見出し画像

文体。

言葉のリズム。どことなく表れる個性。

まだまだ、「内田樹風」「森博嗣風」にしか書けない自分がときたま悔しい。

村上春樹は「文体」を最初に手に入れたと言っていた。「英文を翻訳した」もの。「¨それ¨でしか表せないもの」。

言葉で表すとは、何を書くかと、どう書くか、なのだ。

これまで、深く「どんな文体で書くか」なんて考えたことがなかった。「ですます調」とか「体言止め」とかしか知らなかった。でも、リズムや匂いや音が、たしかにありそうなのだ。

きっかけは、今日、友人のノートを読んだこと。「ああ、いままでのリズムと全然違う」と実感したときにふと、「文体」ということが思い出されたのだ。

これまでの友人の書き物は、心象が糸を紡ぐようにゆるゆると編まれていた。病院で見えるもの。匂い。人の動き。そして、心の中の言葉。おそらく、手紙のようなもの。和紙のような便箋の手触りと、ボールペンのインクの匂い。

しかし、彼女の今日のノートは、これまでのものと少し違い、コトコトと、ブロックを並べているような音がした。どことなく、木の匂いがしたのだ。

今回の話題のなかで、「書く能力」を意識したからなのか、かなり「自覚的」に言葉が並んでいた。一つ一つが、きちんとやすりのかけられた、角を落としてある、手触りのよい積み木のようで、読んでいて不思議と心地よかった。

たまたま、僕が薦めた本の感想も送ってくれていたので、その友人と少しやりとりした。今日のノートはリズムが違うね、と伝えると、本人いわく「論理の進め方を意識して書いた」そうだ。気づいてもらえてよかった、とも。

「論理」とは「パッケージ」のこと。誰かに渡しやすく、受け取ってもらいやすく。組み合わせを変えられるように、ボックスに入っているもの。そう考えている僕には、友人のメッセージと、書く文章から受けた印象がストンと腑に落ちた。

いま、僕の書いている文章は、どんな音がするだろう?どんな匂いがするだろう?どんな風景を、思い浮かべてもらえているだろう?

それを「文体」という側面からも考えられるのか!

触発されて、僕も少しだけ気を付けながら、これまでと違う身体で書いてみた。今後、どんな「身体」になっていくか、自分でも楽しみである。

以下オマケ

続きをみるには

残り 22字

¥ 100

本文は基本的に無料です。読み終わった後、ちょっとでも「はっ」とするものがあったら、「投げ銭」をお願いします。本を購入する資金にします。その数百円が、かけがえのないものになります!