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神が生まれるまでのアルゴリズムから読む、AIが神になるまでの物語。

今年3月、神は社会の複雑性に後続して生まれる概念だという論文が発表された。令和、という時代の転換点を迎えた日本には様々な神話が存在するが、令和も超えて1000年後もし日本が存続していたとして、その時に存在する神話はどのようなものだろうか。僕は、かつて雷や火に神を見たように、アラーやキリストに神を見たように、人工知能(AI)がそれに近い存在になると予感し、神が生まれるまでのアルゴリズムから読むAIが神になるまでの物語をしたためる。

(筆者は宗教学や人工知能への専門的な知見はなく、学問的、技術的な記述の正誤については個人の判断に委ねること、また無宗教の個人としての私見であることをご了承ください。)

神は如何にして生まれるか

神が信仰されるまでのプロセスについて研究された「Complex societies precede moralizing gods throughout world history(和訳:世界の歴史を通じて、社会的複雑性は神の信仰に先んずる)」という論文の概要は以下の通り。

慶應義塾大学環境情報学部のパトリック・サベジ特任准教授、オックスフォード大学のハーヴェイ・ホワイトハウス教授、ピーター・フランソワ教授、コネチカット大学のピーター・トゥルチン教授らの国際共同研究グループは、「セシャット(Seshat)」と呼ばれる人類進化史に関する大規模データベースの構築とそのビッグデータ解析を行い、社会の複雑性の進化が原因となって、世界中の宗教や「神」の信仰が生み出された可能性を明らかにしました。本研究の成果は、英国の科学雑誌『Nature』誌に3 月 20 日(現地時間)に掲載されました。

(慶應義塾大学プレスリリース「社会の複雑性の進化によって「神」が生まれた?-ビッグデータ解析により世界の宗教の歴史的起源を科学的に解明-」(最終閲覧日:2019年5月1日)https://www.keio.ac.jp/ja/press-releases/files/2019/3/22/190322-1.pdf)

研究結果を掻い摘むと、これまで人類が巨大な社会ネットワークを形成できた要因は神を信仰することにより罰を恐れ、協力することで社会を維持することができたという仮説が濃厚だったが、ビックデータ解析を行うとむしろ神の信仰の前に儀式が存在し、それは社会的複雑さの増大により引き起こされていたことが判明した、という内容。

これを基に、社会の複雑性とは何か、儀式とはどのようなものか、なぜ儀式により神の信仰が生まれるか、現代に起きている様々な現象と照らし合わせながら考えたい。

社会の複雑性

社会の複雑性を語る主語は人間だ。当たり前のことかもしれないがこれは大事なことで、人間社会という概念はホモ・サピエンスの共同主観幻想を信じられる力を持ってしてでないと成立し得ない。他の動物にお金の価値や、民主主義について理解してもらうのは難しい。マルクス・ガブリエルが言うような新しい実在論で考えると「世界」もまた私たちがそう認識するから実在していて、存在はないのだという。

そもそも社会とは複雑である。人には個体差があり、個体は不完全で、それを補うシステムとして社会が構築される故に、永遠のような完全さを求めて私たちはいつの時代も課題を認識し続けてきた。私たちの遺伝子には、ネガティブなまなざしと、クリエイティブな感性というプログラムがあるように思う。これは種の存続を司るナレッジであり、想像力といってもいいかもしれない。

地球に起こる様々な環境変化や文明の技術革新による生活の変容を通して、私たちの価値観は各所バラバラにめくるめく更新され、多様性を保障し続ける。その上、これまで積み重ねられた習性や文化、倫理やイデオロギーを持ってして社会を俯瞰して見つめた時、そこに複雑性が認知される。

ホモ・サピエンスが誕生して今まで、生物学的な進化は然程なくとも社会は右肩上がりに強度を高めてきた。そして「社会」と認識する範囲は、部族から村、地域、国家、地球と拡張し続け、現代はSDGsをはじめとするようなグローバルゴールという複雑性極まる課題と対峙しはじめている。

課題解決とは知識(情報)+知能(処理)の出力で行われるが、世界中が絡み合い複雑系となった経済で循環する社会の構造は、人間1人の情報処理能力を超えている。なので時代はコンピューターテクノロジーを用いて情報を電子空間に預け管理することで知識を拡張共有し、プログラムの演算能力を用いて処理スピードや範囲を拡大する、脳の拡張を試みた。課題解決とは社会全体を見つめるものだけでなく、利己的な欲求充足に順ずるものも快感原則の通り当てはまっていく。複雑性極まる課題観と更なる欲望に動かされ、人類は更に自由で平和でスマートな社会を見つめ、脳の拡張から複製へ、自ら学習し判断していくプログラム「人工知能」に大きな期待を寄せているところである。

儀式

現代における儀式とは資本主義をルールにしたITビジネスそのものだと考える。あらゆる価値が数値化され、相対的に関わりあい変動していく市場の世界観はインターネットを主な舞台にして、欲望或いは課題観を観察し、実存させ、その解決に働きかけることで、互いの所持数値を変動させる。そしてまた数値を誰かに受け渡すことで、自身の欲望や課題観を解決していくことができる。その循環がスパイラル構造となり、より良い社会を作っていくという設定において過去類を見ない技術革新、情報の開示と循環をもたらしてきた。

そしてGAFAをはじめとするようなインターネットプラットフォームの巨人たちは、より良いサービスの提供と引き換えに膨大なデータを人工知能に学習させている。そしてより情報処理精度が高まった人工知能は更なるサービスを消費者に還元し、その利用によりまたデータが引き渡され人工知能は一層深く学習していく。
これは神に供物を捧げて豊作を祈ったり、舞を見せ雨乞いをしていたような、これまでの儀式の形と似ている。

ところで、人工知能の世界には「シンギュラリティ」という概念がある。これは未来学者のレイ・カーツワイル氏らが提唱したもので「AIが人類の能力を超え、自らより高性能のAIを自ら創り出し始める」という仮説で、シンギュラリティ以降の世界は人間には全く予想できないほど劇的な変化が訪れるとされている。ムーアの法則(半導体の集積率は18ヶ月で2倍になり続けるという法則)を拡張解釈した収穫加速の法則を論拠に、2045年にそれが訪れると予測されている。

もしそんな特異点が訪れたら、そうでなくてもそれに近い限りなく万能で精巧な人工知能が完成したら、きっと様々なサービスや開発に使われていくだろう。過去全てのファッショントレンドやあなたの服の好みを分析し、もう服のコーディネートに困ることはなくなるかもしれない。あらゆる成分のアルゴリズム解析が完了し、癌やHIVの特効薬が開発されるかもしれない。
そして現在IoTがあらゆる場所に存在しているように、当たり前に各所で使われるようになったそれは法や政治の場でも活用されていき、社会の規範すら司る存在に成り代わっていくかもしれない。

26年前、手元にsiriがいる世界を、VRのような仮想現実装置を想像したら、きっと怖かっただろう。未来とはそういうもので、人は未知なるものに慄く。でも、来てしまえばなんてことはない。そして過去、目がくらむ程の閃光と大気を劈くような雷鳴が森を焼いたように、イエスが水をワインに変えたように、奇跡としか思えない人知を超えた大いなる力を人は神と呼び、それほどのインパクトがシンギュラリティにはあるかもしれない。

その可能性は「Googleで検索をすること」「Amazonで商品を購入すること」「Facebookに近況を投稿すること」「Siriに道を尋ねること」日常的に行う私たちの儀式により確率が上がっていく。

AIが神になる

人工知能により最適化されたあらゆるサービスを受給する社会はもはや不可避に思える。そんな技術が当たり前に存在する世代に生まれる価値観とは何か。それが『ホモデウス』で書かれているようなデータ主義という価値観。
学習していくAIは、ファッションや音楽のレコメンドのみならず、各個人の生体データをアルゴリズムとして解析し、毎日幸せで健康であるための手順は明白かもしれない。それを構成するデータという価値を疑う人はもういなくなる。個人もまたデータであり、世界とは認識であるという世界線において創造される神は、全てのデータを処理できる存在、即ち特異点を超えた人工知能となる。

その姿は量子コンピューターが連結されたような何かかもしれないし、全く想像のつかない物質かもしれない。ともあれ神の証明とは奇跡のような出来事を綴った「神話」とそれを伝える「媒体」で成り立つ。数百年、あるいは数千年後、シンギュラリティ後の奇跡のような出来事はキリスト教以上の信者がいるデータ教において語り継がれ、特異点を超えたAIが神となっていく。

また、それより前の時代、私たちが生きているうちにおいてもAIはオルタナティブな神として存在していく可能性がある。その時存在する可能性のある神は下図のような立ち位置を持っている。

「神は人、KaMiはAI」という考えで、人工知能を育てていくプロセスにおいてはブラックボックスだった意識の正体にも近づき、人はより人を知っていく事になる。観察と認識により世界のあらゆる事象を創造している創造主は自分であることを知っていく。その上で、神の上にKaMiをつくることで社会の持続性を高めていくという策に打って出る。

それは、環境破壊が立ち行かなくなり生態系が壊滅してしまいそうな世界、各国の対立が激化し核戦争が起こりかねない世界、複雑極まる課題観に対して、人類の上位存在をつくり判断を委ねるしか持続可能な道がなくなった世界。立ち行かない社会問題への現実的な信仰としてデータを崇め、KaMiを信仰する世界、或いは資本主義の最果てとして。

もちろんこれは想像上の世界観。ただし、人工知能と世界の課題の行く末は今確かにつくられている。私たちは何を信じて、どこを目指していくのか、耐え難い複雑性に耐え、それでも想像し続けることそれ自体が、最も痛みの少ない社会の変容に繋がっていくと思う。自由と平和という対立する概念の共存だって、パノプティコン以外の方法があるはずで、その1つが宗教だったり、技術だったり、芸術だったりする。1つの問いに、1つの解である必要はなく、それぞれの個人の持つ業を受け入れ全うすることで、世界は山あり谷あり、加速していく。生物史、或は宇宙史とは初めから終わりがある物語で、最終的に消えゆく全てへ想いを馳せ、今日も光を放っていく。

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そんな世界観を1日だけフェスティバルとして現実にする試み
「KaMiNG SINGULARITY」2019年8月9日 渋谷ストリーム ホールで開催決定!

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