今日はグレアムの命日です

1989年10月4日はグレアムチャップマンの命日です。48歳でした。喉頭がんを発症し、そのがんが身体中に転移。晩年は車いす生活だったそうです。

亡くなる10年ほど前の1978年に重度のアルコール依存症を克服し、自分で映画を作ったりドラマシリーズを旦那さんのデイヴィッドさんと一緒に製作したりして、やっと人生が落ち着き始めた矢先のことだったように思います。

自身も医者であるグレアムは、死期が迫る中の入院中のベッドで自身の身体について「大丈夫」と兄のジョンチャップマンなどに伝えていたそうですが、私にはこれがグレアムの優しいウソにしか思えません。(ただの拗らせオタクの拡大解釈です)

グレアムのメモリアルセレモニー(告別式的なもの。12月に行われたものとの表記が動画の冒頭にあるので、葬儀とは別物だと思います。)の動画は有名ですね。特にジョンCの弔辞はニコ動でもコメントで字幕がつけられていたように記憶しています。

今回はこの弔辞を翻訳しました。上の動画はジョンのスピーチのほんの一部が切り取られたものです。実はFワードから先がこの弔辞の一番大事なところだったりします。ニュースサイトに全文があったので、訳せるところを訳しました。どうぞ。↓


グレアムチャップマンへ、ジョンクリーズによる弔辞

死んだオウムコントの共作者、グレアムチャップマンはもういません。

グレアムは生命の働きを止め、命を失い、静かな世界に旅立ちました。身勝手にも死にやがって、この世から逃げ出し、地に伏し、くたばり、息を引き取り、天にいるお笑いの神様に会いに行きました。(ここは死んだオウムのセリフから持ってきてる感じです。)

おそらくここにいる全ての人が、あれだけの才能に恵まれ、あらゆる素質と優しさと知性を兼ね備えた男が、48歳という若さで突然旅立ったという事実に悲しみを覚えていることでしょう。成し遂げられたであろう沢山のことを叶えることなく、そしてこの世界を十分に楽しみ尽くす前に、彼はこの世を去りました。

私はこの場で「やっとあのバカがいなくなってせいせいする、邪魔くさいタカリ屋め、電気椅子で処刑されろ」とでも言っておくべきなのでしょう。
なぜなら、もし私が今、ここにいる皆さんにショックを与えるこの絶好のチャンスを逃したりしたら、グレアムは私のことを絶対に許してくれません。
意味のある無意味(mindless good taste)。私がグレアムにしてやれることはこれだけです。昨日の夜この文章を書いているとき、私の耳にはグレアムのささやきが聞こえていました。※
「いいか、クリーズくん。テレビで最初に「クソ(shit)」という言葉を使った人物であることは誇るべきことだ。もしこの告別式を本当に僕のためになるものにしたいのなら、君にはイギリスの告別式で歴史上初めて「ファック」と言った人物になってほしい」と。

※これは「聞こえた気がする」という意味だと思います。だいぶ前に見たニコ動のコメだとグレアムが遺言的に死に際にジョンに伝えたような訳になっていた気がしますが、これ12月ですし、本人が亡くなる前に弔辞を書くだなんて妙なことはしないはずです。あくまでこれを書いているジョンの隣に天使グレアムが舞い降りて悪魔のささやきをした、的な意味でしょう。


ここでひとつ困ったことがあります。今の私にはそれができないのです。もしグレアムが今ここに、私のそばに居てくれていたら、私は思い切ってその言葉を口にすることができたでしょう。私にその大胆さを与えてくれたのは、いつだってグレアムでした。そして今、私は彼の度胸と美しき反骨精神を失ってしまいました。


~中略~


みなさんお気づきの通り、グレイはこうしてほしかったはずです。私がグレアムにできることはこれだけです。グレアムとの思い出にはいつだって「mindless good taste」がついてきます。
彼は人にショックを与えることが大好きな、悪趣味界の貴公子でした。パイソンズの子どもっぽくて不快な部分を体現し、象徴した人物は間違いなくグレアムだったでしょう。そして彼の人に衝撃を与える才能はどんどん進歩していきました。グレアムは内気で弱い人々の進む道を切り開いた先駆者なのだと思います。


思い出を少し。グレアムと一緒にアンダーテイカースピーチ(葬儀の際のスピーチ)を書いていた時、彼はオチとして「よし、じゃあ僕らで彼女を食べとくけど、後で気持ち悪くなったら墓掘っとくからそこに吐いていいよ」と書こうと提案してきたことがありました。それと1969年、私とコニーが住む家で毎日のようにグレアムとスケッチを書いていたころ、グレアムは小さな正方形の紙のかけらに4文字の言葉(たいていfu*k, sh*t, su*k などのよろしくない言葉)を書いて、それを何も言わずに私の家の目につきやすいあらゆる場所にそっと置いておくという遊びを発明し、私とコニーは大事な来客を迎えるときにはいつも血眼になって小さな紙を探し回る羽目に。
BBCのパーティで腹を床につけて這いつくばり、灰色のスーツを着込んだお偉いさんたちの脚に愛情たっぷりに自分の身体をすりつけ、美味しそうなメスの子羊をそれはもう繊細に少しずつかじっていたこともありました。
オクスフォード大学にゲストスピーカーとして招かれたとき、式典用の厳かな会場に全身オレンジで細長い、緑の葉を模した帽子をかぶったニンジンの姿で現れたことも覚えています。そしてグレアムは自分がスピーチをする番になっても喋ることを拒否し、20分間何も言わず、美しい笑顔を浮かべてただそこに立っていました。歴史上でただ一度、一人の男が完全な沈黙によって大混乱を巻き起こした瞬間だったことでしょう。
サン紙のTV賞を受賞した時、グレアムは貰ったトロフィーを床に落として、這い付くばって大声で叫びながら自分の席まで戻ったこともありました。グレアムが出し得る最大限に大きな声で。グレイ、もし覚えてたら言っとくけど、あれ本っっ当にうるさかった。


どれも信じられないような出来事ばかりでしょう。私が思うに、グレアムがその突拍子もない行動で人々に与えるショックは、誰かを怒らせたり悲しませるものではなく、単に人々に刹那的な自由と楽しさを与え、その中で我々の日常をひどく縛り付ける社会的常識が、いかに下らないものであるかを教えてくれるものでした。
だけどもう、グレイは我々にその楽しさを与えることはできません。彼は旅立ち、もはや元チャップマン(ex-Chapman)でしかありません。私たちに残されたのはグレアムと過ごした時間の思い出だけです。しかし私たちがその思い出を忘れるには、まだしばらく時間がかかるでしょう。

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