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「ド」が付く程の田舎でクリエイティブの仕事に憧れた「変わり者」の話

#自己紹介 #EXJOY #挑戦している君へ



田舎と聞いて何を思い浮かべますか?
 「人が少なくて自然が豊か」思う人は多いでしょう。確かにその通りです。自然に溢れていて、「過ごす、育つ環境」としては最適だと思います。私も実際そのような環境で育ちました。

 しかし「クリエイティブ職」を目指す人々にとってはかなり不利な環境と言えます。クリエイティブを学ぶ環境(美術系の学校や塾)や道具を売る場所(画材店)、情報を得る場所が少なかったからです。少子高齢化が進み、情報、デジタル系の定着も遅れています。最近になってやっと通販を使い始める人が出始めたぐらいです。


 そんな場所で育った「変わり者」と呼ばれる男がクリエイティブに憧れ、今までどうゆう風に過ごしてきたかを記します。

幼少期「モノづくりの始まり」
 
千葉県の南部、海と自然に囲まれた場所で生まれ、育ちました。幼い頃は絵本や動物、植物、魚、恐竜などの図鑑を読み漁り、生き物の絵をよく描いていました。幼稚園児の頃、引っ越しで離れ離れになった友人と絵手紙を送り合っていたのを覚えています。
 

小学時代「エンターテイメントの出会い」
 授業は普通教科は大嫌いで落書きばかりしていたのに対し、美術、技術家庭科は誰よりも熱中していました。熱中しすぎて放課後は自分から居残り宣言をし、教師に監視されながらものをつくる日もありました。美術、書道で賞や入選などを獲得していました。
 部活はサッカー部に所属するも、スポーツは得意ではありませんでしたが、必死になってチームに加わっていました。
 
 学校から祖父母の家に帰宅し帰宅牧場で餌やりをしたり、畑仕事を手伝ったり、稲刈りした田んぼで野球をしたりする毎日でした。この事を話すとよく「昭和っぽい」と言われます。


 小学生になり、すぐにゲームや漫画などのエンターテイメントなどにハマりました。きっかけは両親のクリスマスプレゼントの携帯ゲーム機とゲームソフト。それ以降、好きになったキャラクターのイラストなどを描いていました。この頃から、「人の心を動かす仕事」に憧れを抱き始めていました。

同級生は21名と少なかったですが、その分、繋がりが強く、今でも毎年一緒に食事やバーベキューを行ったりなどを行う程仲が良いです。

↑小学校の下校道

中学時代「大きな分岐点」
 中学に入り、ダイエットを決意した私はバレーボール部に入部しました。未経験ながらも1学年からスタンディングメンバーに入れられ、キャプテンやエースに教わりつつ必死に食らいついて行きました。部活をやってエンタメをする毎日、そんな中でもモノづくりを行っていました。バレーボール部のチームでも私が中心になって作品を制作し入選を得ることが出来ました。
 大きな分岐に立たされたのは3学年の総合体育大会を終え、部活を引退し、高校選択シーズンに入った頃。部活の顧問から会議室に呼ばれ、「バレーボールで高校から推薦をされた」と告げられました。「スポーツの人生」か「自分で作る人生」どちらか選ぶように言われ、人生で1番悩んだ時期だと思います。私が選んだ道は、後者の道でした。やはり、モノづくりの道を切ることはできませんでした。
 私は高校から少しでも美術に関わる事を学びたいと考え、学区外の入学を許可している工業高校、インテリア科でデザインを中心に様々な専門知識学ぶことを決めました。

高校時代「ストイック生活」
学区内には美術を学べる学校が殆ど無かった為、片道2時間半掛かる工業高校へ無遅刻で通い続けました。普通の高校に比べ、課題がかなり多く、製図や色彩計画、レタリングなどの課題が山程出ていた記憶があります。
 朝6時に家を出て、夕方の6時に帰宅をして課題をして寝る毎日を過ごしていました。睡眠時間は7時間絶対取るようにしていたので、小学、中学時代に比べ自由な時間はかなり少なかった記憶があります。
 時間をきっちり守る。計画的に動く。有言実行など徹底していることから周りからは「ストイック」、「行動力お化け」などと言われてました。

↑高校生活で制作した課題を展示する「卒展」
生徒の中でも出品数上位、個人でも、チームでも活躍できるようになる事を意識していました。

大学生活「より広く学ぶ為に」
 元々私は高校卒業後、就職する予定でした。しかし、私はまだ学び足りず、物足りなさを感じ、両親に無理を言って進学する事を決めました。1つ歳上の姉も大学生で、普通の家庭が子供2人を大学に通わせる事は結構な負担であると自覚しつつ、学業に励みました。
 より広く、より多くの分野を自ら進んで学び、知識面、技術面、精神面全てを磨いています。誰もがやらない、気づかない事にも食らいつき、教授や講師の方々からは「チャレンジャー」、「研究熱心」と呼ばれるようになりました。コースの垣根を越え、様々な環境で自分のできる事を見つけ、活躍していくうちにアーティストや講師の方々から高い評価を得ることができました。
 現在も変わらずモノづくりを続けています。続けるうちに外観だけでなく、ストーリーやコンセプトなどの中身もかなりこだわりを持ち、周りにどう伝えるかなどを楽しみながら考えています。
2020年度は特待生にも選ばれました。

なぜ「クリエイティブ、モノづくり」にこだわるのか
 
地方の人の中には私以外にもモノづくりを仕事にする事を夢見る人はもちろんいます。それ以外にもスポーツ選手やダンサーなどを夢見る人もいました。しかし、殆どの人は中学、高校時代にその夢を「叶わないもの」と決めつけるのです。学べる環境が無いから、道具が揃わないから、情報得る場所が無かったから、それを諦める事が「当たり前」になっているのが現状です。私はそれが嫌いでした。世の中を「出来レース」だと捉えて、生きるための金を得るため、好きでも無い仕事に就き、帰ってから愚痴を吐く人生。「それが普通なのか」と私はいつも思っています。
「何故、自分にまで嘘をついて苦しい選択をしなければならないのか。」幼い頃からこう言う事を言っているうちに「変わり者」と呼ばれるようになりました。私はそれでいいと思います。「妥協、挫折、諦める事が普通の人生」なら、そう言う事を一切しない「変わり者の人生」方が好きな事ができて絶対に楽しいし、気楽に生きれます。
 その好きな事が私は「クリエイティブ」だったというだけのことです。「アイデアを考える、形にする、感動を与える」全てができるクリエイティブを幼い頃から愛し、自分に対して馬鹿正直な人生を選んで生きてきました。


URL(https://drive.google.com/file/d/1r9eLqWRyVQ1J5itEaHogH66uJB2m5X8S/view?usp=drivesdk)

(学生生活版ポートフォリオです。google drive を使用します)

今後について
 学生生活を振り返り、1年でも知識面、技術面、精神面、全てかなり成長していると実感しています。成長できているのも「好きな事ができている」からだと考えています。
 そして、これを続けていれば、更に成長できると言う事も確信しています。
 今後も貪欲に研究、挑戦を続け、自分だけのアイデアやストーリー、描き方を生み出し、アウトプットができる人生を送りたいと考えています。

プロフィール&写真
浅野清志郎
趣味:モノづくり、ストーリー、アイデア考案、旅、写真撮影、美術館巡り

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