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仕事ができる人=機械に近くなること

20歳ぐらいの頃、好きでもない仕事をしていました。上京資金がなかったので、その資金を貯めるために働いていたのですが、あの時期がなかったら、どれほど素晴らしい人生なのかと思いつめたことがあります。大学行けてるやつヤツ、実家住まいのヤツ、本当にいいなぁと思います(笑)。しかし、そうじゃないヤツだからこそ話せる話があります。僕よりも超大人の人は、大した話にならないかもしれませんが、よかったら聞いてください。

肉体労働向きじゃないやつが、お金のために肉体労働を選んだ。

あの時は朝から晩まで肉体労働で働いて、休むことだけを生きがいに、辞めることだけを生きがいに生きていました。毎日、部品を組み立てて、肉体を捧げて働いていました。もちろん、それが好きな人からすればいい仕事なんでしょうが、僕はその仕事が苦手でした。そもそも興味がないので、どれだけ面白く見ようと思っても、何にも面白くはありません。しかし、その頃から働くことで見えてくるものは多くありました。そこで一つ気づいたのは、

仕事ができる人=機械に近くなるということ

ということです。その仕事では、一つでもミスをすれば、立ち直れなくなるほど責められます。その日だけで終わればいいのですが、次の日の朝になっても責められてしまい、そのミスをしないようにしようと周りの人に呼びかけます。ミスというのは、基本的にしてはいけません。ミスをして怒られるのは仕方ないです。しかし、僕が一つ引っかかったのは、ミスをしていない人がいかにも偉そうにしていること。

ミスをしていない人が、居心地が良さそう。

おそらく、ミスをした気持ちも分かるはずなのに、ミスした人を見つけると、激しく責め立てては、他の人にこの人がいかにダメなのかをプレゼンしている。その世界では、そうしている人が素晴らしいとなっています。

確かに、仕事ができる人が重宝されるのは分かりますが、実際にその人たちばかりではしんどいと思います。後輩に優しい人や、盛り上げてくれる人や、責任感の強い人など、さまざまな人がいて良いと思うんです。たかが仕事ができる人が何事も優れているかのようにする雰囲気も、ちょっと面倒くさいです。だって、仕事が上手くない人にも、仕事ができる人を上回る長所がありますから。

機械になることを決めたら、ミスが格段に減った

しかし僕は、その職場を楽しくしようとか、そんなことは一切考えてなかったので、とりあえず仕事をできるようになろうと必死でした。何度やっても、なかなか上達しませんでしたが、機械になることに徹した瞬間、生産性が一気に加速していったのを覚えています。

機械になるとは、仕事している中で起こりうる「疲れた」「面倒くさい」「イライラする」「怖い」「この手順変えたいな」とか、そんなことを一切考えないようにすることです。感情を殺して、上司にプログラムされたとおりに動くということです。

すると、ミスは格段に減りました。何カ月もミスがない状態になっていきました。ただ、表情はなくなり、楽しいことが分からなくなっていきました(笑)。しかし、機械になるという考え方は、転職しても役に立つことがあります。

感情を殺して仕事をすることで、誰かに嫌われることも少なくなりますし、仕事ができるだけで相手の接し方が変わります。しかし、人間としての思い出が全くできません(笑)。休日も仕事のために8時間睡眠ですし、痛みを増やさないように、外に出て何かをすることもありませんでした。

機械と人間のバランスを極めて、仕事をするべきだと反省しています。その切り替えがまだうまくできていませんが(笑)。

働いている皆様、本当にお疲れ様です。

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