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【ネタバレあり注意】TV版世代によるシン・エヴァンゲリオン劇場版:‖の感想(4,600字)

3月14日にシン・エヴァンゲリオン劇場版:‖を見てきました。
ネタバレ感想を書きますので、未視聴の方はご注意ください。

30代後半とエヴァ

自分は現在30代後半で、TV版の新世紀エヴァンゲリオンを初めに視聴したのは作中のチルドレンと同じ14歳の時です。
初回の地上波放送(1995年)ではなく、旧劇場版の公開のタイミング(1997年)で深夜枠で一挙放送された際に視聴しました。
当時から社会現象と呼ばれていた作品ですが、夕方に放送していたTV版を見ていた人は同年代ではあまり多くない印象で、自分の交友関係では、何回か放送された再放送で通して見たという人の方が多かったです。
また、新劇場版1作目が公開された2007年は社会人1年目の年でした。会社帰りに同じく会社の独身寮に住んでいたエヴァファンの同期と見に行ったことを覚えています。
旧劇場版(1997年)から新劇場版:序(2007年)は10年ですが、新劇場版:序(2007年)から今作(2021年)までは14年です。
新劇場版がいかに長いプロジェクトだったかが分かりますが、それだけ待たされた甲斐があったというのが視聴後の率直な感想です。

全体の感想:禅問答からマインドフルネスへ

自分で書いていて陳腐な感想だと思いますが、今作では「分かりやすく納得感があり前向きなラストが提示された」ことが何よりも素晴らしかったです。
前作の新劇場版Qで終始置いてけぼりのような感覚を覚えていた視聴者の一人として、視聴前は新劇場版も「おめでとう」(TV版)「気持ち悪い」(旧劇)みたいな感じでウニョウニョして終わるんだろうと斜に見ていました。
それが大いに裏切られた作品でした。

今作も、情報量が多く、やや都合良く見える展開があり、「結局マリは何がどうなってこの状態だったの?」等の明示されなかったトピックもあるものの、大人になったシンジ君が走り出すラストシーンは旧劇以来20余年の時を経て「自分がラストに期待していたのは結局これだったのだ」と再認識させられるものでした。ありきたりでも、青少年が出てくる物語にビルドゥングスロマン(成長・自己形成)を求めずにはいられないのです。
(年をとって偏屈になったのかもしれません。若い頃より今の方がそういうものを求めがちです。)

自分は、今作でここまで分かりやすく前向きなラストが提示されたことについて、時代の変化を意識せずにはいられません(※)。
TV版と旧劇場版が公開されたのは世紀末でした。
本心でシンジていた人は少ないものの1999年にはノストラダムスの大予言が控えており、現実の世界でも阪神淡路大震災(1995年)地下鉄サリン事件(同)、アジア通貨危機(1997年)等がありました。
生活様式も現代とは異なり、SNSやスマートフォンはもちろん、i-mode(1999年)や写メール(2000年)すら世に出る前でした。
情報が流れるスピードが今よりもスローで、アクセスできる情報も限られた中で「明日世界が終わってたらどうする?」という問いかけに悶々と答えを探していた時代だったように思います(そんなの人によるって?)。
それに対して現在では、高速かつ過剰に流れる情報に手のひらからアクセスできます。むしろ、情報を取捨選択し、膨大な情報に流されずに目の前のことに集中することに価値が置かれるようになりました。

いささか強引ですが、自分はこの旧劇から24年間の世界と人間の変化を「禅問答からマインドフルネスへ」という枠組みでとらえました。マインドフルネスは現在起きていることに集中すること。マインドフルネスを座禅に置き換えると、これはどちらも禅宗の悟りへのアプローチです。
TV版と旧劇は禅問答でした。劇中と設定に極めて多くの情報が盛り込まれ、多くの謎が提示され、それでいて最後は「オチ」が明示されず、視聴者に解釈を委ねて終わります。これは世紀末の私達の生き方と似ていました。重大な事件・事故が起きても、傍観者が知り得るのはマスメディアで報道される断片的な情報です。与えられた情報をもとに、世界は、自分はどうなるのかを悶々と考えていました。
新劇はマインドフルネスです。相変わらず情報量が多くとも、現代では答え合わせを求めるのであればインターネット上に丁寧な考察が溢れています。そこで、映像作品の原点に立ち返って映像美と視聴時の興奮や気持ち悪さが重要になります。ゆえにマインドフルネス。前向きなラストが用意されたのも、作品視聴中の体験に重きを置いたことの帰結であるように感じるのです。

※もちろん新劇場版:‖までの庵野監督の軌跡と心境の変化も多大に影響していると思います。カラー10周年記念作品の「大きなカブ(株)」は新劇場版と合わせて見るとぐっと来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=uqeU5a6YgCs

個別のポイント

これ以降では、今作を見て「おおっ!」と思った点を思いつく限り挙げます。最後の方は他愛ないものもありますがお付き合いください。

トウジとケンスケの役割

非常に熱い展開でした。
トウジは、新劇場版ではエヴァ3号機のパイロットにならず、TV版のように片足を失い生死不明という惨劇を避けられました。ただ、そのために最大の見せ場を失ったのも事実です。そのトウジが、今作では第三村で医師として人々の支えとなり、精根尽き果てた状態のシンジを迎え入れる役目を果たします。熱い。
また、ケンスケも同様にシンジを自分の住処に迎え入れ、彼が落ち着くまで必要な距離(超重要)を取って支えます。自分はこれをとても懐かしく思いました。TV版では、序盤に家出したシンジを、ミリオタのケンスケが自分のキャンプ(?)に迎え入れる場面がありました。このシーンは、新劇場版:序ではありませんでした。自分はこの地味なシーンが結構好きで、新劇場版でカットされてしまい悲しかったのです。
今作では25年ぶりに、ケンスケが憔悴したシンジをホームに迎え入れます。熱い。

マリの役割

自分は新劇場版:破でマリが登場した時、彼女は新劇場版を制作するにあたって、新規のキャラとキャストを加えて新しい雰囲気と謎を追加することが目的なのだろうくらいに見ていました。90年代を代表する声優陣である旧作からのキャストに2000年代を代表する坂本真綾さんが加わるのは新劇場版だからこそできたことです。
ただ、今作のラストでマリは非常に重要な役割を果たします。
終盤に、シンジは他のチルドレンを「送り出す」ことになります。アスカとカヲル君にとどまらず、レイも自分の先に行かせてしまいます。そして、最後に残ったシンジを一人にさせずに手を差し伸べる役割をマリが果たすのです。
マリの正体については様々な情報が出てきましたが、彼女がどうして作中の時間軸でエヴァパイロットをしているのかは明示されることはありませんでした。それでも、最後まで見終わったあとに、新劇場版にはマリがいて本当に良かったと思わせられました。
なお、新劇場版:‖のパンフレットでは「最初はにぎやかしだと思っていたのに最後の最後にこんなに重要な役割を任せられるとは」と、他ならぬ坂本真綾さんも仰っています。

ゲンドウのブレのなさ

今作でもゲンドウの動機が「ユイにもう一度会いたい」であることは変わりません。作中の時間経過のせいか、新劇ではTV版と旧劇よりもゲンドウはヤバいことをやってる印象を受けるのですが、根本にあるのは変わらないのです。もう少し別の要因が語られるのかもしれないと思っていたのですが、これはこれで「らしい」とも感じました。
さて、これは沢城みゆきさんが新劇場版:‖のパンフレットに書かれているのですが、終盤の台本を読んでいる時に「Beautiful World」も「桜流し」も「シンジの歌だと思っていたのにお父さん(ゲンドウ)の歌だったのかも」と気付いたと。
歌詞を見返して背筋がゾクゾクしました。大変素晴らしい視点。

鈴原サクラの存在と沢城みゆきの解釈

新劇場版:Qからの新キャラの鈴原サクラ少尉は、今作ではあまり出番が多くありませんでした(Qでもそれほど多くは無かったか)。それでも「碇さんはエヴァに乗って皆を不幸にして自分も不幸になった」と、かなり的を射たことを言ってシンジを止めようとします。
直接言っているわけではないのですが、第三村のトウジやケンスケとのやり取りや直前のミサトとの会話と合わせて、自分はこれが堕ちたヒーローへの励ましのように見えたのです。
Q以降ではニアサードインパクトで世界が崩壊したことでシンジが責められる展開が多かったものの、それまでは彼が使徒と戦って世界を守って来たのです。そして、彼も多くのものを失いました。これもまたシンジが第三村で「なんで皆こんなに優しいんだよ!」と叫ぶことへの1つの回答。
終盤のシンジは新劇場版:破で出てきた強い「シンジさん」に結構近い印象を受けたのですが、そこに至るために必要なやり取りだったのではないかと思って見ていました。
今作のパンフレットでは、サクラ役の沢城みゆきさんが、彼女の役割について「一般人代表」と評していました。それだけでなく、サクラのキャラクターはレジェンダリーなチームに途中から加わることになった沢城さん自身の「アテ書き」(キャストに合わせてキャラクターを造形すること)だったのかもしれないと。この感性はすごい(もっとすごいのは1つ前の「Beautiful World」と「桜流し」の見方)。
もっと踏み込んで、サクラのシンジに対する「想いが重い」という感想を多くの視聴者が持ったようで、鈴原サクラで検索すると「怪文書」というサジェストが出てきます。一読の価値あり。「年下なのに年上」って無敵。

その他の諸々

今作のミサトさん
ミサトさんがシンジをかばってサクラに脇腹を撃たれます。分かりやすく旧劇を意識した場面です。これが致命傷になるわけではないのですが、ミサトさん今作でもラストシーンまでは残れませんでした。

アスカの扱いは雑なのか
新劇場版:破の上映時に旧友が「アスカの扱いが雑」だと言っていました。
雑だとは思いませんが、出ずっぱりの主要人物ゆえにストーリーを変えた部分の影響がもろに出てるのは同意します。というかそれがファンからすると雑ということですよね。

人外っぽい機体は良い
今作冒頭のパリの戦闘シーン(先行公開されていたAVANT1パート)では、人外の形状をしたエヴァが3機種出てきます(航空タイプのmark.44A、移動砲台のmark.4444C、電力供給型のmark.44B)。人外タイプは良い。
自分はトラウマと言われることが多い「白ウナギ」こと旧劇場版のエヴァンゲリオン量産型も好きでした。ウナギ・爬虫類・翼・ロンギヌスの槍レプリカ、欲張りセット。自分と似た感性の方はフリーザは第三形態が一番好きなんじゃないでしょうか。

大人がプラグスーツを着るとエロい
これはTV版の頃からずっと考えていました。なにしろ中学生だったから。
最初に出てくるのがリツコさんなのでひでぇと思いましたが。

槍しばき合いバトル
初号機と13号機でお互いに槍を持ってしばき合うのは大変シュールでした。場面が第3新東京市の使徒とバトルした戦場、ミサトのマンション、学校と移り変わっていくのも大変シュール。

おわり

以上です。全4,600字程度になりました。
最後まで読んでいただけた奇特な方がいらっしゃいましたら大変ありがとうございます。

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