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日記 特徴のない顔

日記。


連休が終わってしまった。今朝は心を無にして出勤したが、同じような顔の人を電車でたくさん見かけた。私は労働ロボット、私は労働ロボット……。嫌になったところで仕事からは逃げられないので、諦めて心を無にする術を身につけたほうが楽だ。



これはライフネット生命の電車広告なんですけど、この線の少なさで特定の人物を表現する技術すげーと思った。

そういえば似顔絵って書かれたことない。普通に生きていて、似顔絵を書かれる機会ってあるか?

自分はどちらかというと特徴のない顔だと思う。似顔絵を描くのが難しいタイプだ。誇張したくなるような目印がない。
そのせいで、「初対面の人には顔を覚えてもらえないだろう」という自意識がある。マスクをつけているとなおさらそう思う。一度会ったことのある人でも、自分の顔は認知されていないような気がしてしまって、会ったことありますよという表情ができない。だから初めましての人と会う機会が増える時期は髪を変な色にしてみたりする。もしかしたら私の人見知りは、この特徴のない顔に由来しているのかもしれない。

でも、この世のほとんどの人間は「自分の顔に特徴がない」と思っていそうな気もする。よほど特出したパーツを持っていない限り、自画像を描かせれば大体同じような仕上がりになるのではないか。垂れ目、吊り目、パーツのどれかが小さいor大きいなど、人間の顔はいろんな部品の組み合わせと配置によって決まるわけだけど、そのわずかな位置の違いを自覚するのって難しいことだ。そもそも、たとえば“離れ目”という要素は「一般的な顔と比べて目が離れている」という意味であり、じゃあその「一般的な顔」って何?という話になってくる。

だから私も、案外自覚している以上に特徴を持った顔をしているのかもしれない。こう言っておかないと、人見知りを顔のせいにしていることが恥ずかしくなってきてしまう。

1つ思い出した。Miiだ。Miiを作るのに苦戦した記憶がある。試行錯誤したがあまりしっくりこなくて、最終的にポカンとした口にしてみたら急に私に似た。パーツじゃなくて表情の方に特徴があるのかもしれない。かなりアホ面のMiiになったことは屈辱的だったが。



久しぶりに読書ブームがきているので、さくらももこさんのエッセイを片っ端から読み直している。面白すぎて1冊2時間あれば読み終えてしまう。好きな本はたくさんあるけど、これほどまでに夢中になれるのはさくらももこさんだけなんだよな。私も自分の日常や心情を曝け出すからには、あのくらい読ませる文章を書きたい。そう思って、自分の中にさくらももこさんを憑依させようと頑張っているが、全然上手くいかない。

自分が今読んでいる本に文体が似てしまうのはあるあるだろうか。小川洋子さんを読んでいるときはかなり穏やかな日記になるし、森見登美彦さんだとやたら洒落た言い回しをしたくなるし、海外翻訳の本だと下手なGoogle翻訳みたいな文体になる。みなさんにはなるべくバレないようにしたい。



AIが読み込んだ写真から曲を作ってくれるサイト。


エッチすぎたか……。

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