見出し画像

自分を減じてくれる買い物の話

何かを手放すって難しいという話です。

せっけんを「買う」行為が好き

たぶん10年くらい、私はせっけんが好きです。

旅行先に行っては、オーガニックのブランドが新商品を出せば、フェアトレードのものを見つけたら、こまこまと買い、ニヤニヤとサイトを眺めます。

せっけんについての本を数冊読んで、自分で作ろうとしたこともあります。(苛性ソーダという取り扱いが難しい材料を使わないといけず、断念したけど、道具は今もクローゼットでホコリをかぶっている)

これを使えば肌が白くなる!みたいな機能的なものというより、自然な素材で手間かけて作られているものの方が好みだけど、きっとあまり儲からないから、好きになったブランドは数年で消えていく運命。

この週末、仕事で北海道のsavon de siestaというせっけん屋さんを訪れる機会がありました。そこでも例に漏れず、たっぷり買いました。
この「静かな森の石鹸」シリーズが最高だった、ホーリーバジルと聞くだけで、どういうものなのか詳しく知らないけど(オイ)なぜか心がきゅ〜〜んとなる。シエスタさんは10年以上このビジネスを成功させ続けててすごい)

私ってなんでこんなにせっけんを買うことが好きなんだろう?

そう、使うより買うことが好きみたい。

洗面台下の引き出しには、30個くらいの石けんストックが眠っています。(一つを使い終わらないうちに、次を使い始めてしまうから常時2〜3個がオンライン。いや、オンお風呂?)

砂鉄みたいな当事者意識

前の職場の信頼している先輩に、「筒井さんって砂鉄集めてるみたいだね」って言われたことがあります。
磁石を砂場に入れたら、見えなかった砂鉄がたくさんくっついてくるみたいに、会社や職場にある課題を自分ごととして両肩に乗せがち。
U字磁石の両方に砂鉄がぼはーーってついてくるかのごとく、誰も頼んでないのに、いつも重い課題を背負ってしまうんだよな〜

そんな私は、いつも何かを手放したいのかもしれない。

本屋さんを見るにのたぶんの推測だけど、断捨離の本がダイエットと同じくらいいつまでも売れ続けているし、ミニマリストはずっと流行るし、みんなも何かを捨てたいのかもしれない。

でも、一度自分の肩に乗った、自分の引力で引き寄せたものは、なかなか手放すことが難しい。
動けば動くほど、自分でも気づかないうちにどんどん集めてきてしまうだろうし。
(生きていくって何かを選んで得て、背負っていくことの連続なのかな…)

何かを加える買い物と減らす買い物

私は買い物も好きです。

特に、洋服やジュエリーなど、自分を装うもの、よく見せてくれるもの、理想の自分に近づけてくれるものを買ったときの高揚感は、なんと言ったらいいんだろう。
そのときにしか得られない、非日常で、特別な、心が高まる感じがする。

でも、それは、自分に何かをプラスする行為。
買い物の楽しさを味わうには、何かを迎えないといけない。

せっけんという、私から何かを取り払ってくれるもの(物理的には汚れ?)を買うということは、自分に何かを追加する、ではない、自分を減じてくれる唯一の買い物なのかもしれない。

買い物という高揚感と、せっけんという自分を清らかにしてくれるもの。

今日も、自分から何かを手放すかわりに、買いためた石けんをせっせと使おうと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?