8 噓つき自伝

第三章
ケンブリッジ

ケンブリッジ。何の特徴もないだだっ広い敷地に建てられた大学の街。
(☆あまりにもケンブリッジが何もないところ過ぎたのか、なんで昔の人はこんな場所を街にしようとしたのか?というグレアムの憶測がまるまる1ページくらい書かれています。そして面接当日の話へ。)

1958年。フォードアングリアは警察官警部とチャップマン夫人、そして医者が着てそうだからと選んだ、少しませたスーツを着こんだニキビ面の少年を乗せ、大きく振動しながらA604号線を南に走っていた。その少年はラグビークラブのネクタイを締め、忙しそうに新聞を読んで世間の近況を追っていた。
ケンブリッジ大学、エマニュエル・カレッジの学長は何を聞いてくるだろうか?校長先生は「とにかく学長にたくさん喋らせてそれにずっと頷いておいて、少なくとも2,3個の脳細胞は機能してることを見せつけるために、途中いくつかの話題で自分の反対意見を主張しておけば大丈夫だろう」と言っていたけど、もし英文法について聞かれたりしたらおしまいだ…。

車を降りて大学の敷地内を歩いていく。ガウンを着込んだ見るからにすごそうな人たちを脇目に中庭まで歩いたが、学長のいる建物がどこにあるのかさっぱりわからない。周囲に溢れかえるお堅そうな大学生からの威圧感に耐えつつ、たまたま目についた庭師のおじいさんに声をかけ、学長室への行き方を教えてもらった。いよいよ学長の待つその部屋への扉を見つけたが、まだ面接の時間には15分早い。再び不審者に見えないようにそこらを歩き回る。どうしてみんな僕のことを見てるんだろう?…そしてついに、時計は16時を回った。ドアをノックし、重大な役目を果たした庭師のおじいさんに一礼を。


何回「はい」と頷いただろう、特に学長が採鉱や産業革命の話をしているときには、とにかく何度も相槌を打った。しかし学長が僕に各科目のAレベルをとれるのかどうか聞いてきたとき、体育の成績に関しては迷わず「NO」と言ってしまった。これには学長もさぞかし感心した様子で、聞き返すように顔を前に突き出し、ハゲたおでこを覆いつくす勢いで眉毛を釣り上げて、どこから話を聞こうかといぶかしげに口を尖らせた。
「なぜそう思う?」
「わからないんです」
「わからない?それは、確実ではないという意味かね?」
「ええと…そうですね」
「そういうことでいいんだね?」
「あ、はい」
「というと、Aレベルを取ることも可能ということか」
「はい、可能です」
「十分、可能かね」
「えっと、その…」
「聞き方を変えよう。君はAレベルが取れないのか?」
「いいえ」
「よろしい、では10月に。」
部屋を出て数秒のあいだ、呆然と廊下に立ち尽くした。あれはケンブリッジに入学「できる」という意味だったのか?それとも「できない」という意味なのか?
いや、たぶん「できる」の方だろう、と自分に言い聞かせ、もはや自分のものになったも同然なケンブリッジの中庭を歩いて行った。誰も僕のことを見ていないのを少しだけ気にしながら。
「どうだった?」
車に戻ると真っ先にそう聞かれた。
「どうってことなかった、あと体育のAレベルだけ取れば大丈夫だって」
「なら大丈夫だな。そうだろ?」
「うん、大丈夫」
自信ありげにそう答える。
キーを何回か回してやっとエンジンがかかり、車は再び震え始めた。
「今回は勝ったわね」
母イーディスは1時間と15分の間ひたすら睨み合い続けた大学に勝者の眼差しを向け、父である警察警部はスロットルを開いてエンジン音を響かせ、満足げな笑みを浮かべつつ車を走らせた。

一週間後、僕は不安の中にいた。
学長は本当に僕に入学許可をくれたのか?あんな簡単に?…
ケンブリッジに確認のための手紙を書いている間に、他に受験した2校から合格通知が届いたのはうれしかった。どちらもロンドンにある大学病院だ。中等レベルのグラマースクールでレベルの低いクラスに通っていた少年にとっては、ケンブリッジよりもこの合格通知のほうがずっと現実的だった。

聖スウィツィン病院の面接は2人の面接官によって行われ、20秒で終わった。
「ラグビーやるんだ?」
「はい」
「うちにジョンチャップマンっていう生徒がいるけど、親戚か誰か?」
「私の兄です」
「そっか、じゃあ9月に会いましょう」
「ちょっと待って、ラグビーのポジションはどこ?」
「セカンドロウです」
「では9月に、お待ちしてます」

それに対して、セントメアリー病院の方はかなり大変だった。まず自分の席に着くと机に110ページの筆記テスト用の問題冊子が置いてあり、なんとそれを15分で終わらせろと言うのだ。試験監督は机上のタイマーをスタートさせると、そのまま部屋を出て行ってしまった。10分を過ぎても半分も終わらない。こうもパニックになると僕はいつも自分に「英国紳士たるもの、平生を保たなければ」と言い聞かせ、鉛筆を置いて何もしなくなる。パイプに火をやって1分間意味もなくタイマーを眺め、意味もなくタイマーを手に取って適当にいじくりまわし、また机に置く。どういうわけか、タイマーはテストの残り時間がまだあともう10分あるという。じゃあ残りの10分でテストを解けばいいよねと思い、僕は引き続き問題を解いた。
ちょっと待て、これって不正行為なのでは?自分自身に問う。そうとも言うが、これは非常に賢い不正行為だ。自分自身に答える。


昼食のあとは面接だった。
部屋に入ると、2人の面接官は僕を見るなりたじろいでいた。IQ495とのテスト結果を叩き出した男を目の前にすれば、誰だってそうなるだろう。彼らは緊張した様子で瞬きをした後、バートランド・ラッセルとアインシュタインを一度に出し抜けるであろう質問を一つ投げかけた。
「スポーツは、なにを?」
「登山を好んで致しますが、私自身はほんの数回、危険を伴う極めてレベルの高い登山のリーダーを務めた経験しかありませんし、雪山や氷山の経験もまだありません。ラグビーに関してはクラブに所属し、セカンドロウのポジションについています。…」 

面接官は他に何も質問が思い浮かばないことを詫び、教授として7年間に及ぶ職務を僕に与えることができないことを残念がっていた。何より、そんなに長い期間この場所で耐えられる気はしないが…。

今日一日で少なくとも、聖スウィツィン病院かセントメアリー病院のどちらかに進学できることが確定したが、ケンブリッジについては未だに確信が持てないままだった。ともあれ、このあと夜に開かれる聖スウィツィンでの兄の24歳の誕生日パーティに参加することが、その時の僕には身の丈に合った心地よい幸せに思えていた。

☆グレアム、絶対ケンブリッジがいい!って感じでは無かったみたいですね。もしグレがケンブリッジに入ってなかったら……、確実に今の世の中は違っていたことでしょう。世界中の人びとの人生が、今より少しだけ退屈だったかもしれない。


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