関数としての言葉は個人内で使う

西條先生と田原さんの対談を「パブリックビューイング」した。

その感想は別の機会に譲るとして、今回の収穫は関数としての言葉は、場を自己組織化する場を作りにくいということだった。

関数とは、入力が決まれば出力が決まること。すなわち関係性が一義に決まる言葉づかいである。

この状況ならば、こう。というような。

それ以外を認めない言葉づかい。

田原さんの実践は関数的言葉遣いを詩的な言葉遣いに変えていく実践であり、西條先生の実践は、関数的言葉遣いを解体するポイントまで戻る原理を立てることにあるような気がした。

クリエイションに方程式はない。

お二人の辿られた道は、左右から「複雑系」という道標をたどり、「関数的言葉遣い」を解体することに行き着こうとしているのではないか。

ファーストインプレッションだが、そんな衝撃をガツンとくらった夜だった。

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