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Trip to Norway #5

フィヨルド観光は、あいにくの強い雨でクルーズ船のデッキは人気がなく、外国人観光客たちは数枚の記念撮影を終えるとクルーズ船の室内で飲食したりリラックスし始めた。

私は今回の旅のメインイベントであるこのフィヨルドからの写真を一番のお土産にしたく全身濡れながらも、スマホを前方へ向けデッキに立ち続けていた。ずっとデッキにいたから、日本語で話しかけてきた中国人青年などの記念撮影にも協力してあげたし、ロサンゼルスから来たというギャルはそんな私をプロのカメラマンと揶揄したが彼女の記念撮影にも協力してあげてからは、いくらか会話を交わすこともあり、私の英会話は少しずつ人と往復を繰り返すことができるようになってきた。それに私が帰りのバス停を間違えそうになった時には、私がベルゲンへ行く予定であることを知っていたロスのギャルが助けてくれた。

Voss から ベルゲンへのベルゲン鉄道に乗り込むと旅のメインが終わった達成感と、もう乗り換えがない安堵で、私は少し睡眠を取っていた。目覚めた時に、それまでのインフォメーションに気づいていない私を助けてくれたのは、クルーズ船から一緒で仲良くなったインドネシア系シンガポール人の姉妹(彼女たちもベルゲンへ行くと聞いてた)だった。

鉄道が停車したまま、ずっと動いてないようだ。彼女がしてくれた説明も流暢な英語で私には単語がキャッチできないのだが、要するに" kind of rail trouble ? " と確認すると" Yes " とのことだ。雨もしっかり降っていた。もう夜だった。私はブログ更新に時間を費やした。オスロから乗った時のベルゲン鉄道はスキー目当てのノルウェー人ばかりだったが、Vossからのベルゲン鉄道はフィヨルドからの乗客ばかりでガラガラだった。観光客らしき乗客たちは、疲れ切った様子と同時に、こんなことには慣れているとの不満もなさ気な、実に落ち着いたお坊ちゃんお嬢さんたち、若者ばかりだ。

時折、早口で乱暴な車内アナウンスがノルウェー語で流れたのは業務連絡だろうか。時々、鉄道スタッフが状況説明を短く言い放って行くが、それを優しい英語に直してくれたシンガポール姉妹の情報もかなり錯綜していて「ベルゲンまであと4分の所で停車している」とか「振り替えバスが来る」とか「あと10分で鉄道復活」などであった。私がシンガポール姉妹にあげた日本土産の「KitKat」も「じゃがりこ」もドン・キホーテ好きな彼女たちにとっては珍しくなかった。

↑↑表題の画像も英語の中にノルウェー語が混ざっていて混乱ぶりが伺える。
22時を過ぎてからはミネラルウォーターや非常食が鉄道会社から配られ、話の流れも、鉄道会社が用意するバスに乗って、ベルゲンまで送り届けてくれることになった。

その時が来た。私たちが真っ暗などこかのローカル駅ホームに出た時、雨はかなり強かった。私達とはすれ違いに、列車の中へ誘導されて乗り込んでいくずぶ濡れの外国人たち(ココで書く外国人は北部系の顔ではないという意味)がいたが、その中の女性は泣いていた。やはり私はその時の状況を全て理解していた訳ではないことを悟ったが、迷子にならないために私はシンガポール姉妹に" This situation is to get on bus ? " と、かなり怪しい英語で確認をとったものだ。

乗ったバスは観光用のバスで、走り始めて割と山の中であることを知った。私が座った座席は最前列の2人用で、先に座っていた青年に一言、声をかけてから一緒に座らせてもらったのだが、強い雨にも関わらず細い道を速いスピードで走り始めたスリルを最前列で感じた青年が慌ててシートベルトを装着し、私もそれに続いた。

車内は静かで暗い空間だったが、大雑把で遠慮のない音が時折、交差する。隣の青年が優しい英語で声をかけてくれる。私は英語が下手であることを謝りつつ今日まで繰り返し使ってきた「日本からオスロへ来たこと」「ベルゲンから帰国すること」「一週間の旅であること」「人生初の海外が一人旅でノルウェーを選択したこと」をつけ加えながら会話に織り込んでいった。

意外だったのは、彼は観光客ではなく、地元ベルゲンの人で、今日は祖父母の家へ来た帰りに乗ったベルゲン鉄道だったらしい。私はこのトラブルの中、隣に地元ベルゲンの青年がいることを心強く感じた。会話も深まり、実際、彼は近い将来、日本を旅行するつもりであることを教えてくれた。これまでにイギリス、アメリカ、オーストラリア、イタリア、ドイツ、スペイン、ポルトガルなどの旅行の実績がある彼が言う「次は日本へ行く」は真実味があり、これまで挨拶代わりに私がそこらじゅうで放ってきた" Then , I'll guid you Tokyo " は連絡先を伝えるキッカケとなり、私が用意した旅行用名刺が役に立つ時が来たのだ。彼は本当に日本に興味があり、多くの地名を知っていたし、F−1レーサーの有名な日本人の名前を挙げて話を広げてくれた。私の旅行中で日本に興味を持つ最初のノルウェー人だった。当初、私は海外で「日本」はもっと人気があって「日本から来た」と言えば、もっとウケると思っていた。しかし、実際、それまで会話してきたノルウェー人は全員、「日本を知ってはいるが今日始めて日本人と話した」みたいな人ばかりだった。そんな時、私は一応、アピールしておいた。「日本人はあっちに100ミリオン人以上いるんだよ」って。

真夜中に雨の降るベルゲン駅で降ろされた私たち観光客はスムーズにそれぞれの宿泊先へ行ける気はしていなかった。ベルゲン地元の彼もそれを心配していたが、言葉にはしなかった。みんな、お互いに負担にも心配にもなりたくない一人旅の気質は同じようで、それぞれ根拠ない方角へ歩き始めた。いつもオフラインの私も、自分の宿がベルゲン駅の西側数百メートルにある地図を見ながら、勝手に決めた西の方角へ歩き始めた。私は真夜中にヨーロッパの街など歩きたくなかった。笑いながら走ってくる若い男と何事もなくすれ違えた時も、ラジカセ的な物で爆音を鳴らしてるヤツの音が私の背中へ方向転換して付いてきた時も、雨の中、歩きたくなかった。だから建物を一周して、灯りのないベルゲン駅のバス停へ戻ってきた時、地元らしき若いカップルを見つけたので「Excuse me !」を使った。中年のおばさん以上に一番信用できるのはカップルだ。カップルは悪意も偽りも向けてこず、親切にしてくれる。丁寧過ぎるほど丁寧な説明をノルウェー語調の英語で歌ってくれた。なぜか私が決めた「西」は正しかった。説明通りに歩くと、前方では若い群衆が街中で騒いでいた。高校生くらいの男女が無数にいて祭りのようだった。マクドナルドがあり、私はフリーWi-Fi でマップを確認したく、駆け込んだ。入口には高校生くらいの男たちが立ち並んでいて怖かったが、隙から店内へ入ると店内では少女たちがお喋りを叫んでいた。差別を感じないくらい人種が混ざりあった少女たちのお喋りが羨ましかった。ココでは人種によって差別はされないが、その代わりに言語が高い壁になる。何も買わない私は店内の隅を借りてフリーWi-Fiを借用し、宿の位置と距離を完全にインプットした。

今朝、早朝に改めてそのマクドナルドへ行ってみた。↓↓この静けさである。

昨夜は雨でもあり、一連の中で写真を撮る余裕がなかったことに気がついた。昨夜、真夜中にカップルに声をかけた場所は↓↓ココである。

果たして私は宿に辿り着いた。ガラスドアの向こうは完全に消灯されており、ドアも施錠されていることを手で確認した私は「さて」と踵を返した時、奥から「ヘイ!」と、かけ声を放つ一人の男性スタッフが駆け寄ってくるのが見えた。

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