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ばあちゃんへ

水野 うた 様
素敵な企画をありがとうございます。
心の中にはあったんですが、企画がなかったら手紙を書くことはなかったかもしれません。

子供の頃に亡くなった曾祖母に手紙を書きました。
わかりにくいので注釈しますと、ばあちゃんが曾祖母の呼び名で、ちーばーちゃんは祖母の呼び名です。


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ばあちゃん、あなたへ手紙を書く日がやってきたよ。
いま どうしてますか?

ばあちゃんがこの世を去ってからもう30年近く経つみたいだよ。
亡くなった日は、私が遠足に行く日だった。ばあちゃんの葬式で遠足に行けなくて悲しかったんだよ。もう。これずっと、直接文句言いたかった 笑
でも前日の、お母さんの誕生日に亡くなるのは待ってくれたよね、ありがとう。

あの日、みんなが泣いてて、普段と違う雰囲気にちょっと戸惑ってた。
ばあちゃんが死んだってことはわかっても、心ではあまり感じてなかった。
お母さんも泣いてたから、子供なりに慰めようとして、「ばあちゃんは写真の中で生きてるから、またいつでも会えるよ」って言ったの。
大人になってから、そういうことじゃないよなぁって思ったけど、ばあちゃんが今でも、私の中で生きてるのは本当だよ。

ばあちゃんが亡くなった後の運動会で、リレーの選手になったの。走るのはいつも遅かったのに、予選の時、前にいた人達を全員抜いたんだ。信じらなかったし、すごく嬉しかった。誰かに背中を押してもらった感覚があったよ。あれ、ばあちゃんだったでしょ?

大人になってからだって。
出産で痛くて苦しかった夜中、窓際のベンチに座って見守ってくれてるような気がしてたよ。
あの時に産まれた女の子は、5歳になりました。お洒落が大好きです。

ばあちゃんと過ごせたのはたった7年と少しだったけど、覚えてることたくさんあるよ。
タバコをよく吸ってた。手はしわしわだったけどスベスベだった。お母さんと手がそっくりだった。
私が、ばあちゃんが寝てるベッドから高いジャンプで飛び降りて、すごいでしょって自慢した時。
「危ない!」って、私をかばおうとベッドから落ちちゃって、肋骨を折って入院したね。心配かけて怪我させて、本当にごめんなさい。
あと、ばあちゃんとちーばーちゃん、しょっちゅう喧嘩してたから、ちーばーちゃん、棺桶の枕元でごめんねって謝ってたよ。聞こえた?

でもお母さん達から聞くばあちゃんの話は、私の知らない事ばっかり。
当時住んでた大きい商店街で火事が起きた時、深夜だったのに いち早く気が付いて、商店街中を走り回って知らせて、全焼だったのに死者が出なかったって聞いたよ。昭和初期の木造建築が並んだ場所で、死者が出なかったなんて、ばあちゃんヒーローじゃん。
と思ったら、肝心の孫は焼死の危機だったって聞きましたよ。
お母さんとお姉ちゃんは2階で寝てたのに、1階から「火事だー!」って叫び声しか聞こえなかったって。あの声でもし起きられなかったら死んでたって。
そのうえ、ばあちゃんが四六時中酔っぱらってたから、町内の人から放火犯と疑われたって・・・・・・どこまでが本当の話ですか?

ばあちゃんは、50歳を過ぎてからお母さん達の育ての親になったから、ほんとに凄いなって思う。自分が子供を産んでからは、余計にそう思う。
自分の子供は6人も産んで、5人は病死と行方不明なんて辛すぎるよ。普通なら死にたいと思うのに、明治から平成を生き抜いてくれたから、私は今、旦那さんと子供と幸せに暮らせてます。ありがとう。

死後の世界は、自分が一番好きだった自分の姿でいられると聞きます。
ばあちゃんは今、どんな姿のばあちゃんで過ごしてますか?
それとももう生まれ変わって、私と同じ令和を生きてたりするのかな。

どちらにしても、私が死ぬときには、またばあちゃんが私に会いに来てくれそうな気がしています。
それまで、私にはまだまだこれから幸せなことが待ってる予定なので、繋いでもらったこの命を一生懸命生きようと思います。

新しい家族と、お母さん達も連れて、またお墓参りに行くね。
どうかこれからも一族を見守ってください。


#あなたへの手紙コンテスト


家族に美味しいもの買ってあげたいと思います!世界平和をお祈りしに神社へ行きます!