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映画のなかに生きている

高校生の頃だったかな、実家から原付を10分ほど走らせた場所にあるTSUTAYAに毎日通っては、2、3本映画を適当にピックアップして借りて、怠惰に見ていた時期があった。

見たい作品があったとか、好きな俳優がいるとか、何かしらの研究心があったとかそういう動機ではなくて、ただ暇だったからかもしれないし、ちょうど適当な娯楽だったからかもしれない。

大学では映画のゼミに入っていた。卒論も映画を通したモラトリアムの研究。「好きなものはなんですか?」と聞かれた時に「映画」と返答をしたことは確かないけど、なぜだろうか自分の人生は映画に囲まれている。

今だから思うのは、人生とはつまり映画なのだ。はじまりと同時に光を得て、必ず真っ暗なエンドロールがやってくる。どんな過去があったって、都合の良いように回想シーンをつけたせば、なんだって未来への布石のように演出できる。

時折、主演でいながら観客でいるような気分にもなってくる。行動は基本的に意識よりも早くて、勝手に体や時間が動いてることを観察していると、自分とはただ自分という映画を観ているだけに過ぎないのだと、考えることもある。

現実世界と虚構世界は混ざり合っていて、脳科学的にも映画などのフィクションでそのなかの人物に成り切ったつもりで感じる感動は、現実のそれと変わらないらしい。共感性次第ではわざわざ努力をしなくても、映画の主人公が努力して宿敵を倒してくれれば、脳の報酬系は同等の反応を示す。

まぁ、そもそも僕らは現実を現実と証明する術を持っていない。『マトリックス』は未来のドキュメンタリーかもね。

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なんて着地しない妄想を繰り広げていても仕方がない。(とはいえこの記事を読み進めた先に綺麗な着地は恐らくない)

『ニューシネマパラダイス』とか『ショーシャンクの空に』とか『レオン』とか、世に名作と言われる映画も好きだけど、格好つけずにいうとやっぱりこの時代の監督がつくる日本の映画が好き。共感性高く観れてエモい。

上記2つの映画は卒論にも登場させるくらい好き。この映画が好きっていうのもあるけど原作が両方ともめちゃくちゃ好き。モラトリアム系の映画が好き。だから『リバーズエッヂ』や『あゝ、荒野』も好き。

モラトリアムとは現代では主に「大人になるまでの猶予期間」であったり、「何をやっても虚しく、そこから抜け出せない期間」であったり、社会人になってもモラトリアムな人は「早く大人になれよ」と言われがちです。

ただ自分はモラトリアムこそ自然だなぁと感じてる。こんな自由市場の個人主義の時代、宗教も哲学もなきこの日本において、大学卒業した途端に自分が何者か分かっちゃうって、それマジかよって思っちゃう。

最近は若手の起業家たちも多いから「教育で世界を変えたい」とか「命をかけて◯◯を広める」とか、1周目で無理やりそんな宣言しちゃうのは実はキツイんじゃないかなぁと思ってる。(ブランディングなのも分かるし、その人自身の言葉でないのも分かるけど)

むしろ言いようのない虚無や焦燥感や怒りはそれ自体が価値だし、ふつふつと煮えたぎらせた先に新たな哲学があるはずだから、早く大人になろうとしないでいいと思う。とはいえ煮えたぎらせたその先にも真理なんかないから、いつか脱するんだけど、自己の葛藤やせめぎ合いがないなかでの解脱は、大人になるということ、社会人になるということではないように思います。

大人になるっていうのは分からなさを分かっていくってことなんだよ。

牛乳の中にいる蝿、その白黒はよくわかる
どんな人かは、着ているものでわかる
天気が良いか悪いかもわかる
林檎の木を見ればどんな林檎だかわかる
樹脂を見れば木がわかる
皆がみな同じであれば、よくわかる働き者か怠け者かもわかる
何だってわかる、自分以外のことなら。

-「軽口のバラード」 フランソワ・ヴィヨン

映画は自分の想いを代弁してくれる。そして映画は未来への想像を拡張していく。

↑はすんごい昔に書いた『インターステラー』(というSF映画)の感想記事。
SFは特にそうだけど、やはり絵に音が加わり動くというのは強烈なことで『2001年宇宙の旅』『AKIRA』なんかを観てると音が伝達の次元を変えてることが分かる。

文章や絵では伝えきれない、というか概念がないので言葉にもできない世界を、音と光で立体感を生み、視聴者と作品の間に世界を想像させる。VRやMR、表現の未来はまだまだ先があるのだろうけど、2時間ちょっとでパラレルワールドへトリップできることに、本当感謝しかない。いつか自分でも映画つくりたいなぁ。。

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映画はまだ着手できてないけど、映画体験は来月つくります!
池袋のサンシャインシティにある展望台「SKY CIRCUS」にて、ワイヤレスヘッドホンを使って音を共有する「サイレントシネマ」

ヘッドホンを使うことで、どんな場所でも綺麗な音質で、周りを気にすることなくお喋りもできる、新たな映画体験。通常の椅子だけでなくハンモックや芝生、ビーズクッションも先着順人数限定でご用意。

作品は全国上映に先駆け『静寂を求めて-癒しのサイレンス-』というサイレントシネマにぴったりの作品の試写会になります。

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映画はきっと死ぬまでずっと連れ添うことになりそうだ。極から極へいろんな世界を味わっていこう。

「Silent Cinema 『静寂を求めて-癒しのサイレンス-』 試写会@サンシャイン60展望台」の詳細はこちら

「こんな未来あったらどう?」という問いをフェスティバルを使ってつくってます。サポートいただけるとまた1つ未知の体験を、未踏の体感を、つくれる時間が生まれます。あとシンプルに嬉しいです。