超優良企業で講演会。その社員の意識の高さに驚愕。相談役と一緒に。

1 相談役からの呼び出し

斜め後ろに座っているサトミさんより、「稲盛さん、小島相談役です」と美しい声で伝えられる。サトミさんは、所作が美しく、話も上手で誰からも高い評価を受けている秘書である。世間でイメージする秘書像通りの秘書だ。

「小島相談役」のボタンを押して電話にでる。「ちょっと、わしのところへ来てくれるかね」と呼び出しだ。数週間前にエアコン会社の講演を引き受けたと聞いていたが、その件だろう。

部屋に行ってみると、すでに相談役がスタンバイしている。「そこに座ってくれ」と、目の前に座り、講演内容の構想が書かれているA4のメモを渡される。字がきれいなので、とても読みやすい。「失礼します」とそのメモを受け取り、目を通す。それから相談役が大まかな流れを話し出す。

相談役の話が一通り終り、ぼくの顔を見ている。「お前、まさか手ぶらじゃないよな」という顔をしている。先日、「キンダイ工業向けの講演がある」と相談役に立ち話をされた。直接的な指示は無いが、それはいつでも準備をしておけと言う意味である。この暗黙の指示を理解しないと「こいつはバツだ」と言われ兼ねない。偉くなれば時間が無い。そのへんの評価は厳しい。

「これ、たたき台です」とパワポを渡すと、少し眺めてから「これは少し難しい」と突き返された。いつものことではあるが、今回は力作だったため、お気に召さいないのは残念だ。

元社長の相談役は70歳になる。その年齢を考えると、新しい内容を組み込んだ事が間違いだったと後悔する。あーやこーや30分ほど言われ、デスクに戻り、あれこれ思案してみる。ゴーストライターとしての作業が始まる。

2 社長、会長、相談役について

社長、会長、相談役と社長経験者はジェネレーションによって特徴が異なり、秘書の使い方が違う。相談役の世代(70歳前後)は秘書を手下のように使うことが多い、いわゆる「アンパン買って来い」のような仕事や個人的なことを手伝わせる。PCにも弱く、すぐに使用方法で呼び出しがかかる。また、どこに行くにも同行を好む。

一方、社長(60前後)は、自分の事は自分でやる。PCもiPadも使いこなしガジェットに強い。「あとは自分でやっておくからいいよ」というフレーズをよく聞く。会長(65前後)はその中間と言うところだ。当然、企業によってカラーは異なるだろうが、他社に話を聞いてもそんな感じだ。

大企業には社長がいて、それ以外に会長、相談役、さらには顧問という役職がある。どんな理由から社長経験者を優遇するような役職が、いくつも存在し始めたのかは不思議である。

大企業の社長の任期は約5年だ。そしてその後、会長になる。これも5年。そしてそれが終ると相談役になる。これも5年。さらに、その先も顧問(名誉顧問、最高顧問、終身顧問など色んな名称がある)があって、これも5年。そして80歳になった頃に会社の役職を離れ、最後はご逝去の際に帝国ホテルなど有名ホテルで会社主催のお別れの会。そんな感じである。

社長の役割は誰もが知っているが、社長以外は少し分かりづらい。まず会長である。会長は社長の上のポジションで実質NO.1である。相談役、顧問は社長OBとして君臨し、経営には直接関与しない。とは言え、部活のOBのようで、存在感はまだまだある。

外国企業と比較して日本の社長の報酬は少ないと言われる。確かに、一年間の金額だけ見ると大きな開きがある。ただ、社長から顧問になるまで、ずっと安定的に報酬をもらえ、かつ会社の経費はバンバン使え、専用車・社宅有り、秘書も付く。さらには1年で首を切られるプレッシャーもない。そう考えると、外国企業より待遇は良いと思う。

日本の社長報酬は低いと言うが全体像を掴んだうえで議論する必要がある。もし日本企業が外国並みの報酬するならば、経営手腕を客観的に評価して、それを反映させる土台を作りが求められる。

3 相談役との講演資料準備

相談役との仕事は一番時間がかかる。理系出身のためか、ほとんどアドリブが効かず、完璧な原稿を作成しなければならない。「てにをは」にこだわり、句読点まで修正され、コンテンツ作り以外でも骨を折る。

また、やりとりも難しい。たとえば「TOYOTAの危機感について話したい。3つあってな。①新興国市場進出の遅れ、②パラダイムシフト、③技術継承の不備、だ。ほな、やっといて。」。という感じの指示だ。

この短いキーワードを自分なりに噛み砕いて、原稿を作る。パワポだけなら単語の羅列だけで済むが、原稿作りは想像力と時間がかかる。

苦戦しながら時間をかけ、なんとか60分の原稿を作成した。そして、エアコンの最大手企業の本社にお邪魔することになった。

4 業績好調な企業の講演会の雰囲気

名古屋駅に高層タワーがある。その地下に社用車のプレジデントで入っていくと「どうもお世話になります~」と、車寄せで日本語の上手な中国人の超氏が待ち構えている。

「それではこちらのエレベーターで18Fに」と言われるままに講演会場に向かう。講演会場に入ってみると、ずらっと満員御礼状態に社員が座っている。100人近くいるだろう。部課長クラスだ。これだけの人数がいると、特に何もしないのに緊張してしまう。

相談役は前方の演台に向う。司会が相談役の略歴と講演内容概略を説明し、「それではお願いします」と言うと大きな拍手が起きる。

相談役とぼくは壇者席に位置する。その場所で100人ほどの聴衆を眺めていると、驚く事に寝ている人が一人もいない。この仕事をしてから講演会をする側の目線で聴衆を見る事が多いが、これは初めてだ。さらにはメモを取る人も多い。聴衆者の問題意識の高さが出ている。これには大変感心した。

日本を代表する製造業。売上高2兆円、営業利益2千億円の優良企業である。エアコンと言うニッチ分野で、技術力を活かした製品の強さが、この成長を支えている。企業情報では製品・研究開発・工場などのハード部分は見て取れるが、ソフト部分である社員のレベルを知ることは無い。ここにいる人たちの意識の高さを見ると、その成長は「人」に大きく基因するように感じる。

ビジョナリーカンパニーに「切っても切っても金太郎飴のように優秀な社員が出てくるのがエクセレントカンパニーの要素」と言っていた。そのことを思い出す。この企業には中興の祖がいる。彼が長年かけて作り上げた企業風土なのだろう

当たり前だが企業は人で成り立つ。そのため事業の成功は、「人」次第だ。優秀な人材がいれば、それだけ事業の成功確率は上がるのは言うまでもない。結局、企業の強さは、その確率を高めるための基礎となる人材がどれだけいるかだ。その点で、キンダイ工業は事業の成功確率が高い、力強い企業なのだと思う。

相談役の講演が最期のスライドに差し掛かる。「最後に私が好きな言葉で終わります。『悲観は気分のもの。楽観は意思の力である。』ありがとうございます!」。割れんばかりの拍手が起こり、相談役は軽くお辞儀をしながら退席する。焦っているためか、机にノート・ペンなどすべてを忘れており、私はそれを拾ってから退出する。

5 講演終了後の相談役のやりとり。

誘導されながら、役員フロアの応接室に通される。おもむろに座ってみると、椅子はひっくり返りそうになるほどフカフカだ。講演を最前列で聞いていた副社長が「あんなすばらしい講演は聞いたことがない。アイデアが頭の中でバンバン出てきました。特にプレゼンの構成が素晴らしい。抽象化と具体化が効果的に使われていて、分かり易い。そしてまさに現在、弊社が取り組もうとしていることにピッタリだ。(横を向いて)おい。今回の講演を聞いて、何を行動するか全員にレポートを書かせろ。」なんて大阪弁で捲し立てる様にコメントをしていた。

相談役も「今回の話しは、私の問題意識なんですわ~」なんて言う。「あのシュンペーターのイノベーションの定義、ドラッガーの言葉、良かったですわ~」と副社長が意見を言うと、ホクホク顔で「あれも私の問題意識ですわ~」なんて言っている。

ぼくが作ったのに」と思いながら、「何を言うか」ではなく「誰が言うか」によって影響力が大きく異なる事を再認識した。今回の講演の内容は90%以上をぼくが作った。褒められて悪い感じはしないが、「誰が」という事が大事で、「何を」は多くの人は気にしない。改めて世の中はそんなもんだろう思う。

世に出ている情報は私の様なゴーストライターが作っており、事実関係を入念に確認もせず、大した大義名分も無く作る。それを偉い人が話す事で、多くの人が盲目的に信じ込んでしまう。我々は時として、そんな仕組で成り立っているのを意識しながら、情報に触れる必要があるのだろう。

6 会食会場は老舗てんぷら屋

その後、老舗テンプラ屋に場所を移した。そこでも講演の内容についてあれこれ感想・質疑応答を受けた。よくもまぁ、これほどの感想が出てくるものだと感心する。まさに、「問題意識と、観察力・質問力は比例する」ということなのだろう。企業の強さは結局一人一人の問題意識のあり方・高さに基因する。自分自身も問題意識を高く持ち続けたいものである。

「ホテル予約していませんので新幹線の終電で東京に帰ります。ご配慮を。」と相談役に講演前に事前根回し、「それでは、早く切り上げて帰ろう」と約束をしていた。ただ、全く気を使ってくれることも無く、23:00に会食が終了。終電は無い。

「わしゃ、副社長と二次会に行くわ」とプレジデントに乗り込み去って行った。置き去られるのも秘書の仕事ということか。


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