見出し画像

自分を大事にするとは?「意味」からの脱却

「人を大事にするためには、まず自分を大事にしないと」。

納得はできる。でも「自分を大事にする」には、何をすればいいのかが、ずっと分からなかった。「好きなものを食べる」なのか「休みをしっかりする」なのか、もう少し抽象度を高めて「自己肯定感を高める」なのか、「承認すること」なのか・・・。

ここ最近、また生来の悪いクセが出てきていろいろな仕事に首を突っ込んでいたせいで、形相が悪くなるぐらい「イライラ」したことがあった。ある人は、まったく悪くないのだが「ほかの人に接する態度と僕に接する態度が違う」という、おそらく勘違いに対して、「自分がイライラすること」を抑えきれなかった。

その前の日の夜、「段取り」がしっかりしていれば僕が出張らずに済んだであろうことを遅くまでかかって取り組んでいた。「印刷面を等分する」という分かる人からすれば簡単な作業も、「きっちり枠通りにやる」ということが本当に体調が悪くなるぐらい苦手な私にとっては苦行以外の何ものでもなかった。さらに、夜遅くまでやっていたことで睡眠不足になっていた。

そういったことが積み重なった時に、前述の「イライラ」を押さえられなくなっていた。「自分の心に隙間がない」ことに気がついたのだ。

「自分を大事にする」とは、どういうことか。振り返ってみれば「自分の心に隙間を持たせる」ことだと思う。「余白」「空白」「未開発の地」言い方はいろいろとあるだろうが、「何も考えていない領域」というのを確保できるかどうかは、コミュニケーションの円滑さ、ひいては人生の豊かさに直結することに気づく。

「イライラ」が抑えられない自分を客観視したときに、まず睡眠をきっちりととった。次に、「一人の時間」を確保することにした。近くのビーチに行き、ごろんと横になって空を見上げたり、宿舎にいるヤギに遊んでもらったり。

「心の余白」がなくなっているときに、自分は勝手に「すべての行動に、言葉に意味がなければならない」という「意味がなきゃ病」にかかっていた。そうなると「心」はがちがちに固まってしまう(ちなみに、身体も驚くほど固くなっていた。息を大きく吸えないぐらいに肋骨が固まっていてほぐすのに時間がかかった)。

「自分の中に”意味なんてない”」領域をいかに確保して、「心」に隙間をもたせられるかどうか。風通しをよくすることができるかどうか。それが、ひとつ「自分を大事にする」ことの形なのだと思う。

我が家の居部屋は汚い。これは、まだまだ「隙間」がないことの表れだなぁ・・・。

ここから先は

0字

¥ 100

本文は基本的に無料です。読み終わった後、ちょっとでも「はっ」とするものがあったら、「投げ銭」をお願いします。本を購入する資金にします。その数百円が、かけがえのないものになります!