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日記 心の底から優しい人間でいられたら

日記。


今月で退職する人がいたんだけど、特に思い出がないので色紙のメッセージを書かなかった。学生の頃からずっとモヤモヤしていた、「義理のメッセージを書くべきかどうか」という問題の答えをこのタイミングでやっと出した。

義理メッセージを書くメリットは、全体の文字数が増えて華やかになる、という点だ。演出に加担することも、集団に属する以上の義務だと思う。一方デメリットは、書く側も読む側も「義理だな〜」と思う時間が発生するという点だ。義理の言葉を考えているときって、心の大事な部分が削がれているような感覚になるから嫌い。

部活を引退するときに、後輩全員からのメッセージが書かれた色紙を貰ったことがある。大所帯だったので当然半数以上は関わりがなく、義理だな〜と思った。今後も頑張ってください(何を?)、かっこよかったです(具体的に、どこが?)、大好きです(嘘つけ)。私は意地悪な人間なので、意地悪に受け取った。読めば読むほど、自分の意地悪を自覚させられる羽目になる。

今メッセージを書くか書かないかによって、今後その人が私を思い出してくれるかどうかが変わる。そう考えたときに、別に忘れてもらって構わないなと思ってしまった。今後は思い出してほしい人だけにメッセージを書くことにする。思い出がないなら、ない者なりの送り出しをする。お互いが意地悪にならないための、せめてもの心遣いのつもりだ。

って必死に言い訳を考えたわけだけど、本当は書くことがなくて逃げたってだけ。



退職者あれば新入社員あり、ということでまた後輩が増えてしまった。弊社は教育方針が学校みたいになってしまっているので、かなりやりにくい。適当なコメントに対してそんなに真剣にメモを取らなくてもよい。

自分も一通りの失敗を経験して、そのたびに色んな人に許してもらってきたから、自分もちゃんと人のこと許してあげないといけないなと心に決めている。が、それはそうとて人の失敗を見るとイライラは溜まる。このイライラの捌け口がないため、溜まり続ける一方だ。心の底から優しい人間でいられたら楽なのにな、と思う。

自分はまだ新人の頃の記憶が新しいから、新人悪口大会が開催されていたとしても加担しないようにしている。こういう場に加担する勇気がないから、怒りが行き場を失う。いっそ自分のことを棚に上げまくって、でかい顔している方が生きやすいんだろうな。

しかし今年の新人を見ていると、「自分ってこんなに危なっかしかったっけ?」と思うこともある。忘れているだけだと思うけど、少なくともコマンドPでプリントアウトくらいはできたはず。コピー機とシュレッダーは壊しかけたけど。


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