見出し画像

「いずれできるようになる」ではみんな死んでしまう。自己紹介1

はじめまして!

宮城県生まれ、山梨県育ちの元気で自由な女のこ(31歳)(笑)です

働き者の母、コツコツ地道にやる父とそのほか愉快で個性的な家族に囲まれ
根は真面目なはずなのにどうも破天荒に育ってしまいました。

ここには自分のことをまとめながら今後についても書いていきたいと勘がています。
いろんな人のnoteをみて自分以外の人生を知りたいと思って始めました。


できた子どもになりたい

根の話です。

小学校3年生まで何も妥協せずに苦しいことも諦めずに生きてきました。
できないことは何回もトライしてできるようになり幼稚園児から始めた水泳と小学生から始めた新体操を毎週続けてどこから見ても健康的な子どもでした。

小学校3年生の時の担任は

「毎日コツコツできる人はその努力が大きな力になるし、大きな問題を解決するための力こぶになる!」

最初のホームルームでそう言いました。

「宿題は毎日出さないので毎日ノートというノートを作ります。
それぞれ毎日1ページ自分がやりたいと思った勉強を実施して提出してください。」

漢字でも算数でも理科でも社会でもなんでもいいから毎日1ページ

そのノートに私は星座の観察を描く事にしました。

毎日決まった時間に家の前の電線三本線を書いて星座がどのように動くか観察し星の名前や何等星なのか調べて書きました。

先生が理科の専攻だったこともあると思います。

算数や国語は100点取れていたし
(小学生のツルツルの用紙のテストはみんな大体満点だったけど)
好きな勉強をしてもいいという先生の言葉にワクワクしたようにも思います。

とある日のテストの裏面のおまけ問題(時間が余ったらやってみてね問題)で

「太陽は1時間に何度角度が動いているでしょうか?」

という問題が出ました。

測ったこともないなと思いましたが小3の頭でよく考えて地球は丸いから360度、毎日朝が来るということは360度を24時間で割ればいいんだ!と思いつき、クラスで自分だけが正解していたことがありました。

みんなが知らないことをたくさん知っている人になりこの高揚感を毎日感じたい。と思うようになり、なんでもクラス1位を目指すようになります。
今思えば最初の目標設定でした。


そう甘くなく、ミニバスを習っている子に足の速さで負け、そろばんを習っている子に暗算で負け、他人に比べて自分は劣っている人間だと痛感しながら生きていました。

挫折という苦痛と快感

全力で努力していましたが、なかなか実らず、3年生が終わる作文の季節。
1人2作文提出することになっていました。

2作文提出し1つは合格をもらいますが、もうもう1つに永遠添削が入ります。文字の間違えや言葉の使い方の間違え、訂正して提出してもまた添削が入ります。

内容の訂正もありました。もう赤ペン通り書いて消してまた書いてもまた直されて、解放されたいと思いました。

期日が迫るのにもらえない合格。

先生は「このままではあなただけ1つしか文集に載せられない」
と言われました。

私は「どうしよう。この世の終わりだ。」と思いました。

でも自分の全力を出し尽くしたし「もう1つだけでいいか。」と思い

先生に「私だけ1つで大丈夫です。もう書けません」と伝え、私だけ1つの作文にするということになり職員室を出ました。

もう私の人生は終わった。みんな2つ提出して合格しているのに私だけ1つしか提出できていない。

小さな体に大きな絶望がのしかかり家に帰って母に伝えると、「頑張ったならいいんじゃない?なんでなんだろうね。」と言われました。
完成した文集には私の文集は最終添削された内容で作文が2つ載っていました。

あれ?妥協しても人生は終わらないのか?みんな何かしら妥協しながら生きているのか?

そう思い次の日からは小さな妥協を少しずつしていくようになりました。

妥協をすると効率良く楽しながら物事が進むからこれはこれでいいのかな。

心の片隅にあった小さなモヤモヤはすぐに見えなくなりました。

サボれるところはサボりつつ
ずっと頑張ってきた習い事は小学校卒業まで継続し、小学校生活は終了しました。

頑張っているふりをしつつ頑張り方を忘れてしまった時期でした。


#自己紹介

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?