見出し画像

日記 飽きてしまう前に

日記。



昨日ミュージカルを観に行った。半年前にツイッターの広告で見かけて、勢いのままに購入したチケットの半券が切られる日がついに来た。買ったときはちょうど破滅衝動が酷かった時期なので購入までたどり着くことができたが、冷静に考えると舞台のチケットは高すぎる。未知の体験に対して2万円を先払いするなんて正気の人間には出来ない。客席にいるのはきっと富豪もしくは破滅衝動を抱えた人間だけなのではないか。

子供の頃からgleeを見て人生を学んできたので、10m先にマシュー・モリソンが登場したときにはかなり感動した。実在したんだ…と思って。パンフレットのインタビューに、「日本をめちゃくちゃ満喫する予定だぜ」との意気込みが書かれていた。これにも同じくらい感動したな。実在したんだ…と思って。

舞台は好きなんだけど、年々観劇のハードルが上がっている。暗い閉鎖空間にいると、眠くなるorじっとしていられなくなる の二択になるからだ。この自動プログラムのようなものの発動率がどんどん上がってきているので、最近は劇場も映画館もほとんど行かなくなった。



束の間の連休といったところだが、起きている時間はほぼ無意識に毛糸を触っている。が、根本的に飽き性なのが邪魔をして、作りかけばかり生み出している。見切り発車で作り始めるからこうなる。

私は物を作ることが好きだけど、0から1を生み出す行為がかなり苦手だ。苦手だし、なんなら苦痛を感じることまである。自分のセンスだけを頼りにする行為が苦手なのだ。たぶん。

自分のセンスで作ったものが気に入らないと、自分のセンスに絶望する。私が嫌いなのは物作りじゃなくて、このときの絶望感だ。これを回避するにはセンスを磨くしかない。センスを磨くには、インプットを増やして自分の中の引き出しを増やしていくしかない。こんな風にごちゃごちゃ考えているうちに、全てのことに飽きてしまう。

好きでやっていることで需要と供給のシステムを成り立たせている人のことを羨ましく思う。たぶん私は自分の世界だけで完結させているから飽きるんだ。いくら好きでやっていることとはいえ、外からの声が聞こえない環境にいたままでは必ず行き詰まる。余計なプライドを捨てて、もっと素直に外の世界と交流するべきなんだと思う。



好きな映画のパンフレットに載っていた脚本家のインタビューに、「主人公が行動を起こしたご褒美として、この人物と出会わせました」という文章があった。なんとなくその言葉が心に残っていて、今自分の中にある消えそうな灯火へ必死に酸素を送ってくれている状態だ。

もちろんこれはフィクションで、脚本家が作り出したストーリーなんだけど、でも何故か希望を見出している自分がいる。私も何か行動を起こせば、ご褒美が貰えるんじゃないかと。具体的なことは何もわからないけど、とにかく今は現状維持というものが嫌で嫌でたまらない。もうこんな人生にも飽きてきた。本格的な飽きがきてしまったら、たぶんどうにかなってしまう。今の狭い交友関係や閉鎖的な趣味を、なんとか打破したい。それが当面の目標だ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?