ミーナのメイクについて。

先日、イタリアの某ファッション雑誌で、Minaというイタリアの超レジェンドな歌手を特集されていたのを知ったので。彼女のメイクについての小さな記事です。写真は拾いもの。(*)内は訳注です。

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 「わたしの師匠ステファノ・アンセルモは、70年代からずっとミーナのメイクアップ担当でした。40年間ずっと一緒に仕事をして、ミーナのアルバムジャケットを際立たせてきたあのクレイジーなビジュアルを形作ってきたの。ミーナのカメラマンであるマウロ・バレッティとは、彼女についてさまざまな本もつくりあげて、メイクの構築そして徹底的に壊した脱構築と、まさにクリエイティブなレヴェルに到達してました」

 フルヴィア・ファロルフィ──最もセレブな世界的メイクアップ・アーティストのひとりである彼女は、師匠とミーナの仕事をこう振り返る。「彼女は時代よりすごく先駆けていて、そのことをまったく恐れないんです。ほかのひとたちが決してやろうとしないルックスを受け入れることができる。彼女のその大胆さ、エクスペリメンタルなことを受け入れる力こそ、まさに彼女をアイコンたらしめたのよ」

──そのメイクの特徴は?

目力をより出すために眉毛を剃る、でもソフィア・ローレンがしていたように描き足しはしないで、毛がないままにしておくこと。もちろんそれに、とても大きな目元。こめかみに向かって、頬骨のほうまで下がるラインのね。これぞミーナというトレードマークね。

──黒く目尻の下がった数え切れないバリエーションの目元は、演劇性や、ときにマルケーザ・カサーティや無声映画時代の女優フランチェスカ・ベルティーニといった女性ならではの物憂げな感じを彷彿とさせるけれど、それについてはどう思いますか?

大胆な女性はみんな、隅々まで普及したメイクがどれほど、瞳を大きくし、根本的に表情を豊かにしたのか理解してたの。ミーナのはあきらかに、ピーター・リンドバーグの写真にあるようなさりげない黒シャドウとは違う。完璧で、なんといっても立体的で、いくつもの光と陰影のポイントがあって、ものすごくリッチ。瞳を2割は大きくできてたわね。

──当時、どのようなテクニックを使っていましたか?

残念ながらその多くが、今は失われてしまいました。いちばんシンプルなところでいうと、ペンシルを尖らせることとか。かつては木軸ペンシルしかなかったからナイフで削って、先端を極細にしたり矩形にしたりもできたんです。それで、今となっては真似のできない絶対的に正確なラインが描けてました。

──ミーナのフィジカルな存在をどう説明しますか?

彼女はゆとりのある家の出身で、それがある意味では、彼女のエレガントなさま、身のこなし、手のしぐさとなって人々に伝わっていたかもしれませんね。すべては規格外の美しさから来るものではあったけれど。エキセントリックながらも、それはもうエレガントで。メイクにおいては、ありふれたものでは決してなかったものの、かといってやり過ぎにはしなかった。過剰なディティールを探し出そうとしても無理。天性のエレガントなんですね。

──ナタリア・アスページ(*伊の作家・ジャーナリスト)がミーナの肌のことを、当時はやりだして街にあふれていた日焼け肌にくらべて、月が輝いてるようだと、かつて記事のなかで褒め称えていました。

それはもういつだって極上の肌でした。類まれな白さとルミネッセンスがあって、それが研ぎ澄まされた魅力を生み出すひとつにもなってましたよね。メイクの面では、すっぴんのまま舞台に上がったことは決してなかったと思いますが、その一方で、マットなシャドゥといったニュアンスはすべてあの素肌でなければ出せなかったでしょうね。

──どうして、その美しさは今も通じるのでしょう?

たとえば、リチャード・アヴェドンや(*米のファッション・フォトグラファー)やマレッラ・アニェッリ(*フィアット創業者孫と結婚し多大な影響力をもった文化人)の写真をみるようなものかしら。クラシックですよね。そして一点のミスもない。こうした意味でも、ユニークで完璧な美と言えるのではないかしら。

──いま現在の女性のなかで、似ているのは誰でしょう?たとえば演じるなら?

カリスマ的なディルダ・スウィントンとか。顔つきでいえばメリル・ストリープね。ステラ・テナント(*英のスーパーモデル)もいいかも。でも、ミーナはすべてに勝る存在感があるのよ。彼女が登場したら、もうメイクやヘアスタイル、衣装がどうこうじゃなくて、彼女の存在すべてにくぎづけになってしまう。だれかが彼女になるなんて不可能ね。
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記事にあるMinaのメイクアップ担当のアンセルモさんによる「こうすればあなたもミーナになれるメイク術」動画を発見しました。ぜひチャレンジしたい方はどぞ