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此方彼方の間に«小説»

貴女からの最初の電話は夏だった

エアコンの消し方がわからくなっちゃった

急いで駆けつけると
ほっとしたように苦笑いした貴女は
まだ、還暦を過ぎたばかりだった

冬の始まりには
ストーブのスイッチを探していた
それからすぐ
貴女は嫁の顔を忘れがちになった

先生と呼ばれる日があり
ヘルパーさんになる日もあり
嫁を思い出す日もわずかにあった

次の夏には
デイサービスだけでは回らなくなり
義父が音を上げて
貴女は施設に入った
もう貴女の中に嫁は存在しない

義父と息子たちの声には
きょろきょろと辺りを見渡す
目の前の当人たちには気づかず

あれだけ大事にしてくれた嫁と
可愛がった孫を此岸の端に置き忘れ
ぎりぎり彼岸が見える場所に立ち
夫と息子の声だけを最後のよすがに
貴女は車椅子で見送ってくれる

何を言っても
とんちんかんな返事しかない
けれど
貴女に25年分のありがとうを
面会日のたびに思わずにいられない

家で過ごさせてあげられなくて
ごめん
お義母さん

古臭い田舎育ちの嫁にとって
元旦に、モスバーガーに行こうよ!と言う
貴女はまるで
テレビの向こうの人のようでした

自分が夫の実家では頭痛がしたから、と
孫は見ているから昼寝し!と
いつも休ませてくれた

貴女が不安定になって
声を荒げることが増えたお義父さんも
すっかり元の優しい人に戻りました
この前
かあちゃん、と呟くの 聞いてしまったよ

面会禁止から
月に一度 ガラス越しに
ようやくテーブル越しになった
もう少しで触れるかな

貴女がくれた思いやりを
貴女に返せなくなってしまったから
嫁は
他の誰かに返せるように
今日も生きています

お義母さん
お義母さん
お義母さん
こんな発言は、もう時代遅れだと
わかっています

私はこの家に嫁に来て良かった

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