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誰かと一緒にすること

登山を始めて何年か経つけど、同じ山に何度も登ることはそう多くない。

十勝岳。大学3年の時に登って以来、毎年登り今年で4回目だ。

正直、特別好きな山ではなかった。
というのも、初めて来た時は自転車で登山口まで行った挙句、ガスで視界はほぼ無い状態で、寒さに凍えながらなんとか登頂した思い出しかないからだ。
その後の2回の登山でもなぜか他の山よりもやけに疲れた。
それに麓の方からの眺めが抜群だし、この山はきっと登る山じゃなく眺める山なんだ、と3回目の登山が終わってから友人に話していた。

けれど、なぜか今年も私は同じ場所にいた。
今年で北海道も最後だし、この山もこれで最後だ。
そう思うとなんだか急に、この山から見える景色を目に焼き付けておきたいという気持ちが強くなった。

十勝岳登山道から望む上ホロカメットク山

何度も通っているはずなのに、再び自分の足で立って見る景色はなんだかいつもと違って見えた。晴れているから?自然に関する知識が以前より増したから?
そして、あれ私、この山やっぱり凄く好きかもしれない。と感じた。

帰宅し、1人になった瞬間、その理由がわかった。


誰かと一緒に山を登ることが私にとって本当に大切なことなんだ

登山口にて、夕焼けに染まる十勝岳

私は昔から、そして今でも誰かと長い時間話す事が苦手だ。仲良くなりたい気持ちはあるのにいつも思うように言葉が出てこない。
複数人でいるときは特に、ただニコニコしてばかりで相手のことを聞き出したり、話を回したりすることができないし、人に話を振られるのを待ってばかりだ。
そのくせ家に帰った後、あー私あの人と合わないのかな、なんてことを考えたりする面倒臭い奴だ。

けれど、登山は自然の美しさ、歩くことの楽しさ、頂上に行くまでの辛さと着いたときの達成感、それらを一緒に感じながら、誰かとそうした同じ瞬間を共有しながら行うことができる。

しかも、様々な経験を共有しながら、登りながらそれについて語り合うことができる。

私は山を登ることではなく、誰かと一緒に山を登ることが好きで、それは自分にとって人との繋がりを深め、自分に活力を与えてくれることであると思った。

きっと十勝岳に登っている時、そんなことを私は心のどこかで気づいていて、この山好きかもしれない、と感じていたのだろう。

今度は誰と一緒に登れるかな

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