感動すると「言葉」は出ない
中学生と高校生が混じって、来たるべき未来を考えていた。
難しい問いだ。
「AI時代とはなにか?」。
案の定、決定的に状況を掴んだものはいなかったかもしれない。しかし、時間が進むにつれて、ボルテージが上がっていっていることが伝わってきた。クーラーの温度を下げても、暑いのだ。
中学生たちはいま、学校でファシリテーションを中心とした授業づくりをしている。ファシリテーター、ライター、プレゼンター、オーディエンス、プレゼンまでの流れ。共通言語を先生方がしっかりと作られているため、スムーズに対話に入れる。
とくに三年生は、昨年からやっていることもあり、一分の発表時間にきっちり合わせてくる。それだけでも、驚くべきことだろう。
他の班の気付きは、自分の班の気づきを促進する。
高校生はその知識と経験から、中学生を見守り、ときに鋭い意見を出して班を牽引していってくれていた。
この「まなびやジャック」企画は、「高校生活のイメージをつけてもらう」ことが第二階層の目的にあった。最後の高校生からの話に質問しながら、笑いながら、真剣に聞いていた中学生の姿から、その目的は少しでも達成されたことがわかる。
彼ら自身も「もっとうまく話せた・・・!」という悔しさもあったようだ。僕からすればその存在だけでも本当にありがたいのに、さらにまだ求めるか・・・、と心強さを超えて尊敬の念が出てくる。
ずらずらと、ここまで書いているが、お気づきの通り、ほとんど状況記述である。なにに感動したのか、じつはまだ言語化できていない。
ただ、全員が素晴らしい場であったこと。
そして、参加してくれた、素晴らしい高校二年生の中学校卒業生が「なんであのときまなびやに行かなかったのか・・・」と言ってくれたことが、本当に嬉しくて。
きっかけを作ってくれた高校生哲学カフェのメンバーにも、最大限の感謝を。
明日、感想を丁寧に見返して何が起きたのかを眺めてみます。
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