死を刻印された器~コウメ太夫論序説

1、
不器用な歌声と共に白塗りの遊女が舞台上にやってくる。扇で隠されたその顔が明かされると彼女はおぼつかない足取りで舞を踊り始める――
彼女の名前は、コウメ太夫。れっきとした遊女だ。しかし私たちはここで一瞬ふと考えて立ち止まってしまう。なぜ遊女が現代の舞台に立っているのか?と。言うまでもないことだが遊女とは江戸時代の歓楽街であった吉原で働いていた女性たちの総称である。現在の卑近な言葉でいうならば、さしずめ風俗嬢とでもなろうが当時の遊女は非常に格式高いものとされ、江戸市中のファッションリーダーとしての役割をも果たしたのだというから現在の視点で捉えてしまっては見逃してしまうことが大きすぎる。中でも太夫は初期吉原における最高位の遊女に与えられる位であり、全盛期の吉原においても数人しかいないという非常に類まれなる遊女なのである。しかし彼女はれっきとした遊女であると同時にまた芸人でもある。
 本稿ではこの現代に現れたる遊女であるコウメ太夫をめぐる一連の状況が非常に特異的に見えるという筆者の私見からはじめる考察であるが、なるべくそのような主観性は排しながら、ではコウメ太夫がいかなる意味で特異であるのかということを社会的な観点や道化的な観点から考察してゆく。もちろん彼女のネタだけではなく、後ほどにも語るようにそのTwitterアカウントをめぐる特異な状況も本格的に分析を進めるつもりであるし、読みようによってはTwitter文化論としても読みうるだろう。また、物語評論家であるさやわかの『10年代文化論』にも触れているように2010年代の文化論の一端としても構想されている。いずれにせよ筆者自身の他のテクストとも連関性の中でもまた語ることは出来る。しかしひとまずはそのような要素は出来る限り削りながら、本論の核となるコウメ太夫の分析に移ろう。
 彼女のネタは単純で、音曲を舞いながら、最近彼女が経験した、「畜生」と地団太を踏みたくなるような体験談を歌い上げながら最終的には「チクショー!」と大声で叫ぶ。それだけである。例えば代表的なものとして次のようなネタが挙げられるだろう。

 偏差値の低い学校に入学したら 先生がチンパンジーでした チクショー!

 この体験談は端的に言えば嘘である。しかしもちろん誰しもがそのような自明の事実を理解していながらも、それに拘ることがないのは、私たちはこのネタを通じて笑えれば良いと思っているからだ。そもそもお笑いはすべてが虚構なのだし、本当の体験談を開け広げに話されてもそれはそれで困る。とはいえコウメが語るこの体験談はたとえそれがお笑いのための嘘だとしても意味不明であり、先鋭的である。むしろ私たちはこれに笑いつつも、その不可解さ、つまりその虚構性の強さに強い印象を受ける。
 ところでこの虚構性というのもまた遊女たるものの大きな構成要素であったことを見逃してはならない。彼女たちは遊郭に来る客に対してあたかも恋人か妻であるかのように振舞い彼らをもてなす。彼女たちはその日一日だけかりそめの夫婦のようになり、虚構としての関係性を徹底的に遂行する。しかしである。コウメ太夫はそうした格式高い吉原の遊女に比べるとあらゆる点で「残念」である。それもそのはずでまず彼女自体は芸人として求められるべき能力が確かに欠けている。彼女が舞台で舞い踊るときセリフを間違えたり噛むことなどは日常茶飯事だし、「チクショー」ネタ以外の彼女の重要なネタの一つである「チクショー1週間」というロシア民謡「一週間」に合わせて彼女のチクショーな一週間を歌い上げるというネタでは、メロディーと歌詞がほとんどかみ合わず、他の芸人から「字足らず」「字あまり」を徹底的に指摘されるという有様である。もしくはその格好にしてもチープなカツラと衣装を身にまとい、それが完璧に往時の遊女を模倣しようというものであることなどはつゆ思わせない。
 もちろんそのようにして完璧に遊女を模倣したところでそれは全くお笑いにはならないだろうし、そうした「残念さ」がコウメの魅力を作り出していることは言うまでもない。コウメが「残念」な特徴を多く揃えていることは容易に理解できると思うが、この「残念」という言葉について物語評論家のさやわかは『10年代文化論』の中でこの言葉が2010年代の文化の特徴の一側面を表しているのだと書いている。それによれば、2000年代の後半から2010年代にかけてこの「残念」なものを受け入れる感性が社会に広がっていったことがいくつかの類例から推測できるというのである。
それほどにまでこの「残念」なものとそれを受け入れる感性が社会に広がっていったことを考えるならば、コウメに限らず多くの芸人が最近ではその特徴を有していると言えるだろう。例えば出川哲郎や狩野英孝のような芸人たちは自ら芸人としては本来あまり望ましくないと思える特徴(セリフのすっぽかしや過度な言い間違い)などをチャームポイントとしている。だとすればコウメもまたそのような一群の芸人たちの一部でしかなく、取り立てて語るまででもないのだろうか。しかし私は現代の他の残念芸人と比べてコウメが有している大きな特徴を挙げることが出来る。それが「死」というファクターである。

2、
先にもコウメが遊女であることを語ったのだが、ここでコウメが「コウメ太夫」であり、「コウメ花魁」ではないということは非常に重要なことなのである。どういうことかと言えば、江戸期の吉原においてかつては最高位だった「太夫」という位はいつの間にか消滅し、遊女の最高位は「花魁」という名前に変わったからである。つまりコウメはかつて遊女におけるトップであったに過ぎないのであり、既にその威光は衰えているのである。もちろん現在は花魁も太夫もいなくなってしまったわけであるが、しかしここでコウメが自らの名前に「太夫」を付けることは、どこか「忘れ去られた呼称」という昏い影を帯びることになるのである。
そういえばそもそも遊女というもの自体が常に「死」と隣り合わせである危うい職業だったということを思い出さなくてはならない。彼女たちは幼いころに年季奉公に出されて以来、「おはぐろどぶ」という水路に囲まれた吉原の土地において(そういえば、コウメのネタにはたびたび「ドブ」という言葉が登場するがそこで名指されているのはこの沼のことではないだろうか?)働かざるを得ず、人気が出れば花魁などの華やかなファッションスターのような地位につけるものの、鳴かず飛ばずであれば安い金で買われて、最後は近隣の寺に遺体を投げ込まれるだけの悲しい最期が待っているだけであった。常に「死」が頭の上をちらつき、そのようなどこか昏さを漂わせる遊女の影がコウメの身体に付きまとっている。そしてそのような苛烈な競争の中で太夫という位は捨て去られ、花魁という新しい位に取って代わられる。
この推論はコウメの持つ「死」の影の一端を明かすかもしれないがしかし一方で「太夫」という位は大阪などでは細々と残っていたらしい。一方で注目したいのはコウメ自身のネタについてなのである。そこにはこのようなまわりくどいロジックを使わなくとも、もっとダイレクトに「死」の影が付きまとっている。彼女のネタの多くは確かに笑えるものの、よく考えてみるならば「死」に直結するようなものばかりなのである。
崖から落ちたり、死神がやってきたり、雷が落ちたり、死刑宣告をされたりなど、どれもが「死」または重体・重症・精神的な責め苦を喚起させるのである。さらには決め台詞の「チクショー」であってもその語義を辿るならばそれは仏教の六道のうち畜生道という、本能のままにしか生きることの出来ない動物たちの世界を表しているわけだがそれもまた「死後」の世界に輪廻転生をして突き進む世界なのであって、「死」はこの決め台詞にも登場している。コウメは普段私たちが考えないで生きている「死」というファクターを笑いという要素と共にその身体に背負わせ舞台上に立つ。
彼女は「死」をその身体に憑依させながら舞台上で舞い踊るのではないだろうか。

3、
「死」をその身体に憑依させるコウメ太夫。しかし私たちはそのように「死」なる記号をもって共同体に迫ってくる存在を先行文献の中に発見することが出来る。例えばそれは山口昌男が語る「道化」のような存在である。彼らは「死」の象徴として祭りや儀礼の時に共同体にやってきてはその共同体の秩序を攪乱させ、凡ての秩序をひっくり返しながら帰っていく。なぜならば道化はその存在自体が共同体におけるルールを完全に無視した存在であり、共同体がその組織を維持するために禁止したありとあらゆる禁忌を破るために来襲するのである(例えばその禁忌は近親相姦の禁止などが代表的だろう)。
なぜ道化は共同体をこのように攪乱するのか。それは共同体内部がルールによって閉塞することを防ぎ、定期的に攪乱されることによってその内部の風通しを良くするという意味合いがあるのだ。では小梅もまたこのように閉塞した社会に風通しを良くするものとして現れた道化的な存在なのであろうか。
確かにそのような側面を読み取ることもまた出来るだろう。それは彼女が「死」という隠されたファクターを持っているからである。しかし一方でコウメ太夫にそのような力を期待するのは行きすぎではないだろうかという反論が聞こえてきそうだし、実際に僕もそう思う。なぜならばそれは山口が語る道化的存在よりも弱い存在に見えるからだ。
例えば小梅太夫をめぐるこのような状況はどのように理解されようか。
彼はTwitterアカウントを所持している。そのアカウントでは、彼がいつも行っているネタをそのまま文字化したような「まいにチクショー」と呼ばれる一連のツイートが流されている。それだけならば普通の芸人のネタツイートと変わらないのであるが、彼のTwitterが特異なのはそれに対する膨大なリプライと更にそのリプライが生み出す独特の文化圏である。例えば初期のリプライの最も有名なものとして、コウメ太夫の「まいにチクショー」を毎回5段階評価で評価するというアカウントや、その評価アカウントを更に評価するといったアカウントまで誕生している。また最近では小梅太夫が発する意味不明なツイートを哲学的に読解するという「哲学者コウ・メダユー」なるアカウントや、コウメ太夫のツイートをただ2進数に置き換えるだけのアカウントまで誕生しており、彼女をめぐるリプライ合戦ともいえる様相は混迷を極めているともいえるし、逆に一種のニコニコ動画の用語でいうところの「祭り」(そういえば道化が共同体を攪乱させに来るのはまさに祭礼のときではなかったか!)が常に起こり続けているともいえる。
ここにおいてコウメ太夫はただ共同体を脅かす恐ろしい存在というよりも、Twitterという共同体の様々な人に逆に利用されながらダシのように使われているのである。そこでの小梅はあまりにも弱く、無力であるとさえいえよう。彼は共同体に対して加害者であるというよりもどちらかと言えば被害者のようでもあり、加害者のようでもあるというような微妙な立ち位置にいるのである。
整理しよう。コウメ太夫は、吉原の太夫という「死」に近かった役割を演じ、そしてそのネタはまた「死」があらかじめ予期されているような捉えようによっては非常に陰鬱で暗い雰囲気を背負っている。そのような「死」という記号を担っているコウメ太夫は山口昌男が語るような人々が思い出したくない「死」を担ってある共同体に来訪し、そこを攪乱する伝統的な道化像と重なるのであるが、しかしそうした伝統的な道化像が徹底して共同体を攪乱させるという加害者一辺倒であるのに対して、コウメ太夫の在り方はそのTwitterでの「祭り」を見ればわかるようにどちらかと言えば共同体の人間(この場合はTwitterのユーザーであろう)がその道化に対してインタラクティブに触れるという状況が生まれており、コウメ太夫は加害者的であると共に、同時に被害者的に扱われている(むしろ、状況を見る限りほとんどコウメ太夫は利用されているだけにも思える)。

4、
このようなネットコミュニティという新しいタイプの共同体について2000年に入るごろから頻繁に多くの論者がそこで繰り広げられる「N次創作」という現象に目を付けてきた。そしてコウメ太夫が提示するこのようなモデルは確かにN次創作のモデルに似ているかもしれない。コウメ太夫という一次的な創作物があり、それに対する反応が積み重なる形でまた新しいネタツイートが蓄積されていく。その積み重なりこそが現在のコウメ太夫をめぐる一連の状況なのだと既存の文化状況とも関連させて語ることも可能である。しかしそれは決定的にN次創作とは異なる独特の共同体モデルを提示していることに注目しなければ恐らく現在わざわざ取り立ててコウメ太夫などという芸人を語ることに意味は無いし、彼女を用いずともそのようなことはもはや繰り返し語られてきた。コウメ太夫を語るということの特異性は恐らくそのようなことにない。
彼女のTwitterをめぐる一連のやりとりはN次創作に見られるような元の作品への批評精神や俯瞰的観点、もしくはそのように高度でなくても単純に元ネタに対する愛情というものが欠落しているように感じられるのである。たとえばそのリプライ欄でコウメ太夫のチクショーツイートに対して反応している人間同士がお互いに寄り集まってオフ会などを開くということが考えられるであろうか。N次創作に関わる人間というのはその程度の差は異なれども少なくともファンコミュニティに属する人間であり、そこではいわゆる分かりやすい形での共同体が育まれる可能性がある。
コウメ太夫のリプライ欄に集まる人間は確かに小梅のファンもいるのであろうが、全く各々が好き勝手に小梅太夫という素材を使いながらリプライを作っている。そこで小梅太夫は特権的な位置を持ったスターなどではなく、ほとんどそれぞれの人間が思い思いに使われるために存在する「依りまし」でしかない。なぜそのような「依りまし」としてコウメ太夫は存在することが出来るのか?最初にさやわかの『10年代文化論』でコウメについて語った話を思い出してほしい。コウメ太夫とは不完全で「残念」であるがゆえに、逆に2010年代のような時代においては各々がその「残念さ」を受け入れることが出来る。そしてそれを受け入れるだけではなく、それぞれのユーザーがインタラクティブ的にその「残念」から生まれるある意味での余白をいかし(コウメが完璧に遊女に扮していたら、完璧に面白いツイートをしていたらこのような現象は起きなかっただろう)、自らの笑いを発見しているのではないか。
コウメ太夫とは畢竟、器のようなものである。
そこには空白があり、不完全であるからこそ、コウメ太夫に人は様々な意味を見出し、あのような異様ともいえるリプライ欄が生まれたのである。いわばそれぞれのユーザーは小梅太夫を依りましにして各々の笑いを好き勝手に作り出す。しかしここにおいて重要なのはそれがただバラバラに存在しているのではなくて、コウメ太夫という名前を持って括られているということである。
このように全員がバラバラにコウメを好き勝手に楽しんでいるということによって何か共同体の雰囲気が生まれるということは、コウメの細やかなディティールが物語っている。そう、それは先に語ったように彼女が潜在的に抱え込む「死」というファクターだ。ブランショの議論を参照するまでもなく、「死」というのは最も個別的でしかし最も普遍的なものだ。どういうことか。つまり、人は誰しもが死ぬときは一人であって自分の死というものは自分しか体験できない。そういう点で「死」は個人的経験であるのに対して、「人は死ぬ」という事実だけは誰しもに平等に与えられているのであって、逃れられない普遍的なものである。「死」というものの両義性がこのTwitterにおけるコウメ太夫の特異性を作り出しているのだし、そしてそれと同時にTwitterという媒体でそれが行われることにより、かつての山口が語るような典型的な道化とも違う新たなる道化がそこに誕生したのではないか。
このように「死」を刻印された器としてのコウメ太夫を見るとき、人はその器の中に自己を投入し、あのようなTwitterアカウントまでをも生み出してしまう。コウメが舞台上を舞い踊るとき、人々はそのようなバラバラであり、かつ共通的な死の経験に誘われるのである。それは虚構の悦楽の中にある吉原の一夜を味わう江戸人の記憶ともフラッシュバックする特異な体験なのであって、そして彼女が舞台を去るとき私たちは一瞬のかりそめのような死と悦楽の経験を惜しむのである。

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