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他人の不幸を快楽にした結末

昔話をします。
大学時代、もう10年も前の話ですが。私はフリーペーパー制作のサークルに所属して授業そっちのけでコラム制作や編集をしていました。

私は基礎疾患の統合失調症を抱えてましたが大学はストレスが少なくこの頃とても元気でした。

そのサークルに今回話す女の子の後輩が入部してきました。ここではA子と表現します。A子は愛嬌ある可愛らしい女の子でした。フリーペーパー制作のなので編集やイラストを担当していました。

その頃はどこにでもいるちょっと地味だけど愛嬌あるごく普通の子でした。A子は私の1つ下のBにどうやら一目惚れをしました。

サークルは三年生が中心になって制作するので私は四年でサークルの部長になりBに編集の大きな負担がかかる為、色恋沙汰でトラブルを起こしてほしくない事を願ったのですが、結果的に円滑になってくれれば良いと思いA子の淡い恋心を見守っていました。

私も四年生で教育実習や教職試験の勉強、卒業制作(私は芸術大学だったので卒論はなく卒業制作でした)もこなさないといけなく忙しいでした。なので部長ではありましたがサークルは放任していました。ただ後輩が困った時は話を聴いてあげて嫌われ役でも何でもやりました。

Bがとても優秀だった為、変に先輩として意見を言うのは逆効果だろうと思い放任していました。Bは見事にフリーペーパーの制作の中心となり何も問題なく制作を続けました。

そうこうしてるうちに私は大学を卒業して就職しました。A子はBに2年間あの手この手を使って食事やデートに誘っていましたがBは頑なに拒否しました。

普通はそこで諦めるものですがA子はBの卒業の時に一か八かでBの家に押し入り泣き落としでBと付き合う事に成功しました。

Bに何故あれほど拒否したのにA子と付き合ったんだと尋ねたら「断ったらこの子は死ぬかもしれないから」と答えました。私はグッと「情で付き合うのはやめておけ」と言いたい気持ちを心で押し留めました。

それからBも就職しなんだかんだ卒業後もサークルのメンバーとは良く交流を持ち続けました。

私がA子に違和感を持ち出したのは彼女が3年生の時からでした。A子はサークルの運営がブラック企業だとか、卒業制作が上手く行かない事を担当教員のせいにしたり、就活も企業側が悪いと面接後に不平不満を言うようになりました。

彼女の思考は認知が歪んでました。
完全なる他責思考でした。自分は悪くない、周りが悪いから自分がうまくいかないんだと。

私は彼女のその本質を察しましたが特に何も感じませんでした。正直な所おそらく興味がなかったのだと思います。

ただ、どうしても忘れることが出来ない事が起こりました。それはサークルのメンバーでホームパーティーをしていた時のA子の発言でした。どうしてその話になったのかまでは覚えていませんが彼女はこう言いました。

「最近Twitterでアカウント検索で『別れました』と検索してカップルアカウントを見るのが好きだと」

若い子のTwitterの使い方としてカップルアカウントがある事にも驚きましたが、これは危険だと私は直感的に感じました。彼女は卒業後、就職先がキツくて5,6年無職の状態でした。なのでおそらく自分が彼氏がいることを優越感に浸りTwitterのカップルアカウントで別れたアカウントの不幸を見て満足感を得てたのでしょう。

他人の不幸を蜜の味に感じるようになったのです。

常々、私は思ってるのですが他人だろうが身内だろうが人の不幸を楽しみにする人が一定数います。これはとても危険で自分の幸せの物差しを他人に標準を合わせてます。これはキリスト教における禁断の果実のようで、この旨味を知ってしまうと他人の不幸が嬉しくてしょうがなくなります。

このような歪んだ考え方を持ってると幸せになりにくいです。私はそう思ってます。

数年後にA子とBは別れました。
詳細は伏せますが簡潔に言うとA子は言語的DVをBにずっとしており、Bは限界がきてしまったみたいです。

A子は別れた事に絶望し私に泣きついてきました。細かい事は置いておいて、A子を慰め家で休養するよう勧めました。

A子は唯一の優越感である『別れました』アカウントに皮肉な事に自分自身がなってしまいました。

A子の思考は他責思考や他人の不幸を喜ぶなど明らかに認知が歪んでいます。その結果が自分の1番大切な存在を失うという結末を迎えました。

これからの彼女の人生はA子次第です。
自己をかえりみてどう考え、どう行動するか。彼女自身で人間の本質的な大切な事に気づかないとおそらく幸せにはなれません。

人間にとって大切なものは命であり愛です。

彼女の愛はただ少し歪んてたと私は感じました。

別れる一年前、私はサークル仲間とみんなでスーパー銭湯に行き、休憩所でA子とBが仲良くNintendo switchで二人でぷよぷよをしてたのをよく思い出します。その時は長年付き合っていても楽しそうな姿に微笑ましく思ってました。

私は他人が不幸になると悲しいです。なのでA子のような思考がわかりません。しかし彼女の結果は彼女の願い通りになりませんでした。

幸せの物差しは自分で設定しましょう。

他人に委ねてはいけません。


他人の不幸を喜ぶといつか自分もそっち側に行った時、絶望が待ってますから。


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