから、書くとなったらしんどくなるし、しんどくなった分だけ見返りが欲しくなってしまう。そんな大層な文章書けないくせにね。だからどんどん袋小路になってしまった。
代わりに本を読んだら気が向くままにインスタのストーリーに感想を上げていて、それは楽しく続いている。なぜかずっと続いている。本を読むとその内容について思う事が多くて、それを文章にまとめるのが楽しい。作者がこの中で何を達成したいと考えていて、実際にどれほど達成しているか、とかね。

本を読むのはやはり非日常的なことだと、自分が書いた文章を読むと感じる。文章を上げる時、自分はこんな旨い事言えてますよ、みたいな気持ちは全くなくて、自分が思った事をしっかり伝えたいという気持ちの方が強い。特にそう思っている本について書くときは、文章もどう書くか考えるわけで。読み返すとそう思っていたんだなと自分でも感じる。それって特別なことだと思う。文章上げてすぐ、また書きたいって思うもんな~。見てる人の顔が浮かぶっていうのもデカい。またそういう気持ちで音楽についてもかける様になりたいと思う。

こないだ話していてタトゥーを入れるなら、自分にしか見えないところに入れたいと言った。その話をした相手は、指とかにほんと些細な点の様なタトゥーが良いかなと言っていて、それは前に見た画家がそんなタトゥーを入れていてその人の描く仕草が素敵だったから、と言っていた。お互い入れる気はさらさらないが、考え方出るなと思った。
自分は誰からも見えるタトゥーである必要はないんじゃないかと思ったから。文字でもなく、象徴が良いなと思った。それは北極星の様なものなんじゃないかと思う。真っ暗な夜の海に光って北の方角を教えてくれる様な存在。そんなものをだったら、自分の身体にあってもいいかもしれないと思った。でも今思ったが、そんな存在を自分で考えて、ここに~こんな形で~って入れるのもなんかおこがましいし、狂った指針になりそうだな。北極星求めてるくせにそれはどうなのよ。

答えを自分の中に求めるな、という事ですね。今日は以上です。


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