第5回 薬で性格を変える

 世間はどうも発達障害だらけらしい。ここ数年、出会う人、出会う人の半分ぐらいが「病院で発達障害の診断を受けた」とか、「たぶん私は発達障害だと思う」と言っているように感じる。発達障害の定義は細かく分類されすぎていて、とても私には説明することができないけれど、ものすごく雑な言い方をすれば、集団に馴染めないタイプの人につけた病名のように思う。もちろん中には、会ってすぐわかるほど障害が重い人もいるけれど、それはごくわずかだ。たいていの人は表からはわからない。けれど彼らには彼らにしかわからない苦しみがあるようで、むしろ病名をつけられたことで「原因がわかってホッとした」と感じている人も多いようだ。診断の結果、薬を飲み始める人もいれば、治療をしないでうまく適応する方法を考える人もいて、それは医者の方針によって違うらしい。
 さて私はというと、これが意外と発達障害ではない、と思う。協調性はないけれど、強いこだわりとかはないし、忘れっぽくもないし、一つのことに集中して他が見えなくなることもないし、暗黙の了解がわからないということもない。なので彼らのことをわかった気になってはいけないのだ、と思いつつ、それでも発達障害というものに私は懐疑的なところがある。これだけ多くの人が発達障害ならそれはもうマジョリティなのではないか、とも思うし、「正常」と言われている人たちに合わせなければいけない世の中のほうが病的に感じるし、うまく適応する努力をしたとしても解決にはならないように思うからだ。先日、あらためてそんなことを考えさせられる場面があった。

 ムム子さん(仮名)と二人で会うのは数年ぶりだった。昔、何度か撮影したことがあり、もう15年程の付き合いがある女性だ。前は介護の仕事をしていたと思うが、今は派遣社員で接客業をしているらしい。
 ムム子さんは美人で交友関係が広く、なにより有名人ばかりと付き合っているのが印象的だった。お笑い芸人、ミュージシャン、作家、俳優⋯⋯。みな「何者でもない」ときに知り合い、ムム子さんと付き合うとたちまち出世していく。しかしムム子さんの愛情は、その頃にはゼロになってしまうという。

「売れっ子になっても変わらずにいてほしいのに、みんな変わってしまう。大事な部分をなくしてしまったら、もうどうでもよくなっちゃうんだよね」

 と、ムム子さは言った。
 私はその一連の流れを間近で見ていて驚愕し、「ムム子さんのあげまん伝説」と呼んでいた。

 さて、そんなムム子さんから、「実はね……」と切り出された。あげまんとは全く関係ない話だ。

「テレビで発達障害の特集を見たときに、自分のことを言われてるように感じたのね。昔から、集団行動がまったくできなかったし、衝動的な行動が多かったから。それでね、病院で検査をしたらやっぱり発達障害で、精神障害者手帳3級をもらったの。ついに障害者かぁって」

 確かにムム子さんは何事も突っ走るタイプで、日常生活ではやたらと事故にあったり、トラブルに巻き込まれたりしている。けれど、コミュニケーション能力は高く生活力もあるので、発達障害というのは意外だった。ここ5年ほど、一日一錠、12時間効く薬を、毎日飲んでいるという。
 ムム子さんは、一呼吸置くと深刻そうな顔でこう言った。

「それでね、薬を飲んだらね、本当に性格が変わっちゃったの」

 しかし、目の前にいるムム子さんは、昔のイメージと何も変わらない。性格が変わるとはどういうことなのか。

「私、昔のこと謝らなくちゃいけないと思って。よく時間を守れなくて遅刻してたでしょ。直前で行きたくなくなって、キャンセルとかしてたし。約束を守れなくて、酷い自分勝手だったなって。そういうのがね、薬を飲んだら無くなったんだよね」

 私がムム子さんと頻繁に会っていたのは、もう10年以上前だ。遅刻された記憶も、自分勝手な印象もなかったけれど、ムム子さんが言うならそうだったのかもしれない。私は、もう忘れてしまった。

「薬を飲むようになってから、相手がどう思うかを考えられるようになった。自分の気持ちより、相手の気持ちを優先することが多くなった。それまでは、相手が誰であろうと思ったことは口に出したし、態度に出た。相手が傷つくとわかっていても、とんでもなく失礼なことだとわかっていても、お構いなしに言ってたの。歩いてて人にぶつかったりするとすぐカッとなってたのに、薬飲んでると『私、邪魔だったかな』とか思うんだよ。痴漢やナンパも徹底的にぶちのめしてたのに、必要最低限の拒否に変わった。人の目も、常識も、関係ないって思ってたのに、すっかり常識人になっちゃった。周りからも、凄い丸くなったって言われる。性格が全然違うの。でもこれって怖いよね。私、病気だったの?」

 薬を飲んで変わったということは、病気とイコールとも取れる。でも、それはムム子さんの性格で、良さでもあるはずだ。

「私、首の後ろにタトゥーが入ってるんだけど、あるとき部屋でぼーっとしてたら突然『タトゥー入れなきゃ!』と思って、その日のうちに入れたのね。すごく後悔してる。職場で隠すの大変だし。いきなりピアス開けることもしょっちゅうだった。衝動が抑えられなくて、わけのわからないことも平気でしてたの。それが、まずは一度考えて、気持ちを抑えることができるようになった。それに私、怪我ばっかりしてたでしょ。注意力欠如で、一つのことに集中すると他のことができなくなるから。例えば家の中で、猫を抱えて段差を降りるとき、猫が『ニャー』って鳴くと、そっちに気を取られて段差で転ぶことが何度もあった。とにかく怪我が多くて、身体にヒビは10か所以上入ってる。それが薬を飲むようになってからなくなったんだよね」

 なるほど、そこだけ見ると良いことのように聞える。しかし、薬で性格を変えているだけで、ムム子さんそのものが変わったわけではないようだ。

「無理やり脳を動かしてるから、夜に疲れが一気にくる。薬が切れた後にいろいろ思い出して、痴漢やナンパで嫌な思いしたことも、相手の気持ちに配慮して言わなかったことも、後になって腹が立ち過ぎて気持ち悪くなったりするんだよ。反動が酷いの。だから休日は飲まないようにしてる。でも、そうすると薬を飲んでる自分と、飲んでない自分で、二重人格みたいになるんだよ。本当の自分はどっちなんだろう?」

 物事をはっきり言うタイプのムム子さんは、周りに気を遣って主張しないタイプのムム子さんに変わっていた。では、ムム子さんらしさとはいったい何なのか。話は続く。

「お金も昔はあるだけ使ってたのね。金銭感覚がバカで、財布に入ってるお金は、あるだけ使っちゃう。給料日に全額降ろして、一日で使い切って、明日どうしようとか。家賃5か月分の服を突然買ったりして、しかも着ないとか。人にもバンバン使ってた。そういうのも、ちゃんと計算できるようになった」

 計画的にお金を使えるようになることは、健全なことなのかもしれない。しかし、「正しい人間」になることは、そうまでして目指すべきものなのだろうか。

「この薬を飲むと、片づけられない人が、部屋を綺麗に片づけられるようになったりもするらしいよ。子どもが猛勉強を始めるから、親がこっそり子どもに飲ませたりするケースもあるんだって。だから薬の横流しを防ぐために、病院も凄く厳しいんだよ」

「それいいねぇ!」
 私も思わず反応する。でも、それではまるで覚せい剤だ。

「それ、凄く思う。覚醒してるもんね、頭が。だから時計を見なくても、薬が切れたことがわかるんだよ。そろそろ切れるっていうのがわかる。集中力がなくなって、身体がどんどん重くなる。で、元の自分に戻る。仕事帰りで薬が切れてると、電車で凄いイライラしてる。人にぶつかられると『ぶつかってんじゃねーよ!』とか思うし」

 とはいえ、心の中で「思う」だけで、薬を飲んでいないときのムム子さんが、本当に外で叫んでいるわけではない。そもそもストレスを抱えているならば、イライラするのはごく自然なことだ。むしろそれがなければ、自分がストレスを抱えていることに気づけない。   

「仕事も、凄くいい加減だったのね。私は仕事をするために生きてる生きてるわけじゃない!って思ってたし。上司にもとんでもない態度をとってた。それが、恐ろしいほど真面目に仕事をするようになって、性格に難ありだと思われてたのが、良い人だと勘違いされるようになるぐらい。仕事中の私は、ニコニコしてて、絵に描いたような善人。誰だろうこの人は?って自分でも思うもん。仕事してるときの私は、別の生き物。滑稽だなって思う。お金貰うってそういうことだけどね。お金がないと生きていけないし。こういうこと一生続けていかなきゃいけないのかなと思うと、ゾッとする」

 発達障害でも、それを活かして仕事をしている人はいるだろう。けれど、ムム子さんのように派遣社員で仕事を渡り歩いている場合、障害はやはり害になってしまうのか。

「私が変わって、周りは助かってると思う。『穏やかになった』『優しくなった』『わがままじゃなくなった』って思ってるだろうし。空気というものを読めるようになって、社会に適合できるようになったことは、良かったんだろうし。この薬で生きやすくなって、救われる人はたくさんいると思う。世の中にとって必要な薬なんだとは思う。でも実際は、怖いなって思ってる」

 発達障害の診断を受けた多くの人が、薬を飲みながら適応しているとしたら、恐ろしい社会だ。けれど、そうしたことが求められる仕事のほうが、現実には多いのだろう。

「なんか、話してスッキリした。後頭部の辺りがスッキリしてる。薬を飲むようになって、自分の気持ちを話さなくなったから。こんな暗い話をされたら、みんな嫌だろうなと思って話さなくなるんだよ。だから、久々にこんなに話した。本当は私、話したいんだろうな」

 ムム子さんは穏やかな顔で言った。
 しかし、ふと思った。薬を飲んでも結局ムム子さんは、痴漢やナンパやその他トラブルに巻き込まれている。薬を飲んで性格が変わっても、人生で起きることは何も変わらないのではないか。ムム子さんは相変わらず、人間関係で強く影響しあう星の下に生まれているのではないか。

「薬を飲んで、良かったのかもしれないし、悪かったのかもしれない。私にはわからない。ただ、客観的に昔の私が今の私を見たら『ダッセェ女だな』って言うと思う」

 これが答えかもしれない。

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