私を作ったこと・1「ジャす」

その呼び方が自分たちにしか通じない、と気づくと驚く。
ジャージをジャスと呼ぶのが仙台だけと知った時の衝撃、が過去最大。

我が家にその手の呼び名が特に多かった。
「しゅりしゅりりんご」=すりりんご
「まちゃちおばちゃん」=まさし君のお母さん
「ロンロンおばちゃん」=犬のロンを飼っているおばさん
など。

食事の前に子ども3人が行うオリジナルのお祈りもあった。
「天にいらっしゃる神さまおいしいご飯をありがとうございますアーメン」
長いいただきますのように、心も込めずに早口で唱えて食べた。
誰もクリスチャンではなく、小屋のようなおんぼろな家の中で。

なんだか気恥ずかしい、と思い始めたのが中学1年生あたり。
人前で言って、笑われたんだったかな?


ある意味、子ども部屋は母の王国だ。絶対権力だ。
私たちの言葉の大部分を、母にもらった。
育って、きゅうくつになると、脱ぐ。
我が家王国独自の言葉もお祈りも、1つずつ一人ずつ、脱いでいった。
元幼稚園教師の母は、王国の子供らしさを1日も長く保ちたかったのかな。
お祈りがなくなった日、どんな気持ちがしたのかな。

「ジャス」を脱いだのは、大学生あたり。
各地を転々とする際に使うことはまったくなく
開き直って定禅寺通りで「ジャ『す』フェス」を始めたのは、
30才半ばころのお話。

今、正真正銘の小屋に住んで60代のパートナーと暮らしつつ
彼とビンゴ(犬)との共通語は赤ちゃん言葉である。
「しゅりしゅりりんご」、堂々の復活。

歴史と同じく、ことばは繰り返す。

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