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“におい”が脳に刻まれる街 テヘラン

「レモン」と聞くと口の中が酸っぱくなるように、都市によって反応する身体の部位がそれぞれにある。

「ニューヨーク」と聞くと無数の電飾の刺すような眩しさを目が思い出すし、「ドーハ」はジリジリとサウナのような暑さを皮膚が思い出す。「ブリュッセル」の文字を見れば初めて飲んだベルギービールの甘さを思い出し唾がわく。

おなじく「テヘラン」という街の名を聞くと、僕が真っ先に思い出すのは、その「におい」だ。
ガソリン、砂ほこり、汗、油、香辛料、ドライフルーツ、水タバコ・・・
その街からは生命力とエネルギーのにおいがする。

日本なら警察に止められそうな大量の荷物を積んだバイクや車が、真っ黒な排気ガスを撒き散らしながら走る。
歩行者は信号が青でも油断できない。どうしても道を渡りたくば、止まる気配のないドライバーの目をしっかり見ながら
「俺が渡るから止まってくれ」
と目力を込めて訴えるのが正しい渡り方。
片道3車線の大通りをには、荷台に山のような荷物を載せ人力で引く男たちもいる。

 話を聞いてみると、テヘランには巨大なバザール(市場)があり、その中では車が通れないことから、荷物の運搬は台車がメインだという。

このテヘランのバザールがすごい。
1.5キロメートル四方の広大なエリアに、迷路のように道が張り巡らされ、食料品から日用品、玩具、電化製品、絨毯から偽造ブランド品まであらゆるものが売られている。
 足を踏み入れると方向感覚はすぐに失われ、自分がどこを歩いているのか分からなくなる。途方もなく「迷う」感覚が逆に楽しくさえなってくる。
 商売人に「一体どれぐらいの店があるのか?」と聞いてみるものの、「千か、万か、よくわからない」と全体像を把握している人は誰もいなかった。

ドルチェ ・アンド・ッバーナの革製品

文明化するほど、都市は無臭になっていく。
テヘランを歩くという体験は異国情緒を感じるよりも、「タイムトラベル」に近い。様々なにおいが規制されることなく自由に放たれ、入り混じり、混沌が生まれる。そのにおいの断片のひとつひとつに人間の活動を想像する。
 かつての日本もこんな臭いだったのだろうか。
 その街からは、まだまだ成長の余地を残した若い都市が放つエネルギーの臭いがした。

※2017年8月イランを訪れた。その記録を何回かに分けて書く予定。

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