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たほいやほいや!

君はたほいやを知っているか。そうだ、あのたほいやだ。「(静岡県で)やらい小屋に同じ」ではない。それを語源とする、広辞苑を用いるパーティーゲームだ。

今日はそんな「たほいや」を七人でプレイする機会に恵まれた。
今までやりたいやりたいと言いつつ人数が集まらず(最低四人必要)、やろうとするとできないというジンクスが確立しつつあった。だから、たまたま人数が集まっている中でたほいや宣言を発し、ゲリラ的開催の運びとなったのである。

たほいやのルールは至極簡単。親が広辞苑から選んだ「一般的に意味の知られていない言葉」の意味を、子が想像して勝手に考える。親は正しい語義と子の考えた嘘の語義をごちゃ混ぜに発表し、子はそれらの中から正しい語義を選ぶ。


みなさんご存知の通り、私は日課として広辞苑を読んでいる(最近サボり気味だが)。

よってたほいや無双ができてしまうのではないか…? そんな期待を胸にゲームに挑んだ。

舐めていた。

僕の甘い期待は、たほいやの猛者たちを前に早々に砕け散った。


たほいやにおいて、「難しすぎる言葉」は不利になる。例えば「社鼠」という言葉は「神社に巣くう鼠」という意味であるが、普通に音だけ聞いて(たほいやのお題は全てひらがなで発表される)この語義を言い当てるのは難しい。つまり、「神社に巣くう鼠」という回答は他の嘘回答の中で浮いてしまうのだ。そうすると、親は正解を言い当てられる可能性が高くなる。
また、嘘解答を考える際も、変に広辞苑に寄せることを意識しすぎるとつまずいてしまう。広辞苑には古語が多く、『膝栗毛「——〇〇」』みたいな例文が多い。それをあえて入れてそれっぽくしてみても、やっぱり悪目立ちして選ばれにくい(なぜなら、親はあえて例文まで入れるという冒険をしないからだ)。

広辞苑を読むことによって、逆に回答が縛られてしまったのである。

広辞苑には、独特の言い回しがある。例えば、「——の意」とか「——の様」とか「——の一つ」とかいうやつだ。だが、そこにばかり気を取られると、なかなか正解には辿り着けない(たほいやの出題率は圧倒的に固有名詞が多いので、こういった言い回しは使われないことが多い。実際の語義はいたってシンプルに書かれる)。
たほいやに強くなるには、独特の能力が必要なのである。


来月、またたほいやが開催される予定である(再びジンクスが発動しなければ)。
それまでにできることは、ただ広辞苑を読み込むだけでは不十分だ。すぐに語義をながめず、少し想像してみる時間をとってみるのも、いいかもしれない。

昔々、あるところに読書ばかりしている若者がおりました。彼は自分の居場所の無さを嘆き、毎日のように家を出ては図書館に向かいます。そうして1日1日をやり過ごしているのです。 ある日、彼が座って読書している向かいに、一人の老人がやってきました。老人は彼の手にした本をチラッと見て、そのま