見出し画像

もし僕がマッチングアプリで出会っても、型にはまった話をしてしまいそう

かつて「出会い系サイト」という言葉には、どことなく怪しい雰囲気を帯びていて、「実は、使ってるんだ」と言い出しづらい空気があった。

でも、今では「マッチングアプリ」はポピュラーな存在で、先日も20代の後輩がアプリで出会いサクッと結婚した。本当にサクッと。

やっていることも技術もほとんど変わらないように見えるけれど、「会い系サイト」を「マッチングアプリ」にするために、Pairsなどは広告にめちゃくちゃお金をかけたらしい。

先日、大手マッチングアプリに「縁」のある女性の話を聞いた。なかなか含蓄があって面白かった。

業務として色んなマッチングアプリを使ってみたり。実際に会って、アプリ上での印象と実際とのズレを分析してみたり。社内会議では「人が恋に落ちる瞬間」について大まじめに議論するのだとか。

その会議、お金を払ってでも参加してみたい。


アプリを使い続けてもらうためには、「マッチングの精度」と同じくらい、「あえてマッチングを外す」のが大事らしい。

自分が考える「条件」からは外れてるけど会ってみると相性が良い、かも。そういうズレをほんの少しだけ、「え、なんでこんな人が…」とならない程度の塩梅で、マッチングの中に仕込むんだって。スイカに少しだけ塩を振るみたいだ。

私たちは自分で思うほどには「自分の好き」を正確に把握していないのかもしれない。そして、予想外のモノを好きになってまった「新しい自分」に出会う瞬間は、実は人生のもっとも甘美な時間のひとつだったりする。


デートで「おもしろい」と感じるのはどういう話か、という話題になった。

多くの人にとって「おもしろい」は難しいけど「つまらない」はとても明瞭だ。不思議なくらいに。

「おもしろい話」を定義しあぐねていた彼女に、「つまらない話」について聞いてみると、ポンと答えが返ってきた。

それは「型にはまった話」だという。

つまり、聞く相手が「私」でなくても成立してしまうような話。何度も、色んな人に、同じように話してきただろうなと感じちゃう話だそうだ。

とにかく不評な「過去の武勇伝」とかは、これ以上ないくらいに「型にはまった話」といえそう。


ところで、僕はこの「型にはまった話」をしてしまう人の気持ちがなんとなく分かる。いや、すごく分かる。だって、僕もよくやってしまうもの。

同じような話を、別の相手に、同じような調子で話してしまう。その「作法」をどこで身につけてしまったのだろう…
たぶん、そういう人は日ごろから「ファクト」とか「ロジック」とか「再現性」みたいな言葉を大事にしている気がする。就職活動でお経のように唱えた就活ワード3兄弟。

でも、もちろん「ビジネス」が悪いわけではない。この3つは「科学」の根幹を支えてもいる。

ビジネスや科学では、ファクトから議論をはじめ、途中のロジックに破綻がなく、結果に再現性のあることが、ある種の誠実さでもある。

誰がやっても、どんな環境でも、等しく結果を出せる。そして、その理由が説明できる。それこそが「科学」だ。いま、ビジネスと科学の距離はずいぶん近い。

私たちがグルメサイトの「星」に託しているのは、「おいしい味」でも「得がたい体験」でもなく(いや、もちろんちょっとはあるだろうけど)、本当のところは過去に行った「★3.5 の店」と同じような満足が得られるという「再現性」への期待なんじゃないかと、僕は感じている。


とは言いつつ、型にはまっている僕も「うーん、これじゃあ今ひとつだよな」ということも頭のどこかでは分かっている。

先日、読んだ古賀史健さんの『取材・執筆・推敲』という本に、すぐれたエッセイとは「感覚的文章」であるというくだりがあった。

エッセイでは評論ほど「論理的」であることは重要ではないけれども「感情的」であってはいけない。「論理的文章」の反対側にあるのは、「感的文章」ではなく「感的文章」という視点を、僕はとても面白いと思った。

感情的な言葉は訴求力が強い。でも、いつも怒っている人の言葉に耳を傾けると、結論はだいたいいつも同じことに気付く。感情にまかせて言葉を作ると、それもまた型にはまってしまうのかもしれない。

感情ではなく感覚。わたしにはこう見える。わたしにはこう聞こえる。そんな「わたしの感覚」に根ざして語られる文章がエッセイの基本であり、感覚の根底には徹底した「観察」がある、と古賀さんは言う。

たしかに。「観察」を大事にする限り、相手が変わり、観察する対象が変われば、自ずと語ることが変わってくる。


マッチングアプリで入力する「条件」は、これまでの人生経験に基づいた、いわば「ファクトフルで、ロジカルで、再現性の高い要素」だ。

でも、そうでない偶然の中に出会いの妙があるとも、マッチングアプリだって教えてくれる。

とりあえず、目の前の画面に広がる真っ白なチェックリストを閉じて、身近にいてくれる人達の「今日の彼」「今日の彼女」をちゃんと観察してみようかなと思う。

いただいたお金。半分は誰かへのサポートへ、半分は本を買います。新たな note の投資へ使わせて頂きます。