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アイドルは消えるだろうか

アイドル関連で、いろんな騒動が起きている。昔からそうだったのかもしれないけど、私が知ってる限りのここ十数年のなかでは、立て続けな印象。

そんななか、嵐の会見を見てふと思ったことがある。

「ファンというその他大勢よりも個人のやりたいことが尊重される時代」になってたのかもしれない、と。

アイドルは、その名のとおり「偶像」である。汗もかかなければ、うんちもおしっこもしない。

そんなバカな、という笑い話なはずだが、まあ、どこかにはそう信じている人がいる。そして、その「荒唐無稽」な盲信からグラディエントに、いろんな「偶像」をアイドルは背負っている。

交際はもってのほかだし、ファンの前ではいつも笑顔だし、歌や躍りの練習は欠かさないし、いつでも感謝してるはず。

そうかもしれない。でも、そうじゃないかもしれない。

アイドルも人間だ。汗もだらだらかけば、トイレにもいく。機嫌悪い日もあれば、練習をサボる日もあるだろう。たまには、ファンに疲れる日もある。

そんな「人間」としての姿が、「偶像」としての姿を凌駕してきたと、会見を見て感じていた。

個人的には、望ましいと思う。やってて疑問に思うことを、しんどいことを、どんな仕事であれ続ける必要はない。まさに、職業に貴賤なし。

ただ、それを許したときに、アイドル、ひいては芸能人と呼ばれる人たちが、何をもってお金をもらうのか、その前提は変わってくると思う。

これまでは「人にできないこと」をやるからお金をもらっていた。カッコいい、歌がうまい、面白い、踊れる、その他の才能がある(からこそ、タレント、というべきである)。

そして、その「人にできないこと」が、マスメディアという「たくさんのひと」に届けられることで、価値をつくり、その対価にお金をもらっていた。

僕は、その「人にできないこと」のなかに、暗に「偶像であること」も、含まれていたと思う。むしろ、隠れた前提だったのではないだろうか。

もはや、発信力はネット機器があれば、どこのだれでももてる時代だ。とりあえず、何万人単位なら、見てもらえるチャンスが転がっている。そんな時代に、「たくさんのひと」に見てもらえるから、という価値付けは以前よりも低くなっているだろう。現に新しい地図さんたちは、マスメディアよりもネットでよく見る(気がする)。利権問題もあるのかもしれないが。

アイドルとしての価値を生んでいた「偶像であること」と「たくさんのひとに届くこと」は、どんどん目減りしていく。

「偶像であること」は、バーチャルキャラクターに簡単に代替される。今後生まれてくる世代は、初音ミクが当たり前の世界なのだ。生身の人間と、バーチャルキャラクターなら、偶像度はバーチャルのほうが高いに決まっている。そろそろ、比率が変動してくるはずだ。

「たくさんのひとにとどく」も、すこしトリッキーだが「ひとりひとりとどんな関係をつくるか」に価値観がシフトしている。「みんなが知ってる」もまだ健在だが、「わたしが知ってる」のほうが価値が高くなってきている。中学生を見ていれば、それはなんとなくわかる。彼らに共通なTVの話題も、音楽の話題もなく、それぞれがそれぞれの好きなものを楽しんでいる。また、それを、是としている。

ということで、なんとなくの未来予想としては、いまのYouTuberの枠がもう少しバーチャルYouTuberに変動していき、テレビの芸能人はだんだんと伝統芸能化していく・・・んじゃないかなぁ。

「人間」が阻害されている世の中で、「アイドル」が「人間」になっていくというのは、最高に皮肉が効いていて面白い。

とはいえ、人間の「偶像崇拝」欲も変わらず残るかもしれないけど。

以下オマケ

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