そこに世界を革命する力はあるか?『ラディカルズ 世界を塗り替える〈過激な人たち〉』読書会【闇の自己啓発会】

 9月某日、闇の自己啓発会は東京都内で、ジェイミー・バートレット『ラディカルズ 世界を塗り替える〈過激な人たち〉』読書会を行いました。その一部始終をご紹介していきます! (※これまでの活動については、下記をご覧ください)

参加者一覧

役所暁
万年金欠の編集者。増税前に買ったものは、鶴見済『完全自殺マニュアル』。
木澤佐登志
万年金欠の文筆家。増税前に買ったものは、鳩羽つぐのねんどろいど。
江永泉
万年金欠の落伍者。増税前に買ったものは、お徳用カラムーチョチップス ホットチリ味。
ひでシス
万年金欠のプログラマ。増税前に買ったものは、ブルボンおいしいココナッツミルクPET 24本セット

■はじめに

【暁】ひでシスさんのPCのステッカー、かっこいいですね。
【ひで】 先月末に香港へ行ってデモに参加してきたんですけども、アメリカ大使館前デモの最中に有志からもらった「時代革命・光復香港」のシールですね( http://hidesys.hatenablog.com/entry/2019/09/17/045748 )。香港のデモはどちらかというと左寄りの主張なのに、ここでカエルのペペが使われているの面白くないですか。

図版51

【木澤】 もともとはアメリカのオルタナ右翼のミームだったぺぺが香港デモでは反権力のイコンとして使われてるということですね。ただ、香港デモもオルタナ右翼も「反権威」という点では一致している。最近流行りのポピュリズムにもそういう側面がありますよね。伝統的な右派や左派でなく、むしろ「下」に属する運動として、つまり既成政党を右も左もひっくるめて「上」=「権威」の存在として括り、それらを「下」から批判してみせるのがポピュリズムの基本戦略なんですけど、そういう点ではポピュリズムもオルタナ右翼も香港デモも「下」からの運動という点では共通してると言えるのかなと。
【ひで】 なるほど〜

※ここから『ラディカルズ』の内容に入ります。

■まずは本全体の感想を

【ひで】 最初バーっと雑感があれば
【江永】 この本、厚いけどストーリーがありますよね。ルポルタージュ集なんだけど、全体としてもストーリーが見出だせる。章ごとに話がブツ切りになっていない。
【江永】 第1章はアメリカのトランスヒューマニストの、炎上政治キャンペーンに同道する話。第2章はヨーロッパの移民嫌いたち(ふつうのリベラルな市民だと自称する反イスラム派+地元系ナショナリスト)の市民運動の話で、特に焦点が当たるのはフーリガン集団のリーダーとかもやっていたヤンキーみたいな人物(白人の労働者階級の出身)。
どちらも少し前なら政治家や知識人が論外な輩として無視したり切り捨てたりして終わりだったはずの運動だったけど、近年では逆に盛り上がってきている。
【木澤】 抑圧されたものの回帰ですね。
【江永】 確かに。そうですね。第3章は社会活動家上がりの人物が主導する、幻覚剤による意識革命を目指す集団の話。これも抑圧されたものの回帰と言えるでしょう。で、第4章は統治する側の話で、題は「予防」。過激派に傾倒する人を予防しようという統治側の対策のパラドクシカルな作用の話。
幕間にあたる第4章までが従来の問題の反映であるような観点で書かれているとすると、それ以降はその先の可能性を探る感じの筆致。
【江永】 第5章は、ブログ上での草の根運動からスタートして本当に政権を取ってしまった、イタリアのコメディアン主導のデジタル・ポピュリズム、「五つ星運動」の話。
【江永】 第6章は政治と精神分析からスピッてしまった人の理念で運営されるコミューンの話。そのコミューン内では、上杉清文のJKS47じゃないけど、思念の力で戦争を止めようとしたりしている。第7章は、オカルトでも、スピリチュアルでも、ドラッグでもなく、という社会運動がサブカルチャー化しているように映る現状の、そんな苦境に見出される可能性を描いている。それが近所迷惑反対の延長にあるニンビー(Not In My Back Yard)主義で、ニンビー主義はポピュリズムから発しているけども、サブカル化してしまった社会運動と一般の人達をつなぐ架け橋になるのではないか、と示唆される。
【江永】 というふうに行ってから、最後に8章、リバタリアン国家のリベルランドですよ。
【木澤】 ある意味オチ担当。
【江永】 社会運動というか建国活動の話になっちゃう。
【ひで】 適当に読んでいたので章立ての意味が分かっていなかっていなかったんですけども、こうやって聞くと筋の通ってる章立てだったんですね
【江永】 章ごとのトピックが有機的に繋がっている感触がありました。

【暁】確かに。僕は 最初の1~4章って、「市民が帰属できる場所がない現代」とも関係があるのかなって思いました。例えば宗教組織が強い国と比べると、日本は寺院・教会といった場所が弱く、個人の帰属組織やセーフティネットとして機能してないって聞くじゃないですか。でもこの本を読むと、アメリカでも無宗教の人が増えているし、そういった既存の集団からこぼれ落ちた人をコミュニティや6章のコミューンなんかが回収・吸収してるのかなと。
【木澤】 グローバルなレベルで社会からの分断と孤立が問題になっている。
【暁】 だから日本でも闇の自己啓発会をもっと普及させたいですね(秋の「のれん分け」キャンペーンを参照)。
https://note.mu/imuziagane/n/n9123acc09bec
【木澤】 社会からの分断と孤立という意味では、この本の著者のジェイミー・バートレット氏は『ダークネットの住人』という本も書かれていて、僕もだいぶ啓発されたんですけど。ダークウェブという、メインストリームの社会に適応できなかったり、そこから排除された人たちのコミュニティにスポットライトを当てている、という点では著者は一貫して同じテーマを追っているとも言えるなぁと。
【江永】 この筆者の方すごいですよね。よくこんなに幅広く、色んな意見の人たちと毛嫌いせずに接することができるなぁと。
【暁】 近すぎず離れすぎず、いい距離感を保っていますよね。
【ひで】 インドネシアでは地域コミュニティが完全に生きているんですよね。家の前には必ずベンチが置いてあって、暇なオッサンやおばさんが座っている。道では子供が遊んでいて、いじめられた子が泣いているんだけど自分の親に泣きつきに行くのは恥ずかしいしかっこ悪いから、近くのいちばんやさしいおばさんのところへ逃げに行く。そういう地縁共同体、コミュニティが日本では壊れちゃいましたよね。
【暁】 いま、埼玉県草加市にある団地で、コミュニティを作ろうという動きがあるみたいですね。コミュニティ作りの理念に共感する人が入居してて、かなり人気らしいです。保育園もついてて、みんな賃貸だから子育て世帯が入れ代わり立ち代わり入るのかな。
「ハラッパ団地 草加」
https://harappadanchi.jp/
【江永】 賃貸ビルの一室を改造してコミュニティスペースに変えて、地縁を生み出す建築を、みたいな記事は読んだことがあります。淵野辺駅の方にあるビルの入居者向け食堂「トーコーキッチン」とか。
https://www.biz-lixil.com/column/urban_development/pk_surveys010/
最近、建築や設計の観点からの、いろんなコミュニティができる基盤をつくる試みが関心を集めて盛り上がっているみたいで。
【暁】 あと千葉県の柏の葉(東大キャンパスがある)の辺りは近年開発が進んでいるんですけども、ワザと赤ちょうちん街みたいなのを作っているらしいです。やっぱりそういう「場」がコミュニティ形成に必要ってことなのかなと。
「かけだし横丁」
https://kakedashi.jp/about/
【ひで】 建築の構造的にコミュニティが存在できる場所を用意してあげるっていうのは大切なんですね。そういえばJR東日本の各駅にあったビュープラザ(みどりの窓口とかが入っていて旅行の相談もできるところ)がこの前全部閉めることになっちゃったんですけども、「あそこを開放してベンチとか置いて、地域コミュニティの活動場所にできないかな?」ってTwitterでつぶやいたら、大学の先輩から「東急や三菱地所は街作りを考えて開発をやってるけどJR東日本はそういう思想がまったくないからクソ」って怒りのリプが飛んできました。たしかに駅前が全部KIOSKとワタミになっちゃったら、コミュニティが存在する余地が無くなっちゃいますよね。たしかに赤ちょうちん街っていい。
【江永】 そういう話を聞いていて思いましたが、この『ラディカルズ』で出てくる人たちの少なからずが、既存のコミュニティに入るのに、あるいは居着くのに、失敗した人たちだった気がしますね。だから、自前で集まっている。
【暁】そう、まさに僕みたいな人たちだなって…。

図版52

自分の居場所を自分で作ろう

■どの「過激な」コミュニティに入りたい?

【暁】 皆さんはこの本の中だと、どのコミュニティに入りたいですか?
【ひで】 トランスヒューマン(第1章)と環境活動家(第7章)かなぁ。環境活動家の章は読んでいて「そうそう環境活動ってこういうことあるよね」ってちょっと涙ぐんでしまった。
【木澤】 ぼくはドゥーム(第6章)は絶対イヤですね。
【ひで】 なんでですか。田舎の牧歌的な場所で解放的な性をやるんですよ(笑)
【木澤】 こういうコミューンって教祖的な立場の男性が独裁体制を敷いて周りに未成年の少女を侍らせて、最終的に政府と対立して銃撃戦になるイメージがあります。典型的なのが1993年に起きたブランチ・ダビディアンの教団本部銃撃事件ですね。ブランチ・ダビディアンというのは、アメリカ再臨派の最大宗派、セブンスデー・アドベンチスト教会(SDA)からの分派で、1929年に教会から追放されたヴィクター・ホウテフによって興されました。彼は1935年に十二人の信者とともにテキサス州ダラス南方のウェイコ近辺、何の変哲もない草原をマウント・カルメル(『列王記略』に出てくるヤーウェとバアル神が霊能を競った舞台であるイスラエルのカルメル山が元ネタ)と名付けてコミューンを作ったんです。1955年にホウテフが老衰で死んだ後に後継者争いが起こるんですが、そこに現れたのが、ダヴィデ王の後裔を自称し、神から啓示を授かったと主張する信者の一人ベンジャミン・ローデンで、いろいろすったもんだあったあげく、彼が事実上コミューンを乗っ取り、ここにブランチ・ダヴィディアンが誕生する。当初の教団は信者50人程度の小規模カルトに過ぎなかったのが、やがて1400人に膨れ上がる大規模な組織に発展していく。そんななか教祖ローデンも78年に死んで、その後にまた後継者争いが起こって、派閥同士の銃撃戦(!)の末にヴァーノン・ハウエルという男が権力を手に入れる。その彼が12歳の少女を含む重婚を次々と行い、教団は実質彼を中心としたロリ・ハーレムと化してしまったわけです。90年代に入ると、終末思想にドライヴがかかり、アポカリプス(最終戦争)に備えるために教団は大量の武器弾薬と食料を集めだす。これに目をつけたATF(アルコール・タバコ・火器及び爆発物取締局)が強制捜査のために教団を訪れたところ、これをバビロンの侵略の開始と勘違いした信者たちとの間で銃撃戦が勃発し、結果、多数の死傷者を出しながら51日間に及ぶ籠城戦に発展していく。最後は原因不明の教団本部の爆発炎上というカタストロフィによって事件は幕を閉じるわけですが……。すいません、話が脱線しました。
【暁】 なるほど…!それ系の最悪なカルトとして有名な人民寺院の話が、本でも出てきましたね。僕はポリアモリーに関心があるので、可能性を感じちゃうのはドゥームですが…。
江永さんはどのコミュニティがいいですか?
【江永】 どれだろう…。実は「過激」と言いつつも、自分が今いる幾つかのコミュニティから、どれもそう遠くもないような雰囲気も感じていて。第8章の建国の話が一番やってみたいと思いました。あと、第1章も魅力的でした。トランスヒューマニスト党(未認可)の話は、思想の割にちょっとどころでなくローテクで驚きました。集めて動かせる量の高が知れている、ということかもしれませんが。棺桶を模したというオンボロ車両が出てきたりとか。
【暁】そんなに棺桶がいいなら、日本の霊柩車使えば?って思っちゃいましたね。
【木澤】 第8章でもホテルのWiFiの質が悪くて大統領の遠隔スピーチがとぎれとぎれで聞き取れない、みたいなギャグのようなエピソードが出てきたり、どこか機能不全を起こしたテクノロジーがそこかしこに出てくるのが逆にいい味を出している。

■環境保護と反出生主義

【木澤】 この本って全体的にアクチュアルですよね。第5章のイタリア五つ星運動の話は、まさしく(左派)ポピュリズムの話で、日本であれば山本太郎とか。あるいは2章のペギータであればN国の台頭ともリンクしてくると思うし。第7章の環境保護活動のジレンマの話は、国連で環境保護を訴えた少女をめぐる世間の賛否を思わず想起しました。
【ひで】 最近の問題とリンクしてますね。
【暁】第4章でも、いま「予防」の対象として目立ってるのはイスラムや極右の急進派だけど、これからは急進的環境活動家が来るんじゃないかって言ってましたね。
【ひで】 環境活動のことをサブカルチャーって呼ぶの初めて見たんですけど、こんな用法って一般的なんですか?
【江永】 富永京子『社会運動のサブカルチャー化 G8サミット抗議行動の経験分析』(2016年)とかはありますね。また、浜野喬士『エコ・テロリズム 過激化する環境運動とアメリカの内なるテロ』(2009年)という新書で、アメリカの環境活動の過激派の理屈を、アメリカの政治文化と絡めて説明していました。
【木澤】 こういう環境活動家の中で反出生主義ってどう扱われているんですかね。
【ひで】 子供を一人生むのを止めたらめっちゃCO2を削減できますからね。
【暁】確かに。サステイナブルな環境活動を目的とするか、地球環境を守るためには人類をも滅ぼすか、ってだいぶ違いますよね。個人的には、愛によって繁殖・進化してきた人類が、1人の反出生主義環境活動家の地球への巨大な愛によって滅びたら、それは愛に満ちた素晴らしい新世界の到来なのかなって思います。
【江永】 浜野喬士『エコ・テロリズム』にも記述があったはずですが、Earth First!という団体が、しばしば(少なくとも、かつて、一部の人々は)、現在起きている餓死や疫病による人々の大量死を必然あるいは必要なものだと論じていたようです。
ただ思うに、人類絶滅を目標とした環境活動って継続した組織的運動は難しいんじゃないかと思います。それこそ持続可能ではないというか、持続している限り、目標未達成なわけですから。
【木澤】 人類絶滅という目標が制度(=規範)に組み込まれた時点で、行き着く先は断種法や強制的安楽死、あるいは収容所という未来しかないので、それを避けるためには個人の善意(?)や自由意志にゆだねる啓蒙活動ぐらいしかないのかもしれませんね。実際問題、地球環境も生活水準もどんどん悪化していく中で生殖することを、果たして道徳的にどこまで擁護できるのか、という問題は今後遠からず出てくると思います。それは未来の<子ども>たちへの無責任な「負債」の押し付けではないか、等々。まあ、人類が現在まで存続してしまっているという事実こそが人間に「理性」が備わっていない何よりの証明だと僕なんかは思ってしまいますが……。
【暁】環境保護のために人間を減らす環境運動、『寄生獣』や、『キングスマン』の虐殺端末バラマキおじさん、『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』の通称サノスおばさんなどが思い浮かびますが、確かにどれも極端ですよね…。余談ですが『進撃の巨人』にも突然反出生主義が出てきてビックリました。トレンド感がありますね。
【江永】 反出生、というか出生率をゼロに持っていって絶滅を目指すという話になりそうですね。人類の例ではありませんが、マラリア感染症を根絶するために、遺伝子操作で「不妊遺伝子」を組み込んだ蚊を放って、(マラリア原虫の主な運び手のひとつである)蚊を絶滅させる、みたいな試みは実際にあるみたいです。
【木澤】 一方で子供を産まないLGBT、性的マイノリティの人々の存在がありますよね。リー・エーデルマンみたいな、「死の欲動」のみを肯定するクィアネスのような方向もある種、反出生主義と相性がいいような気がしていて。
【暁】でもLGBTも体外受精で子どもを持ったり養子をもらったりというのはあるので、全ての人がマイノリティになっても(矛盾)、必ずしも滅びに向かう訳ではないような。
【江永】そうですね。例えば、生殖能力のあるヘテロセクシュアルでなくとも、次世代再生産に参画できるし、制度から承認を受けることができる。そういう観点からの反論だけではなかったはずですが、エーデルマンの論ずるクィアネスの話はさまざまな理論家から批判もされてきたし(例えば、未訳ですがクィア理論家のホセ・エステバン・ムニョス『クルージング・ユートピアCrusing Utopia』2009年などがあります)、エーデルマン自身も議論を深化させて、そうした批判へ応答しようとしてきたようです(近年の著作だとペドロ・アルモドバルの2004年の映画『バッド・エデュケーション』を論じた「Learning Nothing」などがあります)。
【ひで】 そろそろ、本の各章の話に行きましょうか。話したい章だけピックアップしましょう。

■第1章「トランスヒューマニストの賭け」

【江永】 「トランスヒューマニスト党党首」(実は、自称で未認可)のゾルタン・イシュトヴァンの、(大変失礼な言い方になりますが)止まらないインディーズ候補っぽさには、やっぱり個人的に惹かれてしまいます。オイル漏れしているバスしか持っていなくて、シンパが一人しかいない。イケイケなテック系から、オシャレ感を抜いた感じ。ただ情熱をすごく感じる。
【木澤】でもお金持ちではあるんですよね。三ヶ月後の生活にも困るようでは「不死」を目指すようにはならない。少なくとも死ぬまで楽して生きていける程度の余裕と金があってはじめて「死」に対する形而上学的な恐怖が、そしてその反動としての「不死」への欲求が漠然と、しかし抜き難く出てくるのではないかと。
【江永】 ここで描かれているゾルタン像には、スピリチュアルに目覚めた陽キャ、という印象を受けました。高校では全国レベルの水泳選手、で大学をドロップアウトして蔵書と一緒にバックパッカー。そこからナショナル・ジオグラフィックの従軍記者や、自然保護をやってる。で、不動産業で一財産築いてもいる。これで止まっていれば、この人は成功した自由人という評価で生涯を終えたかもしれないけど、従軍記者時代に死にかけて、行き着いた先がトランスヒューマニズム。築いた財産で啓蒙活動に没頭して、それでは思想が十分に広がらないので政治に進出、と。
なんというか、半端にハイカルチャー。「フィロソフィー」とか、思想っぽい言葉は好きそうだけど、アカデミックな人文学とは縁がなさそうな雰囲気だな、と人となりに思いを馳せました。
【暁】 自分はその日暮らしの低賃金労働者で、とにかく生きているのがつらく、長生きしたいという人はさぞかし幸せな人生を歩まれたんだなぁと思っちゃいました。ただ、「テクノロジーで性別を自由に変えたり、障害をなくしたりできる!」ってマイノリティーに手を差し伸べる主張をしてるのは面白いです。
【江永】タトゥーとかの延長にあるような、 DIY身体改造をする人々の話も出てきましたよね(ゾルタンはそういう人々の集まりに訪ねに行くけど、トランスヒューマニズムの主張は胡散臭く思われて広まらない)。
【木澤】 身体に電子回路を埋め込んでインターネットに直接繋がるノードになるっていう話も出てきていましたよね。
【ひで】 人間って第3の腕を生やしたとしたらそれに対応した神経領域ができて使えるようになるって話がありますよね。脳の可塑性はすごいから、もちろん人間がインターネットに直接つながることもできる。人体の拡張ってそういうことですよね。
【木澤】 ちょっと『lain』や『攻殻機動隊』的なサイバーパンク感がありますよね。

【暁】 p.22で「トランスヒューマン」という造語の生みの親としてオルダス・ハクスリーの兄の名前が出てきましたけど、第3章でもハクスリーが出てくるのが面白いですよね。凄い一族だなと思いました。
【木澤】オルダス・ハクスリーの兄のジュリアン・ハクスリーは生物学者で、彼らの祖父のトマス・ヘンリー・ハクスリーもダーウィン進化論の支持者として高名な科学者だった。オルダス・ハクスリーは『すばらしい新世界』の著者として有名ですけど、やはり生物学者の家系の素質も持っていて、1954年に出版したメスカリン体験のレポート『知覚の扉』は後のサイケデリック・カルチャーやニューエイジ運動にも多大な影響を与えている。余談ですが、ウエルベックの『素粒子』の主人公ミシェルは、「オルダス・ハクスリーは今世紀最大の影響力を及ぼした思想家の一人なんだよ」と作中で言っています。
【暁】ほえ~。あ、あと「トランスヒューマニスト権利章典」なるものが出てくるのも『機動戦士ガンダムUC』みたいでアツかったです。
【江永】 活動中、パッと見、すごく含蓄のありそうな一文を打ち出したりしているんですよね。「人工知能は神の恩寵を受ける可能性があるか」とか。意味深長な問いかけに映る。
【木澤】 ドゥームのコミューンの章でも似たようなエピソードが出てきましたよね。カナダの研究者たちが、カルト教祖の書いた支離滅裂で無内容な文章を統計的に分析して、それがどれくらい深淵に見える効果を生み出してるのかを「深淵度」として五段階評価で測る(「やや深淵」「かなり深淵」など)、みたいな。
【江永】確かアガンベンが『裸性』所収のエッセイで、死者の復活時にその人の胃の内容物とかはどうなるのかを考えたキリスト教神学者の議論とかに言及していて、だから、もし相応の作法と文献の参照があったら真面目な仕方で流通する可能性もありそうだなとか思ってしまいました。
ゾルタンは、話の棚上げの仕方もうまいですね。 p.71の、勢いはあるけどよく考えると応答ですらない返答とか、露骨に話を逸らしているのに、妙な力がある。

■第3章「トリップ・レポート」

【江永】 ここでもハクスリーが出てきますよね(p.148)。
【暁】 ハクスリーが幻覚剤をやってたって話を聞いて、『すばらしい新世界』に出てくる薬を使ったフリーセックスで一体感を得ている描写は、幻覚剤体験から来てるのか?って思いましたね。
【江永】 幻覚剤がどのように一体感を感じさせるかについて薬理学的な説明を試みている部分があったのが面白かったです(p.165など)。脳の幾つかの部分が機能を停止して、それでふだんと異なる知覚経験をしたり、自他の隔絶感がなくなったりする、みたいな。ただそういう知覚の変容だけでなくて、その変容を体験することで、ものの捉え方な変わる、というのは、なるほどと思いました。
【ひで】 スティーブンが幻覚剤を使うためのコミュニティ形成活動を頑張ってやっているのが良かったです。人を集めて、安全な環境を用意して、幻覚剤を楽しむ。スティーブンを突き動かす欲求ってなんなんですかね。「こんなにいいものがあるのでみんな使ってほしい」みたいな感じなんでしょうか。
【江永】 そんな感じもします。
【ひで】 幻覚剤を使ってフリーセックスをするのが目的みたいな、性欲で動いているわけではないですよね。
【江永】 もともと環境問題や反緊縮政策の社会活動をやってたみたいですね(p157)。でも社会運動をするためのモチベをつくるものとして幻覚剤は使っていた。
【ひで】 あ、なるほど。幻覚剤は最初は個人的な趣味の範疇で使っていたのか。
【暁】 でも途中で「地球環境汚染の原因は自分が地球から切り離されている感じがしている気がしているからだ。その疎外を克服するために幻覚剤を使う」って気付いたと書いてありましたね。
【ひで】 え〜……。ふつうにちゃんと環境活動やってほしい。

【ひで】 幻覚剤やってみたいですね。この本にも出てきましたし、ニュースにもなってましたけど、マジックマッシュルームって一度やると数カ月幸福度が改善するんでしょ(AFPBB マジックマッシュルームに含有の「サイロシビン」、幸福感は数か月続くことも 米研究 https://www.afpbb.com/articles/-/2413003
【木澤】 でも誤ってバッドに入ると大変ですよ。幻覚剤は心理状態(セット)と環境(セッティング)をちゃんと整えてからトリップに入るのが肝要で、そこを誤るとバッド・トリップしてしまう。60年代の頃はそこのところをわきまえてない馬鹿なヒッピーが多かったのでLSDによるバッド・トリップが横行して、結果的にそれが体制側によるLSD=悪い薬という印象工作に利する口実を与えることにもなってしまったという歴史がある。
【暁】僕はバッド入って発狂しそうなのでやめておきたいです…。日本の文豪も薬キメて創作してたイメージありますが、どうなんでしょう?
【木澤】 日本の文豪は幻覚剤は全然やらないんですよね。代わりに睡眠薬を飲みまくる。昭和の頃にアドルムという睡眠薬が流行って、それを過剰摂取(OD)すると逆にハイになってきて、原稿を書きまくるか、もしくは暴れまくる、みたいな。坂口安吾とか田中英光なんかがその代表ですね。他方でアメリカの場合は、圧倒的にアルコールですね。アル中の作家が多い。フォークナーとかフィッツジェラルドとか、ブコウスキー、ジム・トンプスン、等々……。
【ひで】 へー。国によって流行ってるドラッグは違うんですね
【江永】 歴史的な経緯だけでなく、例えば糖尿病のなりやすさように、薬理作用にも集団ごとの効き具合の違いを見いだせるのかもしれない。
【木澤】 ドゥルーズが一時期アル中だったのも、ある意味では彼が偏愛していた英米文学への一種のオマージュ(?)だったのかな、とか。ドゥルーズもドラッグについて言及してますけど、やっぱり印象的なのはアルコール中毒論だと思う。『ジル・ドゥルーズの「アベセデール」』という晩年のインタビュー映像をまとめたDVDに「飲酒」というチャプターがあって、そこで「酒飲みは常に”最後の一杯”を求めている」という印象的なテーゼがドゥルーズの口から発せられるんです。でもそれには続きがあって、”最後”とはつまりその日はもう飲めないという意味の”最後”であって、”最後”の一杯というとき、実際には”最後”のひとつ前を指しているという。なぜなら自分の能力を超えて、”能力の最後”を超えて飲んだら人は倒れるか死んでしまうからだと。つまり、「最後の一杯」という一定の閾値があるからこそ翌日にまた飲酒を再開できる。「だから酒飲みは最後の一つ前を探してる、翌日再開する前の最後を」とドゥルーズは言うわけです。「酒浸りになるというのは、飲むのをやめようとし続けることだ」とも。
【江永】 壊れすぎずに、壊れ続ける、みたいな感じでしょうか。
【暁】僕は早く壊れて楽になりたいですが、そういう発想もあるんですね。
【木澤】 どこかストイックなんですよね。綱の上でギリギリの均衡を保つみたいな。一方でドゥルーズも「ずっと酒を飲んでると身体が壊れていって仕事にも支障をきたすからどこかで止めないといけない」とも言ってて、本人も結局どっかで辞めたわけですよね、飲むのを。本人いわく「もう十分だと思ったから」らしいですけど。
【ひで】 依存って身体に悪いと思うんですよね、旅行をし続けると疲れちゃうでしょ。ぼくはどこかで幻覚剤を試してみますわ。バチッと一回幻覚剤を決めたら、その後は「あの体験は良かったな」って反芻しながら生きていきたいです。

■第6章「ドゥームの道場」

【江永】 この章だけ節が「一日目」「二日目」とかになってますね。
【ひで】 そうですね。日数を数えるんじゃなくて、節の名前を「コミューンへの侵入」とかにすることもできたわけじゃないですか。
【木澤】 ちょっとホラー小説っぽいですよね。朝のお粥が美味しく感じられるようになってきて、ちょっとづつ洗脳されていくみたいな。あと教団の本棚にオットー・ミュールの本があるのが味わい深いですね。オットー・ミュールはウィーンアクショニズムという、豚の死体や血流を全身に浴びながその血でアクション・ペインティングするみたいな、わりとエグめのアート・パフォーマンスを60年代にやってた人たちの中心人物だったんですけど、その彼が70年代になると一転してフリーセックスのコミューンみたいなのを立ち上げて、そこのグルになる。その後のことは推して知るべしで、結局オットーは未成年淫行で逮捕されてます。1970年にコミューンを始めたっていうのも象徴的だと思ってて、マンソン・ファミリーがシャロン・テートを殺害するのが1969年8月9日ですし、そこがあの時代におけるひとつの分水嶺だったんでしょうね。カウンターカルチャーの「カウンター」の部分がどんどん下火になっていって、それらがカルトやらニューエイジやらマネージメントやら自己啓発やら抗鬱剤に回収されていく、資本主義リアリズムのもとで。だからタランティーノが新作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』でシャロン・テート事件をテーマに据えたのはすごくわかる気がするんです。この作品が示そうとしたのは、まさしく「失われた未来」だったのではないかと。存在するはずだった未来……。ちなみにオットー・ミュールの名前も『素粒子』に何気に出てきます(なぜかヘルマン・ニッチと混同されてますが…)。
【暁】 タランティーノ監督の新作、あの頃のアメリカの文脈がわからない人間には厳しそうだなと思い観ていないのですが、シャロンの夫だったロマン・ポランスキー監督の人生自体が凄まじいな…と思いました。
セックスカルトは、トップが好き放題に女の人を性的に搾取して崩壊するパターンが多いですよね。でもこの章のドゥームだとトップだけが自由にセックスをするわけではなくて、みんなが好きなようにやっているというのが持続の秘訣なのかな。一方で、一応夫婦として暮らしているカップルがいて、妻が妊娠した同時期にその夫が別の女の人を妊娠させてしまい、心理的瑕疵ができしまって別居、という話を見るとフリーセックスコミュニティの実践と維持は難しそうだなと思いましたね。
【ひで】 愛が足りないのなら、税金みたいにシステムを作って取り立てて分配すればすむ話なのかもしれません。税金ってみんな取られているけどそんなに辛くないでしょ。税金はシステムとして取られてシステムとして分配されているから、収奪と再配分にみんな鈍感になれる。
【江永】 愛の再分配…。例えば人間相手に、クジラとかイルカとかでも、どんどんマッチングするとかですしょうか。ちょっと話ずれてますか?
【ひで】 人間にクジラをあてがったところでそれはただのセックスじゃないですか。メンバー間でセックスを基礎とした人間的な愛の紐帯ができますかね。ありうるとしてもホモソーシャル的な、消費する者と消費される者の共同体じゃないですか?
【暁】 クジラもメンバーの内に入れるんじゃないですか? 本でもイノシシと会話できるって話が出てきましたし。
【ひで】 心が通じ合えるのならよいです。牛とか馬とかと獣姦する人がいるんですが、その人たちが外野から「動物虐待だ!」って怒られたときになんて返すか知ってますか? 「自分より何倍も体重の大きい動物相手に無理矢理セックスすることはできないよ。蹴られて怪我をするし。僕らが怪我をせずに獣姦を楽しめているってことは、相手も合意しているんだ」って言うらしいです。
【暁】ひ、ひぇ~。そんな世界があるんですね…。

【暁】 このコミューンは、知識がアップデートされなくて閉鎖的っていうのが気になりましたね。モノガミーは疎外を生むので、ポリアモリー集団ってちょっといいなと思うのですが、知識をアップデートできない場所だと多分自分は息が詰まると思います。
【木澤】 この手のコミューンってあんまり大きくできないんですよね。国家権力に目をつけられますし。
【ひで】 人間って150人以上の人間はまともに認識できなくなるんですよね。ちゃんとした国家的な・企業運営的なシステムを導入せずにコミュニティ運営を続けていくのはこの数が限界というか。
【江永】 ダンバー数というらしいですね。本書にも出ていました(p.307)。

【暁】 あとはp.300辺りの、内気な男性が堰を切ったようにセックスの経験がないことを話し出すシーンが面白かったです。
【木澤】 『ファイトクラブ』の冒頭的な、もしくは断酒会的な光景ですね。
【暁】 男性ってあまりセックスの悩みの話をおおっぴらにしないですよね。しても「何人ヤったぜ」みたいな話ばかりになってしまい、全く参考にならない。
一方で、Twitterのうちゅうリブの方々など、悩みを打ち明け合う感じの会をしていらっしゃるので、こういう活動が盛り上がっていけばいいなと常々思います。
https://uchu-lib.hatenablog.com/
あとは女児向け漫画雑誌みたいに少年誌にも「恋愛お悩みコーナー」を作って、早いうちから身嗜み・振る舞いなどについてテクニカルな情報共有をしていくとか…(ぐるぐる目)。
【江永】こういう形で男性の性や、性に限らず身体感覚を語るのも、これから盛り上がっていきそうですね。ある意味、インセルとかも、そうなのだろうし。

■第8章「リベルランドを探して」

【木澤】 ビットネーションの話が出てきていましたね。僕の本(『ダークウェブ・アンダーグラウンド』)でも触れましたけど。ここではビットネーションの提唱者の人となりと波乱に満ちた生い立ちが書かれていて面白い。意外にも女性だったり、あえてめっちゃタバコを吸いまくるとか、ものすごい唯我独尊キャラクターとして描かれてる。
【暁】 リベルランドが旧ユーゴスラビアの国境を決められない地帯にあるっていうのが、冷戦構造の遺産という感じで味わい深いです。
【ひで】 あのあたりって国境がすごくややこしいんですよ。学生の自分に旧ユーゴスラビアを旅行したことがあるんですが、セルビアがコソボを承認していないからセルビアとコソボの国境は互いに行き来することができないんだけど、第三国を経由すれば越境できる、みたいになってます。
【暁】 昔イギリスにシーランド公国ってありましたよね。
【ひで】 あれは発電機が燃えて火事になって、そのあと軍に制圧されてましたね。
【暁】 やっぱりインフラが問題か〜。少人数でインフラを作成・維持するのは厳しいから、最低限のインフラは整ってるけど過疎で人の少ない村落に集団ごと移住して、実効支配してしまえばいいのでは?と思います。
【江永】 すでにインフラの整っている土地を利用すればいいんじゃないですか。日本の人がいない市町村、限界集落とかに住み着いて、国に気付かれないまま5つぐらい集落を代わりに作る。日本の村落を掌握した地方豪族が国を作る、…みたいな。
【暁】 井上ひさしの『吉里吉里人』みたいですね。そろそろ最後のまとめ的なやつに入りますか。

■終わりに

【木澤】 全体的に面白いし笑えるところも結構有る。それこそリベルランドの章での、警察挺と大統領のボートチェイス・シーンとか、スラップスティックなドタバタギャグ感があって、トマス・ピンチョンの小説の一挿話なんじゃないかと錯覚してしまうくらい。
【江永】 ギャグ感が高いから、対象と距離をとっているように映る、とも言えそうですね。バカにせずに、また迎合せずに笑うというか。いいユーモア感ですよね。バランスが意識されているのか。
【木澤】 幻覚剤の章でも筆者も実際にドラッグを体験してその様子をレポートしてますが、どことなく客観的で醒めた目で書いているというか、そういうクールなバランス感覚が上手いなと思いました。
【ひで】 本人自身はガチリベラルな思想を持っているところは信頼できますね。あと日本のルポってただのルポに終始していることが多いんですが、この本は所々に学のある解説を入れていて読み応えがありましたね。カルチュラルスタディーズで博士を取ったりしているんでしょうか。
【江永】 経歴を見ると、シンクタンクで働いているみたいです。
【暁】 こういう知識に裏打ちされた文章を書ける人になりたいなぁ~って思いました。最初はもっと「世界を革命する力を!」って感じの話なのかな?と思ったけど、読み始めたらどのエピソードも人間くさくて滅茶苦茶面白く、一気に読めました。もっと色々な人に読んでほしいなって。あと、第4章で叩かれてる『WIRED』の日本版編集長が、本書の解説書いてるのもちょっと面白かったです。
【暁】 作者の主張としては、p.408「不服従と反逆によってこそ、世の中は進歩してきた。急進主義は、新しいアイデア、刷新、変化のみなもとである。当時は過激とされた言動によって非現実的あるいは危険人物だとして相手にされなかったのに、いまになって称賛されている人たちはいくらでもいる」、p.211の「ありがたいことに、自分たちの生き方を批判的に見たり、体制にたてついたり、面倒を起こしたり、やっかいな物の見方をしたりといったことのどれにも、自由なイギリス人らしくないところはない。それこそがまさに、私たちの生き方を、イスラム国が求めるような『素直に服従する人生』とは別のものにしているのだ」の部分がとても良かったです。不服従と反逆って、社会をより良くしていくのに大切ですよ。でも今の社会は出る杭を潰していくので、色々つらいなぁ…とか。
【江永】 過激な話をする人たちの、また〈過激な人たち〉のインフラとして、この本が使われたらいいな、と思います。

図版53

読書会の終わりに王将へ行って天津飯などを食べました。王将って人を感動させる味を提供してくれるのでいいですよね。(ひで)

 次回は、梶谷懐、高口康太『幸福な監視国家・中国』読書会(副読本:ミシェル・ウエルベック『素粒子』、オルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』)を予定しています。お楽しみに!

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