【即興小説ログ】堕天使瓶底眼鏡君。

■即興小説トレーニングで書いたものです。

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■条件等

お題:朝の天使、必須要素:うへへ、制限時間:4時間、文字数:3107字

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堕天使瓶底眼鏡君。



 どうして俺はこんなに暑い日に、しかも天下の花金に、むさくるしい男ども、そして瓶底眼鏡野郎とチゲ鍋をつついているのか教えてほしい。

 天使なんてものはこの世に存在しないと俺は信じている。

 偶像崇拝が宗教という形でいかに世界に浸透しているかは、世界史を勉強すれば自ずと明らかになってくる結果ではあるけれども、日本という国はどうにもそれに当てはまらない。様々な偶像崇拝はアイドルに依存している気がする。別にアイドルじゃなくなったっていいんだけれど。
「いやぁ、本当にサクヤちゃんかわいい!」
そうやって同じ部署内のサラリーマンを賛辞する同僚も同じだ。
「お前も今のうちに眼福に預かっておくんだ!」
「……その日本語は正しいのか?」
俺ははしゃぐ同僚を無視してコーヒーを入れる。ガガガガガガガ、というけたたましい音と共に注がれる香り豊かなコーヒーは、日本人の技術を集結して作られた無駄なテクノロジーのたまものだ。
「いつ異動になるか分からないだろ」
「お前がな」
勇む同僚を無視してズゾゾとわざと音を立てながらコーヒーを啜る。今日も美味い。いや、毎日上手く淹れられないとメーカーの意味がないのだけれど。
「お前は来たばっかりだからそんな!余裕なんだろーけどねー!!こっちは必死なんだってーの!!」
「はいはい」
なおざりに返事をしながら、新しく淹れたカプチーノを渡せば同僚は大人しくなった。

 木下サクヤは俺の隣の席に座っている。でかい会社は各部署の人数が多いので末席中の末席である。今日も管理職が物理的に遠い。入社当時はいつかあの席へ、という気持ちがないでもなかったが、この末席の気楽さを考えると最早どうでもよくなっていた。いつまでも遠いままでいい。
「松田さんは出世に興味とかあるんですか?」
そう言いながら手を出してくる。この間上司から回ってきた書類を渡せということらしい。木下は小さい。小さいとはいっても身長自体は170cmくらいあるのだけれど、骨が細い。そして極度の近視だか遠視だかと乱視を合併しているのでコンタクトが掛けられないらしいんだにゃ~……というのは先の同僚の弁なので無視してほしいんだが、要は眼鏡をかけている。瓶底のような眼鏡だ。薄型レンズが氾濫する世の中、こんな眼鏡、勉三さん以来お目にかかったことがない。生きる漫画だ。
「給料は上がってほしいが出世はしたくない」
ほいよ、と上から預かった書類を机の上に滑らせる。
「ですよね……。なんかあの席暑そうだし」
気温の問題かよ、と思うが恐らくこいつは本気で言っている。そして言った瞬間に目が若干輝いたのも見えた。瓶底から。
 極端に目が悪いのであまり眼鏡を外すことはない。ラッキーチャンスと皆が口をそろえていう瞬間を俺は拝んだところがないのだが、うっかり忘年会で鍋が出た時に前に座ってしまった奴らは口をそろえて「かわいい!とってもかわいい」と言う。素顔がとても可愛いという。曇って見えなくて眼鏡を外しちゃって、更に見えなくなった裸眼でおたおたするのもたまらなくいいそうだ。いくら女性社員が少ないからってあまりに頭がぼけすぎである。彼らが言うに、瓶底には曇り止めが搭載されていないそうだ。昼休み毎日眼鏡外して寝てるぜ、と言えば、「ずるい、今すぐ席を変われ」とののしられた。心外である。尚、木下はいつも昼寝用のクッションに顔をうずめて寝ている。見ようと思うならご飯を食べ終わり、カフェオレを飲み(小岩井乳業のをレンジでチンして飲んでいる。夏でもだ)、軽いストレッチをしたそのあと数秒に勝負をかけなければならない。
「そんな馬鹿なことやってられるかよ……」
「そうですよね!昇進なんてバカみたいですよね!退職するまで平社員がボクの夢なんです!!」
とてもでかい声で見当違いのことを言ったので、木下は呼びだしを食らっていた。

 そんな木下だが本社からの出向で旧帝国大学を出ているので割と仕事ができる。先日もナントカカントカの栄誉で表彰されていた。よくわからない。
「それを祝して鍋パをする」
「ああ~?暑いのに鍋とかふざけてんのかてめーはよ、」
「ふざけてなどいない。サクヤちゃんの眼鏡の下が見たいなんて言ってない」
「うぜ」
「そうでもなんでもなくサクヤちゃんは鍋がいいと言った。誘導したわけではない」
「黙れハゲ」
若ハゲに悩む同僚はその一言で決壊した堤防のごとく怒り始めたが、カプチーノを差し出したところ黙ったのでまだ理性はあるようだ。

 時は流れて鍋パーティーの日は訪れる。
 しかもチゲ鍋である。

「チゲが一番おいしくもやしを食べられると思うんです!」
木下は買い出しに来たスーパーで意気揚々と言っていた。もうちょっと極寒の時に食べるからチゲのありがたみがわかるんじゃないのか。自らの体温調整機能に関して容赦がなさすぎる。
「もやし?」
思わず逃がしそうになっていたパワーワードをつきつける。
「わかりませんか?もやしは世界の味方です!35円であんなにたくさん入ってるんですよ!エノキやうどんと混ぜればかさましも簡単楽勝!色味が足りなければニラを足せばいい!やさしい!なんてやさしい世界なんでしょうね!!ほら、あのホワイトアスパラガスをみてください!同じ日光が当たってない食物なのにあんなに高いんですよ!?こうやってチゲで美味しく食べてあげてこそもやしの積年のホワイトアスパラガスへの恨みが」
「黙ってくれないか」
スーパーの店員が怪訝そうな目で瓶底を眺めているのがいたたまれなくなり思わずそう言ってしまう。そして彼は「すみません!」と言って豆腐を買い物かごに入れた。

 白い食いものが好きなだけなのかもしれない。

 チゲ鍋は同僚たちの手により滞りなく作成された。俺は買い出し担当だったので免除、木下は勿論免除である。荒野に咲き誇る一輪の花。野犬に紛れ込む愛らしい飼い犬。荒んだ心に吹きこんだ暖かな風。癒しの享受という名の慈しみは人への対応を変える。
「ささ、粗茶でも」
「俺の家の茶葉」
「粗茶でも」
「ありがとうございます!」
会場はなぜか俺の家で、無断で使われた茶葉はスーパーで売っているただの玄米茶だが(しかもちょっと古い)、同僚はご丁寧に急須で入れてくれた。

 そして出来上がったチゲ鍋。
 早速と曇り始める瓶底。
「わ!曇ってきた!」
独り言よりも大きな声を出して彼は眼鏡を外した。

 かあさん、勉三さんの素顔ってこんなんでしたっけね。

 瓶底眼鏡君がいたはずの場所には、そこらのアイドルよりも可愛い顔をした青年がいた。
 瓶底補正(ただしマイナス方向)のすごさを知る。

 瓶底マイナス補正がプラスマイナスゼロになり、俺はそこから木下が天使にしか見えなくなってしまった。そして記憶もない。ただ一つ思い出せるのは、酔いつぶれて寝てしまい、眼が覚めたら天使が朝日に照らされて光っているというよくわからない映像だけだった。

 俺は夢を見ていたのかもしれない。
 瓶底眼鏡とチゲ鍋には記憶を改ざんする能力が備わっているのだ。

 そうして月曜日がやってきた。金曜日にあれほど天使に見えた木下は瓶底眼鏡でしかも寝癖があった。朝礼で賞与を貰った天使(だったはずのもの)は、うへへと笑いながらカタログ通販で新しい昼寝枕を見繕っている。瓶底眼鏡で。

 うへへと笑う瓶底眼鏡はやはり瓶底眼鏡でしかなく、生きる勉三さんそのものだった。

 やっぱり天使なんて存在しないのである。

(了)