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答え探しの旅の始まり

「わざわざ東京からありがとう。また来いよ」

「爺ちゃんじゃあね。また来るわ」

2018年9月21日。それが祖父と交わした生涯最後の会話だった。


それから一か月後、祖父は88年の生涯を終えた。一報を聞き、東京から祖父母の住む奈良に駆けつけるまでは持てなかった実感が、遺体と対面し、通夜、告別式を終えた今、現実のものとして胸に刻まれている。


大切な人は確かに逝ったのだ。そして、もう言葉を交わすことはない。唯一の男孫として祖父の寵愛を受けて育った自分にとって、何章あるか分からない人生の一章は終わったのだ。


大切な人を失った自分は何ができるのか。そして、どう生きていくのか。果たして、その問いに確かな正解などあるのか。


きっと正解などない。あるのだとすれば、背負った悲しみや絶望、受け取ってきた教えや愛情を抱きながら、「人生」という時計の針を一歩ずつ前に進めていくことなのだろう。


自分の力ではどうすることもできない不条理を憂い、嘆きつつ、時には「これも人生の一部」と肯定しながら、その足を止めないこと。きっと、これが絶望と対面したときにできるただ一つのことなのだ。

周りに対しての感謝を忘れないこと。家族、友人、仲間を大切にすること。そして仕事と真摯に向き合い、取り組むこと。


祖父から学び、受け取ったこの教えを「楽しみながら」やること。これができれば、自分の人生は歩みを止めることなく回っていく気がする。


新大阪から乗った新幹線が、まもなく東京に到着する。人生の時計の針は明日も、明後日も回り続ける。一つの心のよりどころを失った自分は、果たしてどう生きていくのか。答え探しの旅はまだ始まったばかりだ。

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