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エンターテイメントを想ふ

フレディは言った

セルフカットしたら坊主みたいな髪型になるっていう悪夢を見た夜が明けた日の話。それが原因か分からないけど、その日の朝は布団の中でずっと生きるか死ぬかを考えていて、答えが出なかったのでとりあえず楽しみをつくってみようと思い、その場で映画のチケットを買って『ボヘミアンラプソディー』を観に行った。

劇中、フレディはメンバーにエイズを打ち明けるシーンで、一点の曇りもないような目をして自分の生きる目的を、役割をパフォーマーだと言い切っていた。些細なセリフのように思えるけど、なんだか心の中で拡張したがってる何かを掴まれたような気分だった。そして、エンターテイメントの熱狂とはこういう態度から生まれることを知っていた。

哲学者のジャンポール・サルトルは「人間は自由の刑に処されている」といった。『サピエンス全史』のようなポストモダン読本がベストセラーになるこの時代、自由の刑は益々重い処罰となっている。科学はこう言う「真の自己は存在しない」「社会とは虚構でできている」「経済も政治もジェンダーも、全ては虚構だ」そう、そして科学さえも。

世の中はわかることと、わからないことの2つがあるのではなく、わかった気になっていることしかないのかもしれない。僕らの生きる意味をGoogle先生は教えてくれないし、自分が何者かなんてどこに答えが書いてあると言うんだ。現代の自由は死よりも深い闇にあるけど、それでもわかったという振る舞いを続けることが、社会で生きるということみたいだ。

だから主張は光になる。闇を超えた心からの主張に人は憧れる、俗っぽく言えばカリスマ性を感じる。人もそうだし、歌もそう。星野源さんと永原真夏さん(SEBASTIAN X)の歌が特に好きなのだけれど、2人の歌は源さんの歌詞を引用するに「雨の音で歌を歌おう 、すべて越えて響け。」という感じで、面倒くささや、不条理や、痛みや誤解や恐怖とか、色々あるしどうせ死ぬけど私は歌うし、音楽は最高だって、そう発しているように思える。

だからそんな歌を聞くたびにフレディのセリフで掴まれた部分と同じところを掴まれる感触があるし、広義ながら「エンターテイメント」に携わることができていることを心から誇らしく思わせてくれる。エンターテイメントは熱狂の共鳴で、自由からの救いでも要請された振る舞いからの解放でもあって、その場の生命が確かに謳歌しているのを感じとって、その美しさと切なさに感動してしまうこと。

死ぬな、なんて簡単には言えない

死んでしまうことで起きうる問題は故人でなくその周囲にある。死んだらどうなるかなんて分からないけど、多分意識なんてものは吹き飛んでしまっているだろうから、痛みもなければ苦しみもない。でも、残された人たちは痛いし苦しい。それでも、死の最終判断は個人に主導権がある。

とあるSF小説では、全ての人間にはナノマシンが仕込まれていて幸せで健康でいられるよう管理されている世界が描かれていた。そんな世界では自死だけが唯一の抵抗表現だった。現代においても死は1つの表現だ、なんて言うと炎上しそうだけど確かにそれは自由の範疇にある。

だから個人の人生のフィナーレたる演出にとやかく言えないとは思っているのだけど、それが本意でないなら別。あまりに苦しいことや、絶望を感じてしまうと「もう死ぬしかない」って気分にもなり得るけど、人の気分は転がり続けるものだから「ちょっと待った」くらいは声をかけたい。でも、個人で声をかけられる範疇は小さなものだから、エンターテイメントをつくる。

エンターテイメントは「せめてこれを味わってから死のう」って考える猶予をつくることができる。どうせ死ぬなら最後にフジロックを満喫してからにしようとか、せめてワンピースの最終回は見届けてからにしようとか、シンギュラリティを体験してからにしようとか、エンターテイメント欲は本当の終わりを意識したとき歯止めになる。
時間さえあれば、人の気分は転がり続ける。Like a rolling stone.

マイケルジャクソンのライブ会場にいる人の何人が「生きてて良かった」「人生最高の日だ」って思っただろう。現場にいた訳ではないけど、動画を見るだけでもそんな想像が広がってしまう。

エンターテイメントは思考猶予のみならず、時に人生に意味すら与えてしまう。自らの人生に意味が持てた時、それは死ぬまでで最も幸福な時間の1つになる。エンターテイメントをつくっていれば、いつかそんな機会をつくることができるんじゃないかって、そんな可能性だけでどんなに安月給だろうと続けるには十分な理由だ。

セルフカットしたら坊主みたいな髪型になるっていう悪夢を見た夜が明けた日の話。それが原因か分からないけど、その日の朝は布団の中でずっと生きるか死ぬかを考えていて、答えが出なかったのでとりあえず楽しみをつくってみようと思い、その場で映画のチケットを買って『ボヘミアンラプソディー』を観に行った。

帰りのバスではヘッドホンで好きな音楽を聴きながら
明日の予定を考えていた。

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雨宮のやってるエンターテイメントはこんな感じ


「こんな未来あったらどう?」という問いをフェスティバルを使ってつくってます。サポートいただけるとまた1つ未知の体験を、未踏の体感を、つくれる時間が生まれます。あとシンプルに嬉しいです。