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久しぶりに頭にきたこと。

「とにかくコミュニケーション能力が必要。今の若い人はネットばかりでコミュニケーション能力がない」

は絶対ウソだと思う。

きちんと人の話に耳を傾け、多様性と互いの価値観を尊重できる人は圧倒的に若い人の方が多い。

コミュニケーションを目的にしてはいけない。
大切なことは互いの違いを知って、その上で歩み寄ることだ。

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たぶん、一番頭にきたのが「しあわせ」という言葉の扱い方だ。

しあわせは本来とてもパーソナルな領域だ。
だからこそ、他者は「自分たちができることは限定的なものだ」と自覚する必要がある。

例え、それが親子の関係であっても。
上司部下の関係であっても。
知人の関係であっても。

敬意が必要な領域なのだ。

無自覚な態度で「同一性のしあわせ」を語る人がぼくは嫌いだ。
ゴミ箱に捨てろ。

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以下、平田オリザ『わかりあえないことから』より抜粋

企業の英語公用語化が話題になっているため、誤解されている方が多いかもしれませんが、経団連の調査によりますと、企業が新卒採用にあたって最も重視している能力は、9年連続で「コミュニケーション能力」(80%超)がトップです。「語学力」はここ数年、6%程度に過ぎません。

たしかに中高年の多くの管理職の人たちは、「近頃の若者はコミュニケーション能力がない」と嘆いています。
しかし、近頃の若者に「コミュニケーション能力がない」というのは、本当なのでしょうか。

そもそも、現在、企業が要求するコミュニケーション能力とは、「グローバル・コミュニケーション・スキル」=「異文化理解能力」です。つまり、グローバルな経済環境の中においても価値観や文化が異なる人の意見を理解した上で、自らの考えを主張して説得したり、妥協点を見いだしたりすることができることです。

ところが、実は日本の企業は、自分たちも気がつかないうちに、別のコミュニケーション能力を求めています。それは、「上司の意図を察して機敏に行動する」「会議の空気を読んで反対意見はいわない」といった従来型のコミュニケーション能力です。

いま、就活をしている学生たちは、あきらかに二つの矛盾したコミュニケーション能力を同時に要求されています。しかも、何より始末に悪いのは、要求している側が、その矛盾に気がついていない点です。

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無自覚に他者を侮辱するひと。
無自覚に自分の物差しを他者に押し付けるひと。

そういう人にぼくは腹を立てることを知った。

そういう人はぼくに近寄らないでください。
ぼくも近寄りませんので。

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「こうであるべき社会」じゃなくて
「そうでなくても大丈夫な社会」にしたいんだよ。
こっちは。

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