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黒田清輝展(京都文化博物館)

(画像は展覧会のフライヤーです)

(この記事は全文公開の投げ銭制記事です。また、I my me gallery blog  にも同じ記事を載せております)

本日6/29、京都文化博物館にて黒田清輝展を鑑賞しましたので感想を書きます。この展覧会は7/21まで京都文化博物館で開催中です。いま詳しい内容や批評を読みたくない人はここから下は読まないでください。

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ここ2、3年ほど、日本の近代洋画家の個展を見ることが続いた。岸田劉生、青木繁、高橋由一と。ここまできたら次は黒田清輝の展覧会をやってほしいなあと思っていたら、やってくれたね京都文化博物館。なんでも京都府では黒田清輝展をやるのは戦後初のことだそうだ(!)。私は黒田清輝の絵を、例えば「湖畔」などを美術の教科書で見たことはあっても、実物を見たことがないと思っていたら、今日その理由(戦後初)がわかった。

黒田は最初から画家になろうとしたわけではなかった。パリ留学も、法学を修めるつもりで行ったのだが、現地に滞在する画家や美術商と交流するうちに、画家になろうと決心したそうだ。そしてラファエル・コランという画家に師事し、研鑽を積むことになる。展示のはじめは石膏デッサン、人物デッサンが並ぶ。特に裸婦習作の数々は、早くから繊細な表現で、気品をたたえていてすごいと思った。

黒田は木炭デッサンで十分に勉強した上で油彩を始めた。やはり人物画が多い。祈る女性を描いた「祈祷」は褐色を主調に、上着の白い布のひだが柔らかく描かれている。

黒田はやがてパリ郊外の小さな村グレー=シュル=ロワンに移住し、そこで更に制作を進めた。細やかな筆致でも、大胆な筆づかいでもしっかり形をとっている。紙に木炭で描かれた「雪景」は、木炭だけで冬らしい景色が描き出されていて、勉強になる。また緑の中の後ろ向きの少女を描いた「赤髪の少女」は毛髪や髪飾りがきらめいていて美しい。木々の葉も色鮮やかで目を奪われた。

帰国した黒田は白馬会を結成して日本の洋画壇をリードするようになる。この頃が一番充実していたのだろうなと感じる。展示で大きなスペースを割いていたのは「昔語り」という作品のための木炭デッサンの画稿、そして油絵による下絵で、こちらから見たら気が遠くなるほど一つ一つの要素について習作を重ねていた。「絵を創りこむ」という感じがひしひしと伝わってきた。完成品が焼失してコピーでしか見られなかったが、これまた勉強になった。

そして重要文化財の2つ。「湖畔」は明度はあるがくすんだ色彩、モデルの服装、手に持つ団扇など、大変日本的な洋画である。「智・感・情」は日本人の裸婦を理想化して描かれたものだが、ポーズの意味が不可解だった。あえていえば私には仏像のようにも見えた。

黒田は晩年は美術行政家としての仕事が多くなり、多忙なため小品が多くなるが、身近なものをさらりと描いていて身構えずに観られるのがいい。その中でも「ダリア」は花瓶に赤や白のダリアがぎっしりと色鮮やかに描かれている。また「雲(6枚組)」が空の色と雲の形の変化を刻々ととらえ、軽妙に描き上げている。

そして黒田は狭心症の発作を起こし、翌年58歳で没したが、絶筆「梅林」はペインティング・ナイフで描かれた梅の花々が、残りわずかな命のともしびを感じさせた。

今回私の気に入った絵は「赤髪の少女」「ダリア」である。
そして、もっと人物を描きたいなと思ったのと、しっかり絵を創り込むこともやっていきたいと思った。
なにより、これでまた制作意欲が高まった。

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