Maison book girl最終公演『Solitude HOTEL』

 2021年5月30日、Maison book girlのワンマンライブ『Solitude HOTEL』が舞浜アンフィシアターで行われた。この日までの僕は楽観的だった。このライブが発表された時も、「流石にふた月連続はきついな〜」なんて考えていたし、HPが崩れ出した時も、(またなんかやってんな)ぐらいの気持ちだった。流石にメンバーの誕生日が5.30†になった時は怖くなったが、メンバーのツイッターの何ら変わりのない様子に安心し切っていた。盛大に文字化けを起こし始めた時は手を叩いて笑っていた。ついにはこの日のライブ情報以外何も見れなくなって、やりすぎだよ!と思っていた。不安よりも、事前にここまでするならライブも面白いものになるに違いないと興味を惹かれているつもりでいた。かくして優柔不断な僕は、前日になって夜行バスを取り、バスの中で当日券のチケットを購入した。本当に行けて良かったと思う。

 会場に着くと物販のアナウンスが聞こえてきた。特に何も買うつもりもなかったが、それももったいない気がして列に並んだ。過去のグッズがセールに出されていた。(なんで?)とも思ったが、すぐに思考は懐かしさや、欲しかったものが手に入るワクワク感に支配された。結局今日の思い出になりそうな、ランチェキだけを購入した。会場に入り、席に着いた。下手寄りで、ステージから距離はあるが、広く全体を見渡せる良い席だと思った。

 開演の時刻になり暗転すると、唐突にlast sceneのインストが流れ、ペストマスクの人がHPのURLが記された青い紙を拾い上げた。真っ青な背景に、今日のライブ情報以外全てが削除されたHPのURLだ。そして頭の中では「僕らの夢はいつも叶わない」という歌詞が流れていた。ぼんやりとした不安感を覚えつつ、これから起こることを見逃すまいと考えていた。

 次に4Fのオープニングが流れ、曲目も4F当時と同じように進んでいった。4Fはシングルの『cotoeri』のリリースに合わせて行われたライブで、時間がループし飛び回り、最後には活動初期の時間まで巻き戻るという演出が行われたライブだった。この頃からブクガは凝ったライブ演出を見せるようになり、転換点的なライブだったように思う。4Fは僕が初めて観たブクガのワンマンライブで、個人的にも思い出深い。
 その中でも、メンバーのパフォーマンスは当時よりはるかに洗練され、roomsやlost ageは最新版のアレンジで披露されていた。同じようで違うものを見ているのだと思った。同時に、MCを挟むところや、その時のテンション感まで当時のような匂いがしてとても不思議な感覚だった。
 実はこの時に音響面で違和感を感じていて、ベースが遅れて聴こえたり、エレキギターの音が過度に潰れているような感じがしていた。事故の可能性もあったが、僕は演出だと思ってこの不穏さを楽しんでいた。ブクガの何を仕掛けてくるか読めない感じがそう思わせてくれたのだと思う。

 4F再現部はMC明けのkarma/riverから変容していった。元々4Fではcloudy ironyが披露されていたタイミングで、MCでの曲振りでも間違いなくcloudy ironyと言っていた。展開についていけず思わず笑ってしまった。曲はkarmaからriverに変わり、ブロックノイズでメンバーがかき消されていく間に、中央の昇降台から初期衣装をまとった4人の少女が横たわって現れた。映像との入れ替わりに全く気づいていなかった僕はしばらく唖然として、状況を把握するのに必死だった。ブロックノイズが写された紗幕が上がっていくのを見て、やっとkarmaを演じていたのが映像のそれであったと気付いた。SEが鳴り響いて、「Solitude HOTEL」のタイトルロゴが表示された。ここから始まるのだと思った。

 場面が転換して最初に披露されたのは海辺にて。とても美しかった。個人的には今回のライブで一番感動した曲かもしれない。僕は『海と宇宙の子供たち』というアルバムがあまり好きではなかった。どうしてもブクガにはトリッキーで複雑なものを求めているところがあって、あえてポピュラーなものに歩み寄ろうとする姿勢に賛同できていなかった。海辺にての印象も、そこまで特別なものは持っていなかった。その曲が、この日見たものはとても美しく感じた。矢川と和田の柔らかい歌声、井上とコショージのまっすぐ伸びて弧を描く手足に、すっと心奪われた。
 townscapeではcotoeri衣装を着た4人のダンサーが加わり、8人でパフォーマンスがなされた。影のようにメンバーの動きを追いかけていたダンサーが、最後には自分が主役であるかのように、正面を向いて情緒たっぷりに振る舞っている姿が印象的だった。
 さらに4Fを象徴する曲である言選りが続いた。ダンサーたちは中央に座り込み、踊るメンバーを眺めていた。4Fが過去との対話であり、現在から過去を見つめるものであったなら、今度は過去の側から現在を見つめ返されているのかしら。
 ポエトリーリーディングの眠れる森では、円形の床が回転し、その上を歩くメンバーの姿が幻想的だった。歩いているのに進まない様子が夢の中にいるようだった。「物語は巻き戻った」の掛け声で、再び場面が転換したように感じた。

 巻き戻って辿り着いた先に思考を巡らせながら次のシーンを見ていたが、結局よく分からなかった。長い夜が明けて、狭い物語では、いつもは真っ赤な照明が官能的な曲たちだったが、今回のVJは白黒になっていた。物足りなさ、喪失感のようなものを感じた。
 夢はインストがクラップ音だけのアカペラバージョンで披露された。歌声だけが反響する空間は不思議な浮遊感があった。映像もやはり白黒になっていて、記憶が薄れていっているのかな、と考えた。
 続くblue lightのバイオリンの音が、いつになくスッと心に染み込んできた。シンプルな照明の中で、メンバーの踊りの美しさが際立っていた。
 snow ironyをこの時はみじろぎせずに見つめていた。メンバーは回転床に運ばれるまま四方の観客を煽っているようだったが、踊りはどちらかというと振り付けに忠実で、今まで見てきたような、メンバーと観客とが一緒になって盛り上がる感じではなかったように感じた。どう振舞えばいいか分からずにそれを眺めていた。客席を照らす水玉の照明があまりにも綺麗で、開放的で、余計に変な感情になった。
 Fiction。最後のサビを歌う矢川は、堪えているようではあったが今日も泣いていた。つられて泣いてしまった。泣かないでほしいと思った。
 このパートの終わりにポエトリーリーディングのnon fictionが披露された。メンバー一人一人が、ペストマスクの人に向かって、各々の感情を込めて詩を読んでいた。矢川は泣きながら。和田は叫びながら。井上は淡々と。コショージは、たまにこちらを見て、僕たちに語りかけるようだった。みんなの感情が伝播したように僕は泣いていた。これまでのポエトリーの舞台だった場所が読み上げられた時に、自分の思い出も蘇るような気がして、また泣いた。

 その後、金属を打つような音がしばらく響き渡った。怖かった。十分な緊張感が会場に満ちた時に、パン!と銀テープが弾けた。訳が分からなかった。

 蝉の声と綺麗なピアノのSEが流れながらメンバーが入場した。衣装が変わっている気がしたが、ロゴが無くなっていた事には気付かなかった。聴き慣れた7拍子のクラップ音が始まった。全く手を叩く気になれなかった。bath roomの伴奏で始まった曲は、しかし歌が入ると全く違った曲だった。コショージが作詞をしていたと言っていたのはこれだと思い、一生懸命に歌詞を聞き取ろうとした。ほとんど忘れてしまったけど、「君とまた出会えたね」みたいに変に明るいことを言っていたのを覚えていた。

 last sceneが流れて最後の曲だと思った。ほとんど視認できない暗い照明の中で、「僕らの夢はいつも叶わない」と言う歌詞が虚しかった。感傷に浸りかけた瞬間に、曲はぷつりと止まった。呆然とした。終わった実感がなかった。終演を告げるアナウンスが流れていた。いつも何かしらの告知を告げてくれたスクリーンには、何も映っていなかった。

 前の席の人が、知り合い同士で「見ろよこれ」と言ってスマホの画面を開いていた。それに倣って僕もスマホの電源を入れ、Twitterを開いた。またもMaison book girlがHPのURLを貼っていた。それを開いた。Maison book girlが削除されていた。

 あまりにもあっけなく分かりづらい幕切れに、その意味を疑う事だって出来たのかもしれないが、僕にはこれ以上楽観のしようがなかった。僕が見て見ぬふりをしてきた数々は、Maison book girlが終わりに向かう準備だったのだと、直ぐに理解した。考えないようにしていた結末だった。この日はMaison book girlの最後だった。突き放すようなライブのエンディングにどこかぼんやりしていた僕の胸に、熱いものが込み上げて止まらなかった。規制退場のアナウンスがあるまで、その場にうずくまって泣いていた。

 

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